どうも大雨が列島全体で激しいですね。
ちょうど今お盆休み時期です。
雨の続く中、いかがお過ごしでしょうか。
私のところでは、下の娘が泊り掛けで帰宅中です。
この時節、お盆の帰省を控えた方も多いことでしょう。
でも、帰っていたから、年寄りの避難が手伝えたとか、
様子を確認出来て安心しあった家族もいらっしゃることでしょう。
何を優先すべきは、ケース・バイ・ケースの判断ですよね。
そういう意味で、どうしたらいいんじゃないかだって、
一概な声掛けは通用がしにくいし、聞くほうも自分の中で、
自分都合にローカライズをする必要があります。
一人ひとりで条件が違うから、違うなりに、全部が全部、
何か一つの原因で、その影響により、
みんながみんな同じ被害を受けてしまい、
それで全滅をするという事態には至らない訳だし、
結局ここが多様性の重要さでもあるのですから。
仮に、どこかで犠牲があっても、それを知恵にすれば、
別のところのサバイバルに、寄与できたりする。
だから何の条件で、どういう事態になって、
これについて、どういう対処をしてみました。
そうしたら、これこれこういうことになりました。
そこに関する情報を知る時も、その内容については、
受ける側一人ひとりで違う価値・意味があるのを示唆しています。
何が誰の役に立つか、それがまだ流されている時点で、
ハッキリとしない場面だ、ということです。
どれが必要で、不要かも、流れる時点では、判然としていません。
だからこそ多くの情報が多数の人々に共有されているのって、
とっても大事で、これは確保しておくべきだなと思う。
そのために、横の流れで物事が伝わるルートというのを、
太く大きくしておくのは良さそうなことです。
外からの知らせというのを間違いなく受け取れるのと、
また内のなかでの気付きを外へ届くようにするために、
これを壁で囲んでみたり、窓を閉め切っていれば、
流れていくべき情報という風は堰き止められてしまいます。
内と外で、通れていく風が吹き抜けていくような環境を、
いつも整えておくことなのでしょうね。
そして、流れてくる情報については、その風の匂いを嗅ぎ分ける。
そんな感覚も磨いておく大切さなんだと思います。
同じことを聞いたとしても、そこに何を知るかというのは、
これは聞く側に委ねられている面が大きい訳です。
ローカライズして受け止めるからこそ、そこに取捨選択があり、
どこを取り入れて活かしたら役に立つかというのも、
まさに個々のケース毎で、みんなで違った作業があります。
その意味で、情報内容の解釈というのは、聴く側の仕事です。
これが正解ですというのは、ほかの人から教われません。
なぜなら違う条件であれば、同じ条件のときなら通用することが、
別のケースに、そのままで運用などできない相談ですから。
だからこそ、自分の置かれた局面を自身が把握できているか、
また、そこを掴み取った上で、実際に行動へ移せているのか。
これも本人次第で、現状ありきの判断になるということです。
その当人が、状況を読んで、考えを決めたら、自分で動くこと。
他の誰かが、それに取って代わる事は出来ないからです。
その部分での自分本位を、大事にしながら行動も判断もしていく。
こうした現場主義こそが、そこで求められた実際にソグイますからね。
もちろん、さらなる情報を得るのが必要な場合もある。
こうしようかなと、浮かんだとしても、もっと第三者の判断を、
そこで聞けるようなシチュエーションを自分が持っているか。
そこが考えを深めていくには重要なキーポイントになる場合も。
思い付きだけで、行動してみる、それも、ありだと思う。
けれど、もし、単なる思い付きだけで、上手くいかなかった場合、
その上手くいかない理由を見つけ、そこを修正するという、
そこの作業が必要になっても、自分で見つけられると限らない、
だから傍から見ている視点を、そこでフィードバックできるかどうか。
これが次の局面へ進むときの必須条件になるかも知れません。
その意味で、一緒に傍らにいてくれる相手を持つことは、
そうした意義深さなんだと考慮をしておくべきでしょう。
特に、自分だけでやってみて、困難を感じることが多い人だとしたら、
そこを自分が活かせているかチェックをするといいと思います。
そういう使い方をするかしないかで、同じ自分が事態を打開できるかで、
まったく違った結果が出てくるのです。
他人の知恵のようですが。それを活用するかどうかは自分の知恵です。
これは誰かに聞いてみて、相手の命令を受けたいではありません。
こうしてみたいんだけど、これについて、そっちから見て、
今どんな風に見えていますか?そういった意味合いなのです。
声を掛けられる側も、その意味内容で、見えていることを、
聞かれた相手に、その都度で返していく必要がありますから。
必ずしも判断を求められたと考える物事ではないです。
むしろ、聞いた相手が、何をどう考えたのかをこそ確かめるべきです。
そこへ向けて自分側からの見え方を告げる役目なのですから。
なんといっても、どうするかも、どうしたいかだって、
それを行うのは、本人が請け負う仕事ですから。
変な肩代わりを引き受けてしまうと、動く本人の無責任を、
そのことが助長させるようなことに繋がるのです。
相手が、無理や無茶を言い出す背景というのが、きっとそこです。
これを援助する側が心得ていないと、サポートになりません。
援助を得ようとする側だって、これから自分がすることは、
ほかでもない自分の引き受けることとして全うできないと。
自分と相手の関係というのは、こういうのが複層的に重なり合っている。
ということになるのでしょう。一方的な命令の伝達じゃあなくてね。
そういう流れというのが自然に確保をされているかどうかであり、
そこに滞りがあるかないかというのが、後の結果を生んでいたのでしょう。
さてさて、今どこも大水が流れそうで大変です。
狭い日本列島です。
海まで速やかに流れ切ってくれることを、
ただただ願いながら、ここまでにします。
どうぞ皆さん身の周りには、お気を付けくださいませ。
雨中お見舞い申し上げました。