参考資料①
天皇が未成年であったり,重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には,天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし,この場合も,天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま,生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
天皇が健康を損ない,深刻な状態に立ち至った場合,これまでにも見られたように,社会が停滞し,国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして,天皇の終焉に当たっては,重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,その後 喪儀(そうぎ)に関連する行事が,1年間続きます。その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,行事に関わる人々,とりわけ残されるは,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが,胸に去来することもあります。
始めにも述べましたように,憲法の下(もと),天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で,このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ,これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり,相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう,そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ,ここに私の気持ちをお話しいたしました。
国民の理解を得られることを,切に願っています
1部抜粋
★
参考資料②
会議の様子を知る関係者は「『譲位』という言葉で明確におっしゃった。すでに熟慮を重ね、意思を固めておられる印象だった」と振り返る。出席者は一様に、皇室典範で規定され、大正天皇の前例もある「摂政」で対応されるよう翻意を促したが、陛下は「摂政では駄目なんだ」と強い口調で否定された。いつになく活発に意見が交わされ、「公務を減らして在位されてもいいのでは」との対案も出たが、陛下は最後まで譲られなかった。
★
対立の経緯は
⇩⇩⇩
☆。.:*・゜
すったもんだの後決まった
⇧⇧⇧
ここにちゃんと退位(本当は譲位)後直ちに即位するとある。
実際はどうだ!
4月30日退位(本当は譲位)
翌5月1日新天皇即位。
いくら日程で揉めたとてこれは酷い。
報復人事に報復の皇位継承分断とは
悲しい😭なぁ
☆。.:*・゜
最後にひとつの望みを書こう。
よく文仁皇嗣殿下の名称が話題になる。
皇位継承1位なので皇太子殿下か皇太弟殿下が妥当だと。
然し徳仁当時皇太子殿下が即位される時
皇嗣が…とある。
ならば文仁皇嗣殿下は下記の条文通り
皇太子殿下=皇嗣。
皇嗣が即時に即位する。
次の天皇陛下は文仁皇嗣殿下です。
(*^^*)楽しみが増えました。
(*^^*)楽しみが増えました。
以上
最後まで読ん頂きありがとうございます
m(__)m