
新婚早々、質素な住まいを宛てがわれた
秋篠宮文仁親王殿下、紀子新王妃妃殿下
不憫に思われた秩父宮妃勢津子さまが遺言して旧秩父宮邸が秋篠宮さまに寄贈された。

秋篠宮派寄りとしては大・大恩人!改めて秩父宮妃勢津子さまがどんな方なのか算命学で紐解いて参ります。
✩.*˚
秩父宮妃勢津子さま
基本データ
1909年9月9日 享年85歳
陰占図
己酉 辛 / ・ ・
癸酉 辛 / ・ ・
壬申 戊 / 庚 壬
日干壬の人は海のように心広い
地支が全て金性⇒地支金性一気格
視野は狭いが行動はブレない
殺印相性格
ご自身の努力で名誉、地位を得られやすい
生前、紀子妃は同じ会津若松出身と言う事で目にかけておいででしたと言うエピソードもあるが同じ干支の癸酉(倒異の業)や命式に酉の自刑をお持ちという点でも似た者同士です
勢津子妃のご成婚は逆賊、朝敵の領袖である松平容保殿の孫が皇室へ入輿は旧会津藩の士族の復権に繋がった。
紀子妃のご成婚も同じ。
陽占図
戌亥 牽牛 天恍
車騎 玉堂 玉堂
天貴 石門 天恍
下段の中央に石門
こちらは目下や部下に見せる顔
フランクな性格で面倒見が良かったと思われます。
1️⃣珍しい変剋律大運
大運天中殺は前半10年、後半10年 併せて20年間が飛躍するか梯子を外され真っ逆さまか
兎に角、運が通常の状態からかけ離れた運勢
これがですね
初旬天中殺(第1巡目)があり、更に大運が異常干支から始まると2倍になる⇒40年間大運天中殺となる。
スポーツ選手だと長く活躍できるのですが
一般的には何処かのタイミングで結婚されますから大運天中殺の決まり事、大運天中殺で始めた事は全う出来ない\_(・ω・`)コレ問題
秩父宮妃勢津子さまは19歳でご成婚。
普通第3巡目位から始まるので引っかかっらないはずが、流石に40年間もあるとガッツリ、どっぷり浸かります。
勢津子さまは10歳運
初旬天中殺の1巡目が終わる19歳でご成婚ですから残り30年間は天中殺婚となる。
秩父宮雍仁親王殿下も大運天中殺でのご成婚
2️⃣生貴刑の影響
大運天中殺(変剋律大運)の中での結婚生活は御苦労の連続だったかも知れませんが、節目に現れる【生貴刑】
普段は目下との争いと書いております。
秩父宮雍仁親王殿下が結核に御成になったのも、お隠れされた時も【生貴刑】が出てきます。
御病気は雍仁親王殿下の運勢
肺結核になられた時は【生貴刑】が成立
卯辰の害、肉体的疲労、精神的疲労から病気になる。2・26事件が影響したとありました
生貴刑のもう1つの意味は
物事の最初で躓く……です。
秩父宮雍仁親王殿下の結核に一番最初にお気付きになられたのは勢津子妃殿下。
なのに主治医が診断するのに手間取り、手遅れになったと書いてあったありました。
雍仁親王殿下がお隠れになったのは肺結核を患ってから12年後、辰年で卯辰の害が再び回ってきた時でした。
3️⃣お隠れになられた時
49歳で40年間と言う長い大運天中殺が抜けて85歳で天寿を全うされた。
この時の運勢が夫君と同じ【生貴刑】です
何か最初で躓く様な事があったのかしら?
運悪く年天中殺、晩年は天中殺の禍は少ないとありますが、他との兼ね合いもありそうです。
年天中殺と生貴刑と日干🐒申と亥年で【亥申の害】働きすぎや過労が原因で起こる病気とあります。
✋( ͡°ω ͡° )✋もうすぐ8月(申月)です。
亥年生まれ、亥月(11月頃生まれ)の亥日生まれの方が亥申の害に該当します。
あなたのその疲れ単なる夏バテじゃないかも
なんか異変感じたら病院へ行こう(๑•̀ㅂ•́)و✧
以上
最後迄読んで頂きありがとうございます