ロシアで学ぶ万年学生の越冬生活

日々思った事を、徒然なるままに書いていきます。

恩師との再会

2011-12-11 22:20:00 | モスクワ生活記

ロシア全土で内乱!

 

と言うとんでもないニュースを発見してしまいました。

確かに10日、11日とモスクワ市内では大きなデモがありました。

詳細は上記リンクを見て頂ければわかりますが、多くのロシア人が現政権、現政治体制に不満を抱えているようですね。

ロシア全土での選挙違反を記したサイトなどもあります。

この1週間は日本大使館からの注意喚起が3回も来るほど慌ただしい週でした。

 

さて、先週は上記の様に不穏な雰囲気が漂っていましたが、個人的には非常に有意義かつ充実した週でした。

色々忙しくしていたのですが、特に記憶に残っている事は12月6日、8日、9日の3日間の出来事でした。

 

12月6日(火曜日)はとあるロシアの会社からの召喚に応じて、事務所を訪れました。

その場で色々興味深い話題に触れ、終始和やかな雰囲気で談笑をしていた所、突然夕食会へ招待されました。

断る隙も与えてもらえなかったので、それ以降の用事をなんとか融通を利かせて頂き、夕食会へ行ってきました。

ロシアの夕食にはウォッカは付き物!いくら下戸の自分でも2・3杯は・・・と思っていたのですが、この日は連日の睡眠不足と食事をまともに取らなかった上での食前の乾杯だったので、1杯ですっかり気分が悪くなってしまいました。夕食会というのに前菜だけしか食べられませんでした。

幸いにも記憶が無くなるなどの事もなく、会話を交わすことはできたので、途中で失礼をしてそれほど夜が更けていく前に帰宅できましたが、気分が悪く頭痛もしていましたので、少し横になった後、シャワーを浴び、寝床に着きました。

自分はロシアでの親睦会にはそれなりに体調を整え万全を期す必要があるようです。

 

12月8日(木曜日)は大学時代にお世話になったロシア文学研究者の岩本和久教授、大学院の指導教授ウラジミール・ジダーノフ教授と共に夕食に出かけた。

岩本和久教授はモスクワで行われたアレクサンドル・ソルジェニーツィンの生涯と創作――『赤い車輪』への道と言うシンポジウムでの発表の為にモスクワを訪問されていた。

ロシア文学に疎い自分でもアレクサンドル・ソルジェニーツィンの名前は聞いたことある。

波乱に満ちた人生を歩み、スターリンを批判した事により収容所へ送られるなど過酷な日々を送るも、1958年にニキータ・フルシチョフにより名誉回復。その後、スターリン時代の収容所の1日を描いた処女作『イワン・デニーソヴィチの一日』を発表し世界的ベストセラーになるも、フルシチョフ失脚後の1964年から暗転していく。

1970年にノーベル文学賞を受賞するも、1974年には逮捕され、国家反逆罪でレフ・トロツキー以来45年ぶりの国外追放処分を受ける。スイスを経て、1976年9月にアメリカ合衆国に移住。その後はアメリカで移住生活をしながら、密かに来日したこともある。

ゴルバチョフのペレストロイカによりソ連市民権回復、90年9月に出版された『甦れ、わがロシアよ~私なりの改革への提言』はソビエト国内で2,650万部に上り、ソ連国民の白熱の議論を呼んだ。ゴルバチョフはソ連最高会議の席上で彼の論文を絶賛。ロシアの再生に大きな影響を与えるなど、近代ソ連・ロシアに多大な影響を与えた人物である。

岩本教授の発表を直に聞くことはできなかったが、夕食時に発表された原稿と写真を見せて頂いた。

指導教授もいたのでロシア語での談話であったが、とても面白くまた勉強になったお話だった。

 

Ресторан "Духанъ Алаверды"にて岩本教授とジダーノフ教授

 

岩本教授のブログです。

 

モスクワ大学で行われたフォーラムに関してはこちら・・・。