インディギルカ号 慰霊碑〔宗谷郡猿払村〕
1939年12月12日の未明の天気もこんな嵐だったのだろうか。
慰霊碑は凍てつく船腹上で手を繋ぎ波に耐えて、救助を待つ人たちの姿を連想させる。
36年後に建設された浜鬼志別海馬島照射灯
悲劇の海の岩を照らし続ける。
この沖に全長約80mの貨客船が横たわったのだ。
利礼航路のフェリーぐらいの大きさだろう。1,000名以上が乗っていた。
夜が明けてきた。
1939年12月12日の未明の天気もこんな嵐だったのだろうか。
慰霊碑は凍てつく船腹上で手を繋ぎ波に耐えて、救助を待つ人たちの姿を連想させる。
36年後に建設された浜鬼志別海馬島照射灯
悲劇の海の岩を照らし続ける。
この沖に全長約80mの貨客船が横たわったのだ。
利礼航路のフェリーぐらいの大きさだろう。1,000名以上が乗っていた。
夜が明けてきた。