1984年10月20~22日 谷川岳
20日 上野駅 :22:00 (オールナイト映画館)
21日 土合口 :9:20
白毛門山頂:12:40
笠ヶ岳山頂:15:00
朝日岳山頂:16:40
幕営
22日 ジャンクションピーク:9:00
清水峠 :10:45
謙信尾根取り付き点 :13:30
清水バス停 :15:00
会社の後輩と「食料品は現地で調達しよう」と前日夜、上野駅で待ち合わせ。
ポルノ映画をみて朝まで時間つぶし。
上越線水上駅で食料品店を探す。当時コンビニなどなく小さな食料品店に入り缶詰と白米を調達、レトルトのカレーなど もまだ市販されてなかったようだ。
再び上越線に乗り土合。
相方は大学時代はヨット部、テント泊の登山は初めて。
ただし料理はお見事!
あれから40年、那須、日光、尾瀬、会津、そして裏銀座とパーティーを組んだが彼の料理は逸品。
尾瀬沼での流しそうめん、会津駒でのチャーハン、双六岳の麻婆豆腐。
2年前は横須賀の路地裏のイタリアン料理店でのランチ。友人とは長く付き合うものである。
1985年5月 八ヶ岳
3日 15:10 観音平
17:00 編笠山・青年小屋分岐
4日 8:30 権現小屋
8:45 権現岳山頂
10:30 キレット小屋
14:00 赤岳山頂
15:00 赤岳頂上小屋
5日 7:10 赤岳石室
8:30 赤岳山頂
9:20 硫黄岳石室
10:50 夏沢峠
12:40 本沢温泉
6日 8:00 稲子小屋
8:45 稲子
6日 小海線野辺山駅乗車、次の清里駅ではGWということもあり若い女の子がドヤドヤ乗り込んできた。
それまでほとんど空席だったが、ほぼ満員状態になった。しかし私の座るボックス席には誰も座ろうとしない。
ヒゲズラの汗臭い登山者はどこに行っても嫌われる。
さて、剣岳である。
1985年8月12日 忘れもしない「日航ジャンボ機墜落」の日である。
明日から6連休の盆休み、12日仕事を終えた私は明日からしばらく缶詰とラーメン・カレー暮らし。今晩は少し贅沢にとなじみの中華屋に入った。たぶん午後7時過ぎくらいだろう。テレビから「ジャンボ機が落ちたようです」の臨時ニュース。
翌日、信州飯田の実家に帰る上司夫婦の車に乗せてもらい国道50号を高崎方面に走る。上空はヘリが飛び交っていた。
14日 信濃大町駅ベンチで仮眠
15日 扇沢⇒室堂⇒剣沢小屋
16日 剣山荘⇒前剣⇒剣岳山頂⇒剣沢
17日 雷鳥沢出合⇒室堂⇒一の越⇒獅子岳⇒ザラ峠⇒五色ヒュッテ
18日 苅安峠⇒平の船場⇒くろよん山荘⇒黒部ダムサイト
すべてテント泊り まだ20代半ば 体力気力充分のころだな。
続く
*「恋する那須の日」はタイトルだけではない。もちろん天地真理の「恋する夏の日」のパクリでもない。主人公が30代半ばに差し掛かるころ、那須朝日岳で帽子を目深にかぶり肩まで伸びた長い髪の単独行女性と出会う恋愛殺人ミステリーである。
しかし彼女との出会いにはあと10年待たなければならない。