もうすぐ超人工知能(ASI, Artificial Superintelligence)という人間の知能をはるかに超えた人工知能(AI)が可能になるという。
個人的にはすごく楽しみで仕方ない。
人類はその知性を理解することができるのかどうか。
わたしたちはすでに「反科学」や「反知性」という社会に生きている。
日本で「反知性」が本のタイトルとして使われたのは、調べてみると圧倒的に2015年出版の本が多い。2015年は、反知性が多くの人によって認知された元年と言っても良いかもしれない。
だから間違いなく反AIという勢力は出てくる。
ASI、超人工知能の判断がどんなに正しくても、それに異論を唱えるに違いない。
ASIは「人類の存在こそが人類や地球の存在を脅かしている」なんてことを平気で言うかもしれない。
どんなに倫理的に修正をかけても、その倫理を超える「超倫理」を持ち出して、説得してくるかもしれない。その超倫理は果たしていまの私たちに理解可能なものなのかどうか。
いつも科学が進歩するたびに、それを必死で追いかけるように倫理の問題がつきまとっていた。脳死にせよ、安楽死にせよ、ワクチンにせよ。
超人工知能のような圧倒的に進んだ科学的回答が目の前にあるとき、人間は果たして人間らしい倫理を身につけることができるのかどうか。
自分が楽しみにしているのは実はそのことではないかと思う。
超人工知能が哲学的にも難解なひとつの答えを出したとき、
「反AI」という安易な拒絶(感情的拒絶)ではなく、
その「答え」とどのように人間的に対峙できるのか。
すでにAIに拒絶意識を持ってる人もたくさんいると思う。
そんなひとには、AIとかいて「愛」と読ませてみたい。
ちょっとだけ親密感を...覚えないか。