キリストや仏陀等、精神世界に卓越した指導者達を
アセンデット・マスターと呼んでいますが、
一般の人達との決定的な違いは、たった1つの
意識の違いだけです。
それは、自分自身が無条件の愛の存在であるという事実を
1点の曇り無しに確信している事にあるのです。
しかし、初めから彼等は高い意識を持っていた訳ではありません。
彼等もまた和多志達と同じように覚醒するまでの道のりを
歩みつつ、様々な想いを体験して
徐々に意識を高めていった存在です。
人生そのものを大きな許可証とし、
どんな事でも全てが必然であって
在るべくして存在していると、言う具合に
自分自身を
宇宙に委ねる事が出来た人達でもあるのです。
そして約2000年後の現在、
いよいよ和多志達の意識は
キリストや仏陀が到達した波動域へと
辿り着く事が出来ました。
後は
純粋な光を招き入れて、
自己否定する心に光を投影して逝けば良いのです。
仏陀が覚醒する切っ掛けとなった出来事は、
闇を照らすたった1つのロウソクの灯火だったのです。
たった1つの光さえあれば、
どんな状況下でも
必ず光を見逃す事は無いという
究極の気付きです。
たった1つの光とは、
仏陀の心の光を表しています。
キリストが十字架刑で
罰せられている時の最後の言葉は、
釘を打てであったと言います。
これは、生命は永遠であって
どんな事があっても自分という存在を
打ち消す事は出来ない、という究極の表現です。
そして、余り真剣に考え過ぎず、
リラックスして
人生を楽しんで生きていくと言うメッセージが
込められています。