終戦日です
先日の広島と長崎の原爆投下日には
黙とうしました。
父方の祖父は戦争に行っていて
父からも祖父からも当時の話を聞く間もありませんでした。
父は当時12~13歳だったはず。十分記憶もあったでしょう。
母からは、当時6~7歳だったころ
焼夷弾の雨が降り注いで実家の大門が焼けた話しや
0~1歳だった小父を井戸の蓋に置いて曽祖母が火消しを祖母と
していた話を繰り返し聞きます。小父には焼夷弾の雨の記憶は無く
伯父からはそんな話は聞いたことがありません。
母によれば長男だった伯父は大事に風呂に入れておかれたそうですが。
幸い母の実家は、門が焼けただけで済んだのですが
1枚板の大きな門だったという話を聞くにつけ、見たかったなぁと
寺社めぐりをして1枚板の門を見るたび思うのです。
日本人は「やられた」記憶も「やった」記憶も上手く封じてしまうのでしょうか。
もっとちゃんと記憶しておかなくてならないし
記録しなければならないと思うのです。
先日の広島と長崎の原爆投下日には
黙とうしました。
父方の祖父は戦争に行っていて
父からも祖父からも当時の話を聞く間もありませんでした。
父は当時12~13歳だったはず。十分記憶もあったでしょう。
母からは、当時6~7歳だったころ
焼夷弾の雨が降り注いで実家の大門が焼けた話しや
0~1歳だった小父を井戸の蓋に置いて曽祖母が火消しを祖母と
していた話を繰り返し聞きます。小父には焼夷弾の雨の記憶は無く
伯父からはそんな話は聞いたことがありません。
母によれば長男だった伯父は大事に風呂に入れておかれたそうですが。
幸い母の実家は、門が焼けただけで済んだのですが
1枚板の大きな門だったという話を聞くにつけ、見たかったなぁと
寺社めぐりをして1枚板の門を見るたび思うのです。
日本人は「やられた」記憶も「やった」記憶も上手く封じてしまうのでしょうか。
もっとちゃんと記憶しておかなくてならないし
記録しなければならないと思うのです。
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