小説西寺物語 46話 空海日本初の新婚旅行…嵯峨天皇が鯖街道と命名 鯖街道 小説鯖街道③
若狭の鯖寿司を朝廷に献上した若狭鯖寿司道中は大極殿前で解散して100名の僧侶と若狭高浜小浜女性行商隊は神護寺に引き上げ女性行商隊は少しの仮眠をしてから高浜、小浜に帰る。空海は世話係りの椿と二人で太秦の広隆寺に向かった。この二人は松尾神社の宮司酒公の配慮で広隆寺の貴賓宿坊を一ヶ月ほど借りていた。この一ヶ月というのは東寺南大門前の九常寺の裏庭に空海の宿坊「奥の院」の建立までの仮の宿坊だった。この奥の院に椿が入って空海の世話をする名目だが、これは事実上の空海の妻になり、今回の若狭鯖寿司道中は空海と椿の新婚旅行となっていた。
この奥の院に女性の世話係りを置くというのは比叡山仏教も奈良仏教も事実上認めているからこそ宗派の高僧から各地の末寺の僧侶まで世襲制で寺の跡継ぎが決まっていた。この奥の院の女性のことを僧侶も檀家の人たちも〇〇寺のまたは住職の「奥さま」と呼ぶようになっていた。その空海との新婚旅行の初夜を向かえることになった椿は空海に、
「あの高浜寺のおもしろい住職の空海さまが、まさか、日本国を代表する大僧正さまとは椿は信じられません」
「いや~椿のお婆さんの梅さんに孫の椿を嫁にもらってくれるなら若狭で古くから伝わる鯖寿司の極意を伝授すると言われて承知したが、私は椿をひと目見て一目惚れしていた」
「やっぱり梅さんの悪巧みだったのネ、でも、私のような田舎の娘に空海さんのお嫁さんは務まるか心配です」
「いや~私だって15歳で四国の山奥から出て来た田舎ものです。お互い田舎者同士仲良く暮らしましょう」
「嬉しい~空海さま~」
この広隆寺の建立時はまだ奈良仏教と比叡山仏教がいがみ合い双方が僧兵1000名を組織して宗教戦争が勃発する前夜だった。そんな折に都の洛外の太秦にこの地の先住民で大陸からの渡来人「秦氏」の守り寺として広隆寺の建立が桓武天皇から許されたが、寺の貫主の僧侶を奈良仏教、比叡山仏教のどちらから誘致しても宗教戦争に加担することになる。
そこで同じ秦氏一族の氏神でもある松尾神社に広隆寺の管理が任されていた。秦氏一族からすればこの広隆寺の貫主にはやはり秦氏を祖先とする僧侶を希望していた。この秦氏を祖先とする僧侶は奈良仏教に多くて比叡山仏教にはいない。その秦氏を祖先に持つ代表的僧侶といえば西寺の守敏僧都になるが、守敏は西寺の官主に決まっていたので貫主がいないまま広隆寺は松尾神社の神職と巫女が守っていた。当時は寺と神社との区別もさほどなく同じ一つの宗教団体でしかなかった。ちなみに嵯峨天皇の正妻の橘嘉智子は秦氏の末裔の橘氏、稲荷神社の伊呂具も秦氏の末裔の荷田氏になる。
若狭の鯖寿司と一塩の鯖を献上された嵯峨天皇と公卿や貴族の屋敷ではこの日の夕餉に出されていた。大きな塩鯖の鯖は100本で切身にすれば600~800切れになるが、これが洛中に散らばっている貴族の屋敷で一斉に焼かれたものだから、都中に秋サバの脂が火に落ちていい香りとなり庶民の住んでいる地域にも届いていた。嵯峨天皇は空海から献上された鯖寿司と焼塩鯖に満足したのか?官女に、
「この若狭の鯖は天下一品だが、この鯖はどの街道から来るのか?」
「はい、なんでも空海さまの高雄神護寺の前の高浜街道(周山街道)を整備されて高浜、小浜から運ばれて来ます。今後もこの街道から若狭の鯖が大量に都に運ばれて来るそうです」
「そか、それなら庶民もこんな旨い鯖を食べられるのか?、それなら神護寺前の街道を鯖街道と命名する」
公卿や貴族があまりにも多すぎて家来に官女ら侍女、下級の貴族には若狭鯖寿司道中の噂話や焼き鯖の匂いだけで若狭の鯖を口にすることは出来なかった。貴族でもそうだから大店の主や庶民まで若狭の鯖を食べたいと思うのは人情になる。そこで公卿や貴族の屋敷に出入りしている魚屋に若狭の鯖寿司と塩鯖の注文が殺到していた。
