今回は賛否両論ある内容になると思う。
今年現役大学4年の学生から俗に言う「ゆとり教育世代」である、自分はそれよりも2つしか年が違わないけれども接していて明らかに異質だと思う事は多々ある。個人的には「ゆとり」と言う単語はあまり好きではなかったのだが・・・。
競争意識や平等重視に指導されてきたのか、横の繋がりは強いと感じつつも、どうも上下関係が自分たちの時代よりは重視されていない気がする。3歳4歳程年が離れていて、対して親しいわけでもないのにいきなりタメ口、気にいらない事があると平気で口を鳴らすなど、どうも自分を抑制する能力に欠けているとしか思えない事が今いる大学の学部生には多々見える。教授に対してもタメ口とか、友人同士で話題に出すにしても、苗字に先生をつけずに教員を呼称するとかはあまり考えられなかった。
特に感じたのが先週の試験監督をしている時。事前に時間割を配布されているのにも関わらず時間管理ができていないと痛感した。まさか黒板に試験の終了時間を書いてくれなかったという苦情が来るとは思わなかった。試験を受けるのは誰で、誰が時間配分を考え、残り時間を気にするべきなのかもできなくなったのかと本当にびっくりした瞬間だった。受験番号が張られている机にも座れない学生が受験者の半分以上だと判明した時は自分の常識で彼らは対処すべきではないと思った。
もっと厳しい事を言うと、試験問題が自分に相当しているものならば、時間が極端に余ったり、足りなくなったりすることはない。余るならば簡単すぎるし、足りないならばそのレベルに自分の実力が足りていないだけである。それに回答した感触でどれぐらいの割合で点数が取れたかぐらい実感できる。
試験ならば、自分で時計を持参するのは当たり前だし、終了時間や試験解答時間に関しても頭に入れてから受験しに来るのが当たり前だと思っていた。時間配分や終了時間の掲示がなかったから解けなかったと言い訳にするのは自分自ら愚か者であるという札を首からぶら下げているようなものだ。最低限の自己管理すらできない学部生が一人だけではないと感じた瞬間だったし、大学のレベルも確かにいいわけではないから、在学中の大学生のレベルなんてこんなものなのかなとも思っていた。
初日がそんな感じで嫌気がさしたので、試験監督二日目は最上級クラスの試験監督をした。社会人が多く、少なくとも自分の常識が彼らの最低限の常識であると思ったからである。予想の通りで誰一人、座席を間違えている方はいらっしゃらなかったし、黒板に時間を書く必要すらないとのことだった。時計は持参してあたりまえだし、トイレだって監督者が来る前に行って当たり前。やはり、今の学部生世代とは違っていた。
最近はどうも名門大学でもおかしな兆候が出てきているらしい。以下、最近会ったニュースのリンクである。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/081116/crm0811161107005-n1.htm
このニュースを読んで、本当に手に負えない学生がどこにでも出てきたのだなと思った。彼らに対する反論は一言で済む。「ここは日本だ。日本にいる限りは日本の憲法を受け入れなければならない。」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081114-00000005-jct-soci
学生と教授が対等の立場なんておこがましすぎると思う。昨日、出身大学から学会発表にいらした教授の好意でロシア文学で日本を代表する教授と話をさせていただく機会を頂いた。博士課程を修了した方も同席していたが、長年指導を受けていただけに家庭的で暖かい雰囲気ではあったが、どなたも教授に対して乱暴な態度を取るわけではない。自分なんか一番下っ端であるし、名前だけしか知らなかった雲の上のような存在を目の前にして緊張しっぱなしであった。話を聞け、ついて行くだけで精一杯だった。
「モンスター」が大多数になる日がいつか来るのだろうか?とても恐ろしい状況になりそうなファクターがたくさんあると感じた最近であった。
一世代前の最低限の常識がどうやら通用しない人達が少なからず出現しているようだ。彼らと関わる時は自分が必要だと考える以上に十分な対処策を考えながら関わらないといけないのだろうか・・・。
1歳年下の世代と関わる時は特に何も思わなかったのだが・・・。
