(ネタバレはしたくないので、口ごもった表現をあえてした。)
娯楽映画ではない。
と、言ってもいいかも知れない。
正座して見た方がいいような映画と言ったら大袈裟か。
ただ、その他のアメコミ実写化映画のような、エンターテイメント性を求めても裏切られるだろう。
それは、このシリーズの前2作、更に今作の前に公開された「インセプション」を見ていれば予測は付くはずだ。
(テーマ)
前作「ダークナイト」を見たのは4年前。
その時に、こんなことを書いたが、やはりその完結と言ってもいいだろう。
ゴッサムシテイがどうやって無法の街と化すか
全3作をかけて、そのことが丁寧に描かれていく。
丁寧と書いたのは、この監督は明らかに理詰めで作品を作るタイプだからだ。
前2作を先に見ておくのは勿論のこと、今作でも劇中のセリフ、映像は意識して見ることが、作品理解する上で要求される。
喋ったこと、映ったことの回答が、必ずその後に出てくるからだ。
「インセプション」は途方もない話を実写でやるという、この監督らしい力業だった。
作品としてはよくできていたし、ヒットもした。
ただ、見る人を選ぶ映画だった。
あの内容を観客に理解させるには、登場人物達に状況説明をするセリフを至る所で吐かせざるを得なかった。
映像だけであれを表現できれば、間違いなく名作だったが、それは無理。
70年代の観念SFの様な映画
セリフを追うことでその世界観を理解していかなければならなかったから、単純に楽しみたい人には合わなかったかも。
触媒(ガス、ジョーカー)が、普通の市民に影響を与えて、無法と化していくプロセス。
ホラー映画を見ても大爆笑の私だが、このテーマは薄ら寒さを覚えた部分だった。
そう言えば、スターウォーズEP2を見たときも、同じ感覚があった。
クローンの登場により、戦争の質(有り様)が劇的に変化する瞬間(竹槍→銃→爆弾→原爆)を見て、やはり薄ら寒さを感じた。
(意外性)
2つあったと思う。
1つはストーリー上、もう一つは次回シリーズ?のためか。
私のように先読みしながら見るタイプなら、中盤までにはどうなるかは気づくだろう。
むしろ私にはエンディングの方が意外だった。
今の世の中の状況を考えて、敢えて、なのだろう。
(配役)
硬派な映画なので、相変わらず女性の描き方は今一つ。
キャットウーマンが、アン・ハサウエイと聞いたときは、どうなのだろう?と思ったが。
きれいだし、かわいいし、(最近では珍しい)女性らしい体型だし。
おそらく、かなりウエイトを絞ったのだろう。
鎖骨が浮いて、明らかにスレンダーになっている。
やっぱり「プラダを着た悪魔」の時の方がいいよ。
キャットウーマンについては、ティム・バートン版「バットマン・リターンズ」のミッシェル・ファイファーがよかったので、尚更か。
劇中で、彼女は雑魚キャラに「言いケツしてる」と言われるが、最後の方にそのショットがちらりと出る。
この監督らしく真面目にターゲットをメインに据えて、あくまでも彼女のお尻は右隅だが。
普通なら、女優も目立つし、サービスショットを入れたくなるところだが。
あくまで、筋立てがメイン。
それ以外のキャラでは、1作目の案山子男が、閻魔大王役で出てきたときは、くすりと笑ってしまった。
ブルース・ウェイン(クリスチャン・ベール)は私には、前2作では存在感が薄かった。
(陽気さを取り去ったトム・クルーズみたいな顔も一因)
街の無法化や絶対的な悪(ジョーカー)の方が目立っていたからでもあるが。
ヒーローである主人公がこれほどヨレヨレに描かれるのは、ブレードランナーのデッカード以来ではないか。
それでも、意志の強い者が勝つ。
伝説よりも、本当に登った者が勝つ。
今作では、彼はしっかり中心に据えられた。
(クリストファー・ノーラン監督)
興行的には、「ダークナイト」には及ばないかも知れない。
全ての行動が常識から逸脱しきっていたジョーカーに比し、目的だけが理解不能な今回の敵では、やや分が悪い。
それに集団の戦闘と、タイマン勝負のどちらが面白いかというと、当然後者だろう。
感情移入もしやすいし。
(アメリカでは、そのジョーカーを名乗る男が公開初日に不幸な事件を現実で起こした。それほど影響があった、というべきか。)
それでも、今作も非常によくできた作品であり、作品の質的には今最も信頼できる監督だろう。
観客がこんなに黙って凝視する映画も中々ない。
多くの映画で失望することが多いのは、(それはないんじゃない、と)ご都合主義的にストーリーを展開させるからだ。
こんなに理詰めで映画を撮る監督はいないので、そのこだわりと(矛盾するようだが)映画の持つ明快さ(娯楽)が、次作以降も更に調和していくことを期待したい。
(追伸)
バットモービルは迷彩色に塗られてしまうのだけど、何かゼータガンダムのガンダムMKーⅡを思い出した。