洛中や洛外の魚屋は七条の公設西市場で魚を卸してもらうが、この魚仲買人も殺気立ち若狭高浜、小浜の魚を仕入れるために大八車と番頭や手代を若狭に向かわせた。若狭までの街道は嵯峨天皇が命名した鯖街道が使われ鯖街道は昼夜を問わず賑わったが、この若狭街道には一里ごとに番屋があり番屋の六畳ほどの休憩所では急病や大雨などの避難場所になるなど、空海の弟子が旅人を守ってくれるので女、子供だけでも安心して旅が出来る日本一の1級国道になった。これを一人旅でも空海が見守ってくれるので安心と「同行二人」という言葉が生まれ、空海の信者が鰻登りのごとく増えた。
空海の今までの信者と末寺を布教する武器とは奈良仏教の利権宗教を批判した上で比叡山仏教の「民衆を救い、民衆を幸せにする」ためには比叡山仏教の全僧侶に農業から土木工事、医療までの専門僧侶を育成してその僧侶を貧しい農村に派遣して末寺を増やしてきた数は全国で600寺院を越えていた。つまり、信者のすべては比叡山仏教を信じたものでその比叡山仏教とは最澄そのものだった。
空海はその最澄から独立しょうと真言宗を立ち上げたが、最澄の怒りをかって空海は破門になった。空海が全国を駆け巡り布教した600寺院のある農村のすべてが空海より比叡山仏教の最澄を選んでいた。幸い空海は最澄からの破門は解かれたが、残った末寺は九常寺だけで失望から一時は自殺も考えていた。
一方の空海が強烈に批判していた奈良仏教は守敏僧侶の奈良仏教改革が成功して奈良仏教の伝統ある仏教の元々の信者である公卿や貴族の九割方を取り返したものの農村部で弱かったが、守敏は比叡山仏教の根本である「民衆を救い、民衆を幸せにする」を最澄から学び比叡山仏教と同じように全僧侶に専門技術を持たせた。この最澄と守敏を仲良くさせたのは嵯峨天皇であり、もはや空海は正一位、つまり、日本一の仏教教団樹立は夢の夢だと思うのは当然になる。
椿との新婚初夜にこんな私の失敗談を披露して不粋な男だと前置きしてから空海は過去の出来事を椿に話しをしていた。お膳には椿の祖母の梅さんが、丹精込めて作った鯖寿司やカレイの一夜干しが並び二人で酒を飲んでいた。椿はまだ22歳だというのに酒は強くて笑い上戸だった。その椿が、
「空海さまは高浜や小浜の人々にとっては正一位どころか神さまになります。空海さまが若狭で漁民を指導したのと同じことを日本中ですれは空海さまが目標としている日本一の宗教教団などすぐにできます。私もその日本一の空海さまの嫁に恥じない教養を身につけるますから安心して民衆を救い、民衆を幸せにして下さい」
「そか、梅さんが椿を嫁にすれば私の夢が叶うと言っていたが、私にすれは梅さんが愛染観音に見える」
「ハハハ…梅さんが観音さん?、私には強欲婆さんにしか見えません」
「明日から一ヶ月もここで暮らすが、椿はどこか行きたい所はあるか?」
「はい、高雄神護寺の紅葉が見たいです。あの鯖街道から見る高雄渓谷の自然の紅葉は息を呑むほど綺麗で雅です。都の人々はどうして紅葉の素晴らしさがわからないのか椿には不思議でなりません」
「たしかに、梅や桃の名所はあるが、屋敷や寺の庭木になる。雄大な山の自然な高雄神護寺の紅葉か~いや~あの神護寺は和気清麻呂の私寺で境内には広大な庭の別荘があったが、その別荘を宿坊料亭にして若狭の新鮮な魚と紅葉狩りの名所にすれば高級貴族の遊び場にもなるし、庶民も神護寺で紅葉狩りが楽しめる、椿ありがとう」
空海は思いついた日が吉日と早速九常寺の奥の院の建設工事を中止にして宮大工を神護寺に集め料亭への改修突貫工事に入った。当初予定していた椿との新婚生活の場を九常寺でもなく神護寺でもなく宿坊もみじ亭にした。そしてもみじ亭の女将には当然ながら椿になる。
鯖街道④につづく
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