1969(S44)初めての「家族で海外旅行」から三年後に
我が一家も郊外に「新居購入して、転居」し新生活スタート!!
1977(S52)以前、社宅の近所に住んでいた先輩が
赴任先のドイツ(フランクフルト)から「冬休みに来て!!」と
連絡が来て、家族に伝えてパスポートから準備開始~
前回は戦時中のエジプト旅行で苦労したので、考慮?
でも、子供達も大きく成長(6年&4年生)し、準備開始!!
パスポートは前回から5年で時効!! 再度新しく申請して
前同様に個人旅行の為(ツアー料金&代理店依頼)は
高額で家族同伴で「アメリカ大使館」&「デンマーク大使館」
通過ビザ取得で行き、目的地「ドイツ大使館」はビザのみ
「無料航空券」も入手出来て、約1週間の予定で決定!!
但し、前回のカイロは豪邸滞在で無料も、今回の滞在は
駅前ホテルで、贅沢無しの個人旅行の格安旅行でした。
❶「出発から、到着まで~」家族の個人旅!!
(ツアー会社無しの個人旅行)
当時のヨーロッパ旅行は「北回り路線(アラスカ経由)」か?
「南回り路線(カイロ経由」の選択で、今回は北極圏通過の
ルート飛行のポーラFLT(北極圏飛行)でデンマーク給油後に
ドイツ到着でした。
近年はソ連が崩壊してからはポーラフライトは無くなり空路は
「ロシア上空通過FLT」が可能に成り飛行時間が短縮されて
現在は主流の行路」です(大型機のJB機体が飛行する為
ロシア上空許可だ出た)
当時はUSA「アラスカのアンカレッジ空港で給油した後」
ポーラFLTと呼ばれていた「北極圏通過飛行ルート」
でした。長時間FLTで、くたくたでドイツに到着した。
アンカレッジ空港ではトランジットタイムで給油作業後にドイツに~
長時間FLTでフランクフルト空港に到着し、今回は荷物も無く、
タクシーで予約済の駅前ホテルに到着後ホット一安心
❷「知人宅訪問&観光」
翌日ホテルにベンツでお迎えが来て、知人宅を訪問した。
同じ年代の子供達も再会を大喜びして、感動した。
ベンツは国民車?知人夫人のガイドで「市内観光」名所旧跡の観光と、
名物ビール工場も見学しました。当時は東西ドイツの時代で
東ドイツは厳しい世界でフランクフルトは自由行動OKの観光!!
近代国家のドイツは「東西分割統治」の時代でしたので
ベルリン観光は難しく、西ドイツ観光のみを実施しました。
闇ドル交換も無く持参した円をマルク両替えで「貧乏旅行」で
安サラリーマンの「個人手配の家族旅行」の運命でしたね?
夜は、子供達だけホテルに留守番して、我々夫婦は歓迎会夕食に~
料理の途中で「これは美味しい」と絶賛したスープが
「スッポンスープ」知らされ「奥さんは、びっくり仰天!!」でした。
蛇&亀は苦手? 話題は夜半まで、ビール&ワイン片手に
懇談が続きました~
❸翌日は知人は会社なので、奥さん運転のベンツで市外観光に
ライン河周辺の観光地を色々と案内されましたが感激でしたね
ライン河の合流点に建設された守護砦を見物し観光した
コブレンツの古城からライン河の合流地点で記念写真!!
ローレライの歌で有名な難所見物しましたが急流でしたね~
季節は冬で肌寒く、我が一家はコート類を借用した
日帰り観光でも長距離ベンツ観光で街に戻りました~
❹「最終日はハイデルベルグ観光!!」
知人本人がドライバー&観光案内人として「最終日の一日
観光ドライブ旅」を子供3人&大人3人で実施!!
城下町を散歩してハイデルベルグ古城に上り城内を観光!!
有名な「ハイデルベルグ古城」や「バーデンバーデン」の温泉地、
皇帝の遺跡&城案内など観光名所めぐり胆嚢!!
同じ年代の知人長女はドイツ語堪能で親を凌ぐ
ペラペラのドイツ語で大いに助けて貰いましたね~
帰宅後の「最後の晩餐」をして、ホテルに帰館しました
**ドイツ観光も終了して帰国準備!!**
別れを告げて、帰国便に搭乗し、帰路のアンカレッジで
「うどん屋」で食べた、天ぷらうどんの美味しかった事
旅行中のトラブルも皆無で、無事に帰宅出来、感謝!!
その後フランクフルトには何度か訪問できた
我家の奥さんは幸福でしたね~~
**個人家族旅行の思い出です **
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