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小説西寺物語 45話 嵯峨天皇へ献上「若狭鯖寿司道中」大成功 鯖街道 「小説鯖街道」②1〜5話の2話

2022-08-19 05:21:45 | 日記
小説西寺物語 45話 嵯峨天皇へ献上「若狭鯖寿司道中」大成功 鯖街道
「小説鯖街道」②1〜5話の2話

 空海は嵯峨天皇への若狭鯖寿司献上の鯖寿司の数を数えていた。嵯峨天皇への献上とはいうが、やはり朝廷の公卿から貴族にまで食べてほしい。そうなると鯖寿司が何本あっても足りない。そこで高浜漁村の村長の富吉に12月4日の早朝に水揚げされる鯖の数を聞いていた、富吉は、
「なにせ定置網漁ですから色々な魚が獲れますが、鯖だけの数はまだ分かりません。しかし、過去の経験では高浜漁港全体で約300匹前後が平均になります。これは隣村の小浜漁港でも同じ位になります」
「ただ、この時期の鯖は秋サバと言って脂がのって一年でも一番旨い時期になります。女性たちの行商でも京の大店から「鯖の浜焼き」の注文を多く取っていますからこの分を確保しなければなりません」

 「そうか~なにせ大掛かりな「若狭鯖寿司献上道中」だから中途半端にはしたくはない」
「そうですね~それなら小浜漁港と提携すればなんとかできます。それに鯖寿司用の鯖と塩鯖焼用の鯖では塩加減が違います。前日の2、3日に水揚げれた鯖は塩鯖焼用と浜焼き用にして、4日の高浜、小浜漁港に水揚げされた鯖はすべて献上の鯖寿司に使えば約500本はほぼ確実になります」
「そか、悪いが富吉さん、小浜漁港と話しをしていただけませんか?」
「はい、それは任して下さい。ただ、小浜の漁民も空海さんが考えた女性行商隊を組織したいが、小浜漁港の寺は奈良仏教の末寺で高浜街道と神護寺を使わせてくれるのかと心配していますが?」
「いやいや、奈良仏教であろうが比叡山仏教であろうが高浜街道は天下の公道です。小浜漁港の女性行商隊列が通る日にはすべての番屋には警備の僧侶を常勤させます。もちろん神護寺の宿坊には誰でも利用できます」

 高浜と小浜は同じ若狭湾にある漁港で漁場も同じ場所で定置網の場所も協議して決めていた。それと代々高浜と小浜の娘らが嫁入りする先もこの両村が半分ぐらいを占めているからどの家も両村に親戚があった。そんなことで高浜漁港と小浜漁港が協力して「若狭鯖寿司献上道中」を成功させるための提携がなされた。これでなんとか鯖寿司用の鯖は確保されて1000本の鯖寿司の振分を空海は考えていた。
 空海は若狭ばかりか越前国そのものを京に売り込もうと考えていた。鯖寿司は若狭だが、鯖寿司の米は越前米の新米、酢と塩は敦賀産、昆布は敦賀湾に水揚げされる北海道産、鯖寿司を包む竹の皮も越前から調達すると決めた。その空海が決めたことを空海の横に座っている椿が書き写していた。椿が書いたものはすぐに本堂に貼られていた。

 それを弟子の僧侶が見てそれぞれの分野の僧侶がすぐに行動に出るのが真言宗の修行の一つだった。農村担当の僧侶は鯖寿司1000本に使う米の量を調べて真言宗の末寺のある村から米の購買、輸送の段取りまで素早くしていた。また酢と塩、それに松前昆布を買う僧侶はその日のうちに僧侶5人組を組織して敦賀に出発していた。

 空海は気象学を勉強していたので統計的に見て12月2、3、4日は天気で漁には支障のないと確信していたが、それはそれとして高浜と小浜の村民を集めて高浜寺で当日の晴天祈願、漁業安全祈願、若狭鯖寿司道中成功祈願の大護摩法要をしていた。この空海の大護摩法要だが、これは村民の願いを護摩木に書いてそれを100名の僧侶が読経しながら火に入れるもので空海はその護摩木に書かれた名前を一人一人読み上げていたので火の粉が顔にかかって真っ赤になっていた。このころには空海という住職は比叡山仏教の順位一位の高僧で官営東寺の官主に内定しているばかりか従六位の貴族だった。それに嵯峨天皇とは友達だということが越前国中に知れ渡り高浜と小浜の漁民たちは空海を心から信じているようになっていた。

 空海はさらに2日から5日の若狭鯖寿司道中までの工程を椿に話していた。まず2、3日に高浜港と小浜港に水揚げされた鯖は塩鯖用と行商が京に持っていく浜焼きに使う。4日早朝に水揚げされた鯖は鯖寿司用として塩をして木樽に入れて大八車で午前10時までに高浜を出発。京の九常寺に着くのが20時間後の5日の午前6時になるための鯖への塩加減を梅さんと相談して徹底すること。

