小西文書が出てきた本当の狙いは、安〇政権が放送法第3条違反を犯してまでマスコミに圧力を掛けていた事を明らかにして、政治介入をしない、正常化を測ろうとしたのだが、高市大臣が【捏造】だと騒ぎ、捏造でないなら辞職する⇒私の名前が出てくる4枚所だけ【ありもしないことがあった事にされる】ことを捏造と強い言葉を使ったが【内容が不確実は確か】と論点ずらしで、辞任を否定。
今な【小西文書】が【行政文書】で【正確性】かどうかにしか焦点がいかないように孤軍奮闘中で御座る。
ボス亡き後もボスの名誉を守ろうとする
高市大臣の健気さ。
そのボスが放送法の解釈の変更を迫った理由が、某TV局の報道番組で、国民への街頭インタビュー、アベノミクスの効果が余り出ていないと感想に、偏った報道だとブチ切れた結果。
そんれだけの理由でだ。
ここからは私の見解です。
安〇晋〇元総理大臣殿はうましかにされることが大変お嫌いで、手下を使って反撃する事が得意らしい。
そこでだ。
私は【秋篠宮派寄り】だ。
紀子当時文仁親王妃だった頃、御世継ぎを産んた直後からの風当たりが酷かった事を〇倍〇三元総理大臣殿とを絡めて考察していこう。
時代背景は
小〇純一郎当時総理大臣が【女性天皇】つまり当時の皇太子殿下には女のお子様しかいらっしゃらなかったので、皇位継承を【男系男子】から【男系女子】へと
する為、皇室典範の解釈の変更を国家で議論していた。
安〇さんは第3次小泉政権時(平成17年)官房長官だった。
上皇陛下が今上天皇陛下であられた時、宮内庁長官を通じて、秋篠宮にも3人目のお子様をと暗に男の子を切望された。
そして見事紀子当時文仁親王妃は、(平成18年)悠仁親王殿下をお産みになられた。
私の歓喜とは裏腹に週刊紙の悪意が露骨だった。
以前は美智子当時皇后陛下が当時皇太子殿下可愛さでと信じられていたが、もしかすると顔に泥を塗られた当時の政権がマスコミに圧力を掛けて、秋篠宮家を讃える記事が御法度になったのではないか
事実、安倍政権と皇室、特に明仁当時今上天皇陛下との相性は最悪。
例えば、譲位する話。
今上天皇陛下が直接、官邸に物申す事は出来ないので、秋篠宮文仁当時親王殿下が代弁なさると風当たりが酷くなる。
官邸は顔に泥を塗られた!うましかにされたと御立腹で相当な軋轢を生んだのは想像を難くない。
結果は当時の天皇陛下のご意向をねじ曲げられ【譲位】が【退位】とされ、年号も安〇さんが主導で、和歌から【令和】とつけられた。梅の歌。
梅と言えば、藤原道真公の左遷と祟り神
呪われてる、令和は不吉だと思い、令和の短さを感じていたが、蓋を開ければ、呪いをかけた方が先に旅立ったのではないかとさえ思う今日この頃。
安〇晋〇さん亡き後は、色々なことが明るみに出てきている。
最初は証拠を握り潰す事が上手いからだと思ったが、圧力を掛けるのが上手い人だったのかも知れぬ。
皇室に関して言えば、まだ小〇純一郎さんが健在なうちはまだまだ女性天皇の件は燻るだろうが。
以上
最後迄お付き合い有難う御座います
(*・ω・)*_ _)ペコリ