子供達が留守番ができるようになると、親孝行のつもりで私一人で実家に帰るようになった。といっても年3.4回であったが。
たいていは2泊だった。父に駅に迎えに来てもらう。私を見つけるとよっと片手を挙げすたすたと車の方へ歩き出す。
実家に着いたらお土産タイム。
きんつばや木村屋のあんぱん、赤穂のしお饅頭、崎陽軒のシュウマイや豆狸のおいなりさん、あとあなご丼を買っていったこともあったなぁ。父は待ちきれない子供みたいに次々と開封しては味見をしていた。
次の日は父と出掛ける。父のお気に入りのお店でランチ。お蕎麦やパスタ、ホテルのバイキングにも行った。80過ぎの癌患者にしては食欲旺盛であった。
軽くドライブ。港とか灯台とか神社とか、父のうんちくを聞きながらのんびりと走った。
産まれてこのかた、こんなに父と喋ったことがあっただろうか。今行っている治療のこと、医者への不満、今後のこと、お墓のこと(両親は既に信州に合祀墓を購入していた)、若い頃の話も聞いた。私は息子達のこと、仕事のことなど話した。
父のサービス精神で私を連れ回してくれているのかと思っていた。が、自分の好きな場所を私に見せたかったんじゃないか、思い出を作ろうとしてたんじゃないか、と思うようになった。
たまに旅館に一泊することもあった。一ノ宮、鴨川、勝浦、近場だけど久しぶりの大人だけの宿泊は快適だった。
宿泊以外のお出掛けに母が同行することはなかった。誘っても、留守番するので行っておいでと言う。
後で解ることだが、母は24時間父といるストレスで徐々に鬱症状が出てきていた。
父の癌発症前はコーラスや、絵手紙、オカリナなど、父の送迎付きで趣味を楽しんでいたが、父の負担を考え、全て辞めてしまった。
父は私といるときこそ上機嫌だったが、家ではイライラして母に当たることもあったらしい。脳への転移からせん妄も出ていたようだ。
父にばかり目がいってしまっていたが、母の負担も相当なものだったのだろうと今なら想像がつく。今や小さくなってしまった母の背中を支えるとき、ごめんね、と思ってしまう。