 鯖が到着後すぐに鯖の下処理、鯖を酢に漬ける時間を梅さんと相談して全僧侶に徹底すること。1000本の鯖寿司となると米を炊く大釜を確保するが、すべて炊くのは無理なら3回ぐらいに分ける。最初に朝廷用の鯖寿司500本を調理すること。この鯖寿司と焼き塩鯖の100本で献上鯖とする。若狭鯖寿司道中の出発は午後2時で羅城門から朱雀大路で午後3時に大極殿前で朝廷に献上品を納める儀式で終わるが、道中の先頭には空海、弟子100名、それに高浜と小浜の女性行商隊も全員参列すること。

 九常寺に残った僧侶200名は官営西寺貫主守敏僧侶、比叡山仏教最澄、稲荷神社と松尾神社に贈呈する鯖寿司を作ること。最後に九条村からの手伝いの女性陣、大釜を拠出してくれた人々へのお礼の鯖寿司を作ること。尚、この若狭鯖寿司道中の総予算は50貫(1貫は銭1000文)とすること。これを書いて椿は高浜寺の本堂に貼り、同じ貼り紙を神護寺と九常寺に送った。それぞれの僧侶はこれを見て鯖献上の日まで20日しかないが、空海の命令を守る以外の道はなかった。

 高浜寺の僧侶100名、神護寺の僧侶200名は空海の書いた予定表を広げて作戦を練っていた。ただ、当日穫れる鯖の量は流動的で朝廷に献上する鯖寿司500本以外は臨機応変とした。また、当日小浜の漁船も高浜港に入港させて浜で塩をして木樽に詰めるが、大八車を5台用意して詰めた樽から高浜を出発させれば段取りがいい。九常寺の庭に簡易の調理場を作るなどが決まっていた。その調理場ができたら予行練習として鯖100本を仕入れて高浜港で塩をして予定時間に出発させて九常寺で九条村の女性の手伝いとともに本番通りに鯖寿司を作ることも決まっていた。そして練習で作った鯖寿司は九条村の村民が試食することも決まった。

 予行練習では鯖寿司の鯖を水洗いしてから3枚に下ろすが、中骨と皮を取る工程に時間がかかるので10名から30人に大幅に増やす。酢に漬ける時間が各自がバラバラで1人の料理僧侶に判断を託す。米を炊く工程では西寺の食堂から借りた大釜3個は炊きむらはないが、九条村からから借りた大釜7個には村民それぞれの水加減が違うために炊きむらがある。また、簡易のかまどに焼べる薪が火力の効率が悪いのか予想より消費するために薪の追加購入。簡易の板場が狭いために効率が悪く時間がかかるので増やす。井戸から板場の間が遠いために不便で時間がかかる。などなど問題点を試しに作った鯖寿司200本を九条村の手伝いの女性50名と僧侶200名で食べながら話し合っていたが、味については誰もが大満足していた。

 813年12月4日の高浜の漁船も小浜の漁船も大漁で鯖も予想以上の600匹ほど水揚げされた。高浜小浜女性行商隊も早朝5時には京へ出発していた。水揚げされた鯖は予行練習と同じ手順で手際よく塩をして樽詰めされて最後の大八車が出発したのも予定通りの10時で空海はそれを見届けてから僧侶100名とともに京へ向かった。空海のお世話係りの女性である椿は椿の母親と妹の組に同行していたが、背中に背負っている荷物は鯖の浜焼きではなく空海の着替えなどだった。

 京の九常寺でも予行練習と同じ手順で鯖寿司作りが始まりこれも予定通りで朝廷に献上する鯖寿司500本、塩焼き鯖用の鯖の切身で100匹分を3台の大八車に積み込み「献上若狭鯖寿司」と書かれた木札が高々と上げてあった。行列は正装の空海を先頭に僧侶が100名で太鼓を鳴らして歩いていた。そして献上の鯖の大八車が続き、その後に高浜小浜漁港の女性行商隊80名余りが行列をしていた。この女性行商隊はもう朝から行商をしてすべて完売で身軽で半分は若い娘だが、若者たちは見初めた娘を必死で探した娘に拍手を惜しみなく贈っていた。

 大極殿の門前では献上の鯖寿司を正面に置いて、左側に僧侶が並び、右側には高浜小浜女性行商隊が並び、大極殿の門が開いて従三位左大臣藤原朋己と若い貴族たち20数名が礼服と烏帽子の凛々しい姿で現れたが、その絵にも書けない雅な姿に娘どころか母親も過呼吸からかドタドタと倒れていた。官女、侍女ら20数名が倒れている母娘に手をかすが、その様子を目の前で見た母娘はその官女、侍女のあまりにもの艶やかさとお香の香りでこれも過呼吸なのかバタバタ倒れていた。その間に空海が左大臣に鯖寿司の目録を手渡して献上の儀式は無事終了していた。
​​       鯖街道③に続く





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