京都まち歩き

いつも京都の街を見ながら、少しづつ、京都の街を散策しております
京都の行政書士です。歩く街京都!

5月9日(火)のつぶやき

2017-05-10 03:58:54 | 神社

京都の筍

2017-05-09 21:21:38 | 日記
毎年食べているが、京都のたけのこはおいしい。
20年ほど昔に、京都の洛西地区の方が、事務所に来てくれて、ご挨拶代わりです。といっておいて行ったたけのこがおいしかったので、いつもその方のところで買っていました。
山まで何回の行きました。
親戚に送ってもいつも喜ばれます。
やわらかい。そのうちに、その方が、筍山をやめられて、また、知り合いの方を探しました。
それもおいしかった。
また、事務所の職員の方の知り合いの方からもたくさん買いました。
今年も、その方から買ってたくさん食べました。
仕事の関係で、知り合った方が、宅急便センターに筍を送っておられたので、ひやかしていると、お試しだといってたくさんいただきました。
また次の日も、昨日のものより、いいものですといってまたいただいた。
事務所の職員に、みなさんに分けました。皆、やわらかくておいしいといっていました。
私も、またその方から買うことになりました。
やっぱりおいしい。
たけのこはいくらあっても食べたいが、竹の旬と書くだけあって、もう終わりです。
地上に出るまでが一番おいしいのですが、今は、もう、上に出てきております。
来年も、また、おいしい筍を食べたい。

敵は本能寺にあり

2017-05-06 21:02:04 | 日記
この言葉は、あまりにも有名です。
京都丹波亀山城主の明智光秀が、中国地方で毛利軍勢と戦っている羽柴秀吉の応援に行く道中で、亀岡の曽我部町の法貴峠で、光秀の軍勢は、休憩をし、出発と言うところで、敵は本能寺にありといって京の都の方に引き返した。その休憩場所の岩を、明智戻り岩といって今も残っている。
そして、光秀は、老の坂(大枝の坂)を越えたといわれているが、実は、保津町の愛宕山のふもとを通っている。その道を、今では、明智越えとしてハイキングコースになっている。
このコースは、都の関所として、悪者は中々通れないところであるが、導かれるように都に入っている。
本能寺も、織田信長と数人しかいなかったところを見ても、計画されたことであったとも言われている。
徳川家康も、光秀の側についていたとも言われている。
この歴史をかえることばや、その場面に、私の祖先は深くかかわっていたようである。
詳しくはかけないが、光秀は、亀岡では、天下の殿様である。