(両方とも、やはり黒い方がかっこいい。)
娯楽映画ではない。
と、言ってもいいかも知れない。
正座して見た方がいいような映画と言ったら大袈裟か。
ただ、その他のアメコミ実写化映画のような、エンターテイメント性を求めても裏切られるだろう。
それは、このシリーズの前2作、更に今作の前に公開された「インセプション」を見ていれば予測は付くはずだ。
(テーマ)
前作「ダークナイト」を見たのは4年前。
その時に、こんなことを書いたが、やはりその完結と言ってもいいだろう。
ゴッサムシテイがどうやって無法の街と化すか
全3作をかけて、そのことが丁寧に描かれていく。
丁寧と書いたのは、この監督は明らかに理詰めで作品を作るタイプだからだ。
前2作を先に見ておくのは勿論のこと、今作でも劇中のセリフ、映像は意識して見ることが、作品理解する上で要求される。
喋ったこと、映ったことの回答が、必ずその後に出てくるからだ。
「インセプション」は途方もない話を実写でやるという、この監督らしい力業だった。
作品としてはよくできていたし、ヒットもした。
ただ、見る人を選ぶ映画だった。
あの内容を観客に理解させるには、登場人物達に状況説明をするセリフを至る所で吐かせざるを得なかった。
映像だけであれを表現できれば、間違いなく名作だったが、それは無理。
70年代の観念SFの様な映画
セリフを追うことでその世界観を理解していかなければならなかったから、単純に楽しみたい人には合わなかったかも。
触媒(ガス、ジョーカー)が、普通の市民に影響を与えて、無法と化していくプロセス。
ホラー映画を見ても大爆笑の私だが、このテーマは薄ら寒さを覚えた部分だった。
そう言えば、スターウォーズEP2を見たときも、同じ感覚があった。
クローンの登場により、戦争の質(有り様)が劇的に変化する瞬間(竹槍→銃→爆弾→原爆)を見て、やはり薄ら寒さを感じた。
(意外性)
2つあったと思う。
1つはストーリー上、もう一つは次回シリーズ?のためか。
私のように先読みしながら見るタイプなら、中盤までにはどうなるかは気づくだろう。
むしろ私にはエンディングの方が意外だった。
今の世の中の状況を考えて、敢えて、なのだろう。
(配役)
硬派な映画なので、相変わらず女性の描き方は今一つ。
キャットウーマンが、アン・ハサウエイと聞いたときは、どうなのだろう?と思ったが。
きれいだし、かわいいし、(最近では珍しい)女性らしい体型だし。
おそらく、かなりウエイトを絞ったのだろう。
鎖骨が浮いて、明らかにスレンダーになっている。
やっぱり「プラダを着た悪魔」の時の方がいいよ。
キャットウーマンについては、ティム・バートン版「バットマン・リターンズ」のミッシェル・ファイファーがよかったので、尚更か。
劇中で、彼女は雑魚キャラに「言いケツしてる」と言われるが、最後の方にそのショットがちらりと出る。
この監督らしく真面目にターゲットをメインに据えて、あくまでも彼女のお尻は右隅だが。
普通なら、女優も目立つし、サービスショットを入れたくなるところだが。
あくまで、筋立てがメイン。
それ以外のキャラでは、1作目の案山子男が、閻魔大王役で出てきたときは、くすりと笑ってしまった。
ブルース・ウェイン(クリスチャン・ベール)は私には、前2作では存在感が薄かった。
(陽気さを取り去ったトム・クルーズみたいな顔も一因)
街の無法化や絶対的な悪(ジョーカー)の方が目立っていたからでもあるが。
ヒーローである主人公がこれほどヨレヨレに描かれるのは、ブレードランナーのデッカード以来ではないか。
それでも、意志の強い者が勝つ。
伝説よりも、本当に登った者が勝つ。
今作では、彼はしっかり中心に据えられた。
(クリストファー・ノーラン監督)
興行的には、「ダークナイト」には及ばないかも知れない。
全ての行動が常識から逸脱しきっていたジョーカーに比し、目的だけが理解不能な今回の敵では、やや分が悪い。
それに集団の戦闘と、タイマン勝負のどちらが面白いかというと、当然後者だろう。
感情移入もしやすいし。
(アメリカでは、そのジョーカーを名乗る男が公開初日に不幸な事件を現実で起こした。それほど影響があった、というべきか。)
それでも、今作も非常によくできた作品であり、作品の質的には今最も信頼できる監督だろう。
観客がこんなに黙って凝視する映画も中々ない。
多くの映画で失望することが多いのは、(それはないんじゃない、と)ご都合主義的にストーリーを展開させるからだ。
こんなに理詰めで映画を撮る監督はいないので、そのこだわりと(矛盾するようだが)映画の持つ明快さ(娯楽)が、次作以降も更に調和していくことを期待したい。
(追伸)
バットモービルは迷彩色に塗られてしまうのだけど、何かゼータガンダムのガンダムMKーⅡを思い出した。
(両方とも、やはり黒い方がかっこいい。)