無駄に疲れるわけである・・・。
今年現役大学4年の学生から俗に言う「ゆとり教育世代」である、自分はそれよりも2つしか年が違わないけれども接していて明らかに異質だと思う事は多々ある。個人的には「ゆとり」と言う単語はあまり好きではなかったのだが・・・。
競争意識や平等重視に指導されてきたのか、横の繋がりは強いと感じつつも、どうも上下関係が自分たちの時代よりは重視されていない気がする。3歳4歳程年が離れていて、対して親しいわけでもないのにいきなりタメ口、気にいらない事があると平気で口を鳴らすなど、どうも自分を抑制する能力に欠けているとしか思えない事が今いる大学の学部生には多々見える。教授に対してもタメ口とか、友人同士で話題に出すにしても、苗字に先生をつけずに教員を呼称するとかはあまり考えられなかった。
特に感じたのが先週の試験監督をしている時。事前に時間割を配布されているのにも関わらず時間管理ができていないと痛感した。まさか黒板に試験の終了時間を書いてくれなかったという苦情が来るとは思わなかった。試験を受けるのは誰で、誰が時間配分を考え、残り時間を気にするべきなのかもできなくなったのかと本当にびっくりした瞬間だった。受験番号が張られている机にも座れない学生が受験者の半分以上だと判明した時は自分の常識で彼らは対処すべきではないと思った。
もっと厳しい事を言うと、試験問題が自分に相当しているものならば、時間が極端に余ったり、足りなくなったりすることはない。余るならば簡単すぎるし、足りないならばそのレベルに自分の実力が足りていないだけである。それに回答した感触でどれぐらいの割合で点数が取れたかぐらい実感できる。
試験ならば、自分で時計を持参するのは当たり前だし、終了時間や試験解答時間に関しても頭に入れてから受験しに来るのが当たり前だと思っていた。時間配分や終了時間の掲示がなかったから解けなかったと言い訳にするのは自分自ら愚か者であるという札を首からぶら下げているようなものだ。最低限の自己管理すらできない学部生が一人だけではないと感じた瞬間だったし、大学のレベルも確かにいいわけではないから、在学中の大学生のレベルなんてこんなものなのかなとも思っていた。
初日がそんな感じで嫌気がさしたので、試験監督二日目は最上級クラスの試験監督をした。社会人が多く、少なくとも自分の常識が彼らの最低限の常識であると思ったからである。予想の通りで誰一人、座席を間違えている方はいらっしゃらなかったし、黒板に時間を書く必要すらないとのことだった。時計は持参してあたりまえだし、トイレだって監督者が来る前に行って当たり前。やはり、今の学部生世代とは違っていた。
最近はどうも名門大学でもおかしな兆候が出てきているらしい。以下、最近会ったニュースのリンクである。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/081116/crm0811161107005-n1.htm
このニュースを読んで、本当に手に負えない学生がどこにでも出てきたのだなと思った。彼らに対する反論は一言で済む。「ここは日本だ。日本にいる限りは日本の憲法を受け入れなければならない。」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081114-00000005-jct-soci
学生と教授が対等の立場なんておこがましすぎると思う。昨日、出身大学から学会発表にいらした教授の好意でロシア文学で日本を代表する教授と話をさせていただく機会を頂いた。博士課程を修了した方も同席していたが、長年指導を受けていただけに家庭的で暖かい雰囲気ではあったが、どなたも教授に対して乱暴な態度を取るわけではない。自分なんか一番下っ端であるし、名前だけしか知らなかった雲の上のような存在を目の前にして緊張しっぱなしであった。話を聞け、ついて行くだけで精一杯だった。
「モンスター」が大多数になる日がいつか来るのだろうか?とても恐ろしい状況になりそうなファクターがたくさんあると感じた最近であった。
一世代前の最低限の常識がどうやら通用しない人達が少なからず出現しているようだ。彼らと関わる時は自分が必要だと考える以上に十分な対処策を考えながら関わらないといけないのだろうか・・・。
1歳年下の世代と関わる時は特に何も思わなかったのだが・・・。
無駄に疲れるわけである・・・。