普通って何だろうか?
みんなって、何だろうか?
平等って何だろうか?
同じサイズのTシャツを人数分、
一人一人に渡すのが平等なのだろうか?
そうじゃないよね?
この場合ならば、
一人一人の体のサイズにあったものを
渡すのが“平等”というものだろう。
クラスの全員に同じことをしても、
“平等”とは言えないだろう。
一人一人にあったことをしてこそ
“平等”といえるだろう。
例えば、私はうつ病で入院している。
うつ病で入院している全ての人に
同じ治療法を用いて、改善をするか、
一人一人にあった治療法を用いて、
改善への道を作るかで、違ってくる。
世の中の人は、(昔の私も)“平等”の意味を取り違えている。
人には、向き・不向きがある。
精神障がい者がいたり、
知的障がい者がおたり、
身的障がい者がいたり、
様々な人が世の中で混在している。
それをある程度分かった上で、
世の中の人と接しないと意味がない。
嫌いな人は嫌いで避けることもできるが
関わらなければならない時があるように
障がい者と関わるのが苦手でも
関わらなきゃいけないときがきっとある
そんな時は、“平等”とは何か考え、
自分なりに模索しながら
人と接したいものだ。
固定観念に囚われることなく、
自分なりの柔軟な頭で考えた結果を
その人に合うか考えながら、
接したいものだ。
ただ、“えこひいき”と“平等にすること”は
違う。
だから、
その人にできることはきちんとさせてあげることも忘れてはならぬ。
やれることはやり、
出来ないことは、人の力を借りる。
人間誰しも完璧な人なんていないんだ。
だから、出来ないことは出来ないと
言える力も必要であり、
助けを求めることも必要。
気がついてあげて、助けられるのも必要
ありがとう組 より学んだ事
コメントありがとうございます。
コメント頂いた時間、電気治療をしておりました。未だに緊張するせいで血管が縮こまり、何度も点滴を取り直しました。また、血管に針を刺しすぎて血管が固まっていたようです。
「普通」というのは、その人の頭の中にある理想論だと思うんですよね。だけど、それって一人一人違うじゃないですか。何が理想かなんて、一人一人違うんですよ。
その理想論を分かり合える人達で集団を作り、それを押し付ける事でいじめが発生するんだと思うんです。だから、自分の意見を押し付けるのではなく、相手の意見を尊重してあげる事が共同生活を送る上で何より大切な事だと思います。
ただ、それが中々難しいんですけどね。
電気療法の恐怖から少しは解放されましたか??
私は『普通』という言葉が嫌いです。
私の妻は、私が休職中や調子が悪いときに、決まって『普通の生活がしたい』『普通になれる??』と言います。
その度に『あなたの言う普通って何??』
と聞き返します。
病気を抱えてようとかかえてまいと、障害があろうとなかろうと、金持ちだろうと貧乏だろうと、その人が毎日笑顔で暮らせることが何よりも幸せな生活なんじゃないかなってつくづく思います。
私も毎日が笑顔で暮らせるように努めていきます、ブログ主さんも毎日が楽しく笑顔で過ごされることを願っていますね!!