2020-12-17 12:20:33 大原美術館の謎が 解けました。棟方志功の謎もね
12月6日放送の日曜美術館「いつもそこに“名画”があった」を NHK+で 視たよ。
NHK+ ありがたいです。 その時間に視ることができなかった放送を
1週間視ることができる。
腰を据えて 視えるからね。
あまりみないけど 大原美術館とあり 目に留まった。
私設な美術館 世界の巨匠の作品があるのか 不思議に思っていた。
大原孫三郎と小島虎次郎
※NHKの放送
奨学金を倉敷紡績(大原孫三郎)から給付されていた
小島虎次郎の 西洋美術を伝えたいとの強い依頼に応じ 大原孫三郎は 口を出さず 収集させた。
虎次郎の目利と行動力により世界の巨匠作品の収集できた。
1930年開館した大原美術館
第二次世界大戦中 昭和18年8月金属類回収令からも作品を守った。
1930年(昭和5年)児島虎次郎に収集を依頼した各国の美術品を収蔵する
◎?ちょっと違う 私の記憶違いか 現在 収集したら すごいだろうね。
息子・總一郎は 親の意思を受け継ぎ 本人の目利で収集した。
棟方志功の才能を見抜き 収集した。
世界にプロデュースしたのでと思った。
棟方志功の自筆『鯉』
才能があっても 世に出ないアーティストは一杯いるしね。
棟方志功絵 新美南吉『おぢいさんのランプ』とは知らