建築・都市空間の考働美学

建築・都市環境とその周辺をめぐり日頃、考えながら働き実践し湧き上る考働の美学を試みたいと思います。

建築作品VOL2-b

2007年06月12日 | 建築設計
基準階廊下です。
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建築作品VOL2-a

2007年06月12日 | 建築設計
エントランスです。
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建築作品VOL2

2007年06月11日 | 建築設計
北海道庁のプロポーザルで最優秀賞をいただいた
プロジェクトマネジメント(PM)や
コンストラクションマネジメント(CM)業務も含む
企画設計でした。

総延面積約9000㎡の15階建てで、横の長さは100m近くあります。

札幌の中でもスケール感のある建築物である為、景観的なデザインとしては
近隣とのスケール調整で街路や公園に対し低層階で街路景観スケールをなじませ、高層棟をセットバックされてます。

そのため、高層マンションとしては一般的のセットバックと違い。コーナー外壁2面を連続セットバックし、しかも低層部集計デザインフォルムを段階構成的にデザイン表現することにより、写真ではわかりにくいですが、実際訪れると、同種の一般高層マンションと比べより一層、景観への応答性を高めたフォルムとなって
表現されてます。


高層棟自身は街路に対しては建築物を開放性を高め水平ガラス開口を積層され、公園側にはモニュメンタルな象徴性を遠景中景近景の各景観要素に呼応すべくデザインされてます。

外装タイルは近隣の色の状況具合を勘案され、樹皮色系と雪色の2色を、この周辺の樹木の枝のイメージから幾何学的な2色ボーダーの繰り返しで街路、公園、エントランスに対してアクセント的な要素のデザインを与えられてます。

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建築作品VOL1-a

2007年06月11日 | 建築設計
最初に指示されたプロジェクト名のウサギ小屋。そのウサギを空間上、どのように解釈するか設計監理の中でもウサギという言葉すらでなかったので、クライアントからは、とうとう教えてもらえませんでした。が、私なりに多少茶目っ気あるところでさりげなく、階段を上り詰めたメイン空間のリビングの天井に、必然性を帯びたビームの2本をリビング空間にウサギの耳のようでいてシャープなフォルムで、それとは一見関係ないかのような感じで特徴的なアクセントをメイン空間に刻印してました。

一冬、たちました。クライアントから感想を聞くことができました。
おおむね良いようです。
「冬の夜暑いので暖房切ったときもありましたね。」というのには
我ながら驚きました。冬の夜で暖房を切るくらい暖かいという表現は初めてです。
日中蓄熱し、夜放熱する熱量がかなり豊富だと理解するほかありません。
確かに1階床は南面窓からロックベット蓄熱のある蓄熱コンクリート床にはなってます。晴れた冬の日の夜はタイムラグ効果の放熱でそうなることは予想されます。
いわゆるパッシブ建築の一種となりましょうか。

熱損失に関しては、方位に対する空間配置と開口の与え方と断熱の施工上のポイントに関し、成果が出たようです。因みに一般的に火力が弱いと評されるが石油・LPGより比較的クリーンだといわれる北海道産出の天然ガスによるパネル暖房です。その点が映像だけで見せられない開放的な熱環境デザインでもありますが。







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最近の作品vol1

2007年06月10日 | 建築設計

最近の建築作品を載せることにします。


普通住宅クラスのコストで作ったものです。


ラピッドハウスプロジェクト(RHP)とクライアントから名づけられたものです。


現代美術の大学の先生と翻訳家の家です。


クライアントは


日本で有名な住宅設計者の今は亡き宮脇檀氏の家で幼少から育った方と、札幌ドームで東大名誉教授原広司氏とJV、札幌市立大学キャンバス等の設計組織で有名なアトリエ・ブンクの設計の家に育った夫婦でいらっしゃいます。


ご依頼は変形の正3角形地にミニマルなBOXをとの要望でした。


コトの弾みは、公的美術館でのグループ展で現代美術空間オブジェを私もご一緒で展示したご縁です。fine artとして純化したややミニマルな鑑賞者が内外をめぐることができる建築的オブジェを展示したことから、現代美術家の家を受け止めてくれるのではとの期待が少なからずあったのだと思います。でも、生活の器でもあるので,あまり実験的にはしてもらうと、今までがその実験で生活日常がなかなかだったのでそれはそれで素晴しい空間体験でしたが、今回は知人であり最新の豪雪熱環境にスキルを持っているのではという期待感も含めて、美術空間のわかる私に寄せる依頼がそこはかとなくあったのではないかと思います。


建築家ご用達の造形言語、吹抜けやトップライト、廻り階段は本人達にとっては幼いときからアプリオリだったせいか、夫婦として,より住まう日常のささやかな幸せを享受したいという日常のエッセンスを追求されているかのようでした。


140㎡ほどありますが、2階建て2LDKです。しかもその1室はメディアアートと造形アートのミックスメディアの作風のコンテポラリーアートのアトリエが1階にしっかり確保された1階個室を含めての2LDKです。


予条件は実にこだわりがあるようで、作家同士の表現活動への配慮、というか表現者への上手な表現を引き出すコントロールがやはり美術家であり、先生でもあるのでとてもうまい方でした。「表現の細かいところは任せる。」と機能だけをしっかり伝えてくれました。


外観は札幌でも珍しい碁盤の目に対角線に走る碁盤の目ができる前からの石狩方面へ伸びる歴史的な自然発生の道沿い。そのため碁盤の目を三角形に切り取った敷地が存在したのです。


通称「ななめ通り」商店街いまは何故か(野球の)ファイターズ通りと名前を変えている高齢者商店街のシャッターどおり的要素もある古い商店街です。


ご主人はこのような古い老朽化した商店街に偏愛なされているところがあり、ある意味で商店街活性化マインドの再開発を仕掛ける布石を行う行為がこの住宅設計でした。


過去に事実、教えている学生がこのような老朽商店街を相手にアートによるまちづくり活動を行うことは複数なされているので、そのうち塀もなく商店街にオブジェのようにまるでシャッター街のシャッターがメタモルフォーゼしたかのような同化でもあり異化でもある両義性のある外観をシンプルな要求の中に意味合いが溶け込んでいるデザインがたち現れました。


 


 


 


 


 


 


 

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都市は人々の間から生まれ、人によって滅ぶ、しかし・・・

2007年01月30日 | Weblog
財政破綻の夕張。

北海道内はもとより全国から暖かい応援が寄せられている。

斜陽産業の地方都市崩壊の典型的な都市、夕張。
かつて、10万人以上いたこの都市も少子高齢化し
十分の一に人口が激減してしまった。
これは、
日本の過疎地方の未来に関して、
極端かもしれないが、とても分かりやすく
象徴的な事例かもしれない。

そういった意味から、夕張を状況を改善し再生することが
日本の将来の憂いを払拭するイメージリーダーに場合によりなりうる。

夕張の破綻から私が常々語っていることが今、
この都市で分かりやすく起こっている。

それは広い意味で、
交流文化の力と、地域で育まれた有意な人財の輩出&国内外活躍による再生の糸口。

ゆうばりファンタスティク国際映画祭だったか、この映画を通じての国内外の交流は
目に見えない大切な財産インフラだ。

それは何故か。
都市は人々の間から生まれ、人によって滅ぶ。しかしその地域に多くの人の寄せる想いがその地域にあれば、いつしか都市は再生するということを想起出来る。

私たち建築家は建築行為を通じて国内外の多くの人のその地域への多様な寄せる熱い想いを如何に醸成できるかが都市経営を通じての都市計画&設計では大切だと思う。

そのともし火を絶やさない限り、都市は再生し、サスティナブルシティとして持続可能な都市を目指すことが出来る。

決して産業誘致雇用だけではない。決して金儲けためだけでもない。そして決して地域整備だけでもない。もちろん利便性だけでもない。景観だけでもない。
いかに魅力のある地域の人が住んでいるか、いたか否かで都市の地域力は
大きな差が出る可能性が大きい。

国内外の人に如何にこの地域をその人の心のふるさとと思っていただけるか、
如何に精神風土としてその人にとってはなくてはならない存在であるかが
都市の成り立ちを考える上で、かなり重要な基盤インフラとなる。


都市は人間によって滅ぶ。しかしそこに想いがあればまた強ければ、必ずやまた違ったチャンネルで都市再興の展望は開けていく

国際芸術文化都市を目指すことは重要であるが、
この部分を基盤として忘れてはならない。

最近、専門家で語られる創造都市は
このような多様で懐の深い精神文化で人々を引連れてやまない
都市精神基盤を大切にする事を視座に入れるべきかと思う。


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デザイナーズマンションについて

2006年11月19日 | 建築
最近金回りのよい投資家達が大規模な賃貸事業に手を染めているようだ。
札幌でも超高層賃貸が10本以上立ち始めている。建築家の目で本当にデザイナーズマンションといえるカテゴリーはない。またそのような言葉は別に意識することなく
供給することも多い。それはそれでよい。

スケルトン&インフィル。これはオランダの建築計画研究者のハブラーケンがもう四半世紀以上前に提言した特にマンションをモデルにもしたシステム概念だが、日本でもかつてつくば方式という方法で具現化普及の道筋がつけられたりしたものである。

私の作品はデザイナーズマンションでもそのスケルトンインフィルの思想を受け継いでいる。札幌圏に限って言えば、その思想を定義のあいまいな雰囲気で語られる、いわゆるデザイナーズマンションに関していえば毎年の供給では私が一番設計供給していると思う。

それゆえ、デザイナーズマンションのニッチカテゴリーとして
他とは違うデザイナーズマンション供給を行っていることを明瞭にするため、
オルタナティブ・デザイナーズマンションと呼ぶことに最近はしている。

なるべく無駄な廃材を建設&維持改修で出さないデザイナーズ空間という市場位置づけである。札幌圏では、これはなかなかありそうでない状況にある。

また、まねしてもなかなか空間インテリアコーディネートが建築デザイナーでも
力量が問われるといえば問われるため、普通無難な内装に収めるのが普通のデザイナーズマンションやりかたといえる。

費用負担が一般マンションと比して明らかにかかりずらく、それゆえ無駄な出費なく環境負荷にやさしいプロデュースを心がけている。
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日本都市計画家協会の少子高齢化研究会での発表報告に関して

2006年06月19日 | まちづくり
都市計画家協会に少子高齢化研究会というのがあり、
会員でもあるため、昨年、寄稿しました。

http://www.mmjp.or.jp/jsurp/kenkyu/pdf/syosikoreipdf/5yamamoto.pdf


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国の借金をどう読むか等、四方山思考

2006年03月24日 | Weblog
国の“借金”800兆円初突破 (読売新聞) - goo ニュース

国民全体の借金とするなら、高齢者から赤ちゃんまで国民一人当たり630万円以上の借金に値するらしい。4人家族なら1900万強。地方なら家がまともに建つ。つまり国民がそのツケを今一気に清算するならば、居住購入資金をすべて国の借金負担に当ててもらいたいという徳政令を国が発動すればリセットすることに一応はなる。国の借金のための借金はなくなり、財政は健全化する。
受忍限度としては限界。

徳政令の為には、明らかにその分だけ国民を平均的に儲けさせるか、
できるかどうかわからないが、実体経済のなかで許される期間限定で、
一時期に国の借金を百分の一の新円価値にして借入金を支払い、その新円がまた従来円レートに特別変換できる扱いにして国民の財産をそのまま相対価値ある中で温存させるような時限処置はできないものか。都合よいが。

または上記の応用で国民が平均的に今以上に儲けれる仕組みはないか?
そのようにすれば、一応納得させれる落しどころがあるだろう。

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都市の欲望ランダム景観

2006年02月26日 | 都市計画
日本の都市景観は欲望ランダムな形態、色彩、素材にそれぞれの敷地の建築物が自己主張している。都市の遠景、中景、近景すべてにおいて、都市計画で明確に秩序がコントロールされているとはお世辞にもいいがたい部分が多い。
都市景観は遠景においてどの遠景からの眺めをポイントにするか。また遠景において、その都市域をどのように自然と調和、対比させるか。すなわち背景となる空のスカイライン、山々、海、川、湖等と人工物の建築をどのようにマッチングさせるか。超高層がたち始めて、都市計画上でいきなり高さ制限するとかする場合、このようなバランスを考えずに、単に市民の高層ビルマンションに対する意識の高まり対策だけで景観政策なしに、その都市の高さを中途半端に決めていたなら、超高層が都市のスカイラインをまとまりのない遠景景観にしがちで、歯抜けたようななんともつかみどころがない都市遠景となってしまう可能性がある。

都心の中景は縦ラインの窓サッシュがあるすぐ隣に横ラインを強調したビルが外壁景観のリズム等の連携配慮が感じられないまま隣に平気で建つ。
色も素材も然り。あたかも野中の一軒家のようなその単体だけの設計図面が横行している
ので、隣の建物のコンテクストなど図面上でも配慮が見えないことになっているのが多い。パースでも両隣の建物は箱に還元され抽象化して欠かれているに過ぎないものが多い。つまり、その敷地での自己主張がなされればそれで問題ないという判断になってしまう。
その単体が一つ自己主張できていれば良いという風情だ。

近景では低層部の歩行、車道走行の視覚的景観状況がどのような、空間の豊かな意味合いのシークエンスを確保できるのかという問いなのだが、なかなか。

では、すでに成り立ってしまったランダムな都市景観をどのように統一性をもたせればよいのだろうか。

一つは樹木並木等緑化があるだろう。七難隠す系統の修景手法。
他には通りの建築景観特徴に結びつく特徴的な建築エレメントをその通り沿いに必ず各建築物に織込む方法。看板、景観サインでもよいかもしれない。多少、書割的印象が否めない場合もある。

その場合には建築家は特殊解を好む世界の人だ。その土地の独自性、ゲニウス・ロキ等の背景を含めて、ユニークなソリューションを試みるものもいる。

しかし、外部要因からか、考えない設計者も実際、かなりいる。




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教員なろうか真剣に迷いますね。

2005年10月20日 | Weblog
家庭教師をしていた経験から十分教えられます。
かなりいい職場ではなかろうかと思います。
本当は教員は社会勉強してきた人のほうが
中途採用の選考が適切であれば、荒れた学校を矯正するには効果的です。
そういった教員改革は必要です。

教員の給料高すぎ? 年金額にも反映、財政審でやり玉に (朝日新聞) - goo ニュース

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自己生成デザインとCADの未来

2005年10月16日 | 空間設計
地域予条件を入力すると、自己生成するデザインのコンピューターエイデッドデザインがまともに出来る時代が来るのだろうか。
具体的敷地の温熱湿度風速等からもたらされる省エネとCASBEE評価の最適化や施設利用の時間利用別シュミレーションの平面計画、構造、法規等で建築図面が自動生成する世界。

予条件の入力に作家のデザイン美学要素をノイズ、いや、シンクロさせる。「この地域条件をバイオフォルムで解く、最小限の要素で解く、平面の構成にて解く、フレームで解く」とか「廊下をなくす。部屋同士のつながりで解く」とか多様で、いまより、きっとかなりシュミレーションがユーザーフレンドリーだろうか。

すでに我々は似たようなものを体験はしている。
音楽作曲ソフトの中ではロック調、ジャズ調という言うようにサンプリングして
自動生成できる。

しかし、いつの時代でも構想力、スケッチはなくならない。
そして最終監修するのはたずさわる人間。その意味ではまさにCADはAIDED。

そういう単なる3Dではない統合生成ものが市販されるのはいつだろう。
今の状況でも10年以上かかりそうな感じはする。


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宿泊建築について思うこと

2005年09月25日 | 空間設計
温泉博士に言わせれば、温泉はかけ流し、源泉近くの湯船(理想は湯船のそこから)というのが成分がよろしいらしい。
ワタシ的に言わせてもらうと、浸かって2日目ぐらいから効き始めて元気になっていく温泉がいい。
旅館ホテルを含め、宿泊施設は癒しの総合パッケージが元気を決める。沸かしでも循環でもいいのだ。あの京都の俵屋旅館の場合なら部屋にある狭い高野槇の沸かし風呂だったりするが、宿泊する中で京都の小宇宙が秘められた癒しがそこはかとなく身体に浸透していく。
宿泊系デザインの場合にはデザイナーの気張りに気を付けたい。この場合必要なのはともかく肩の力を落とさせるなごみの気配り。しかしホテル宴会場はセレブレーション的なので性格が少し違う。空間でホルモン分泌をコントロールする感覚。建築計画論の中でいえばバイオファンクショナリズムか。
設計の実際は経験からも当然といえるが、家具、小物、調度品まで空間コーディネート、コラボレートしないと上手くいかない。もう少し深いところを言うと、いい宿泊宿は国内外問わず、持ち出していけるオリジナルな小物にメモリアルな滞在記憶が宿るようになっている。さらに空間維持管理の演出も生きられた空間では重要なのは言うまでもない。そこでは時を纏う空間のエイジングも読み取れる。そう語っているうちに、ふと俵屋の女将が従業員を使い、2,3階の屋根見下ろし客のために冬椿の花を旅館の瓦屋根にさりげなく散りばめて演出する旬の美意識を思い浮かべてしまった。
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建築学会誌を読んで速読を思う。

2005年09月10日 | 建築
最近情報量を鷲づかみにしたく、即読法に関して研究している。
そんなさなか、今日来た建築学会の明治から出版されている伝統雑誌である
「建築雑誌」を目を通した。

このとき、速読の境地とはこれかと思った。
斜め読み、キーワード拾い読みは十分出来た。映像焼付け速読まではさすがにあまり自信ないが、専門分野とは限られた領域世界なのでよめる。これが社会一般の教養的な文章だとあるいは専門外領域になると、そうはいかない。

熟読玩味にすぐさま陥る。むかしは大学院まで自分の専門にむさぼるように熟読玩味しながら自分の専門も読んでいた。そのころを思い出した。これは段々専門のありようが見えてきたということなのか。
それとも学問領域の文章は慎重な言葉遣いで正確を期すためある意味冗長な文章になりがちな為、かえって斜め読みしやすいということが起きていることなのか。「といえなくもない。」「~に関しては~であり~であるが、またこれは~であり~見方を変えれば~といえるかもしれない。」云々とくる。

どちらも正解なのだろう。何でも速読できると人生上手く生きれそうな
錯覚も起しそうになる。本当は吟味した本質的なことを効率よく学ぶことが効率よく成果を出す意味では一番大切なのはわかっているが、それを最初からわかっているなら困らない。
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40才を超えてのデザインの実感

2005年07月03日 | 空間美学

これまでの10年は20世紀モダンデザインの再考とその可能性の伸展を空間模索テーマにしている風情であった。その中では日本的なるもの、エコロジカルな兆しの追求も目立つようにはなってきた。一部には空間美学の新たな準備、胎動も見られる。

東京表参道は銀座と共にコマーシャル的な意味合いからまちがブランドに占拠された状況である。その中に著名な建築家、伊東豊雄氏設計のTOD’Sの旗艦的なショップやヘルツォーク・ド・ムーロン設計のPRADAや妹島さん設計のDIORなど、美術的なまなざしから見てもこの目を楽しませてくれる。

狭い限られた敷地で、いずれもショップということもあり、企業の商品陳列の商業論理からは免れないため、表参道との応答性を本来もう少し豊かにしたかったところも設計者の力量を考えればあったのでは。

同じくストリートに並ぶ黒川記章設計の作品は表参道への応答性に関しては彼の都市建築空間論の展開からもう少し内と外との空間呼応を豊かに設計デザインへ落込んでおられたようだが、夜のせいかその効果を読取れなかった。しかし、もともとロゴス的に我々を啓発する作家なので、あまり気にしてない。設計者の論理テキストと思えばよい。世界に誇れる日本設計界のメタボリズム(いわば代謝空間論)の理念成果の一つ、汐留付近でみた住居カブセルが代謝するコンセプトの中銀マンションタワーはいまは古いせいか大変粗末に利用されている。竣工当時から外観に限れば、代謝もされていない。それでもそこから我々設計者は今後、このような理念をどのように伸展させるべきか動機付けるだけのインパクトは今でもある。(アスベストが天井に多く使っており、カプセル間のパイプスペースも難があり更新しずらく、実は普通建築より難しい設備更新を強いられるとのこと。(あの当時の設計者はよく使っていたので同情しますが。)2005・9・9)

空間の見方にはこのように、一般の人とは案外違う目線で空間テキストとして建築を町並みを都市を読む専門的な愉悦が一方でプラスして与えられている。

ところで、私たちの21世紀建築空間美学は確実に環境建築への様相を希求することを待ち望まれている。それを伝統的な日本の生活様式に単に祖先帰りすることではなく、21世紀のエネルギー転換文明に基づく新たな文化の枠組みで希求することになろう。

21世紀、あらたな技術的な成果を睨みつつ、新たな空間美学を先行して近未来に照射する表現活動が求められている。

新たな空間美学、それはどのような21世紀の特徴的な精神構造を押さえるべきか、また編出していくか、暗黙知の中にその成果が息づき、花咲いていくことになるだろう。

もうそろそろモダンデザインも設計潮流からマンネリ化し始めてきた部分が見られる。ミッドセンチュリーやミニマリズムやNY超高層再興までもと焦らせたデコンストラクションの商業主義化したものが普及し始め、やたらガラス、ルーバー、庇ものが多くなってきた。専門としては一見、ネクスト・フェーズにいきたい気分である。

しかし重要なのは、そのような単なるデザイン手法や素材の表層的マンネリではなく、時代にそぐわなくなった時代精神の深層的なマンネリからの脱却をどう企てるかである。それはまさに新たな時代精神の芸術美学が必要とされる世界でもある。その意味で建築は自由度の高い時間進行次元も持つ空間表現として、やはり重要な芸術分野である。

 

 

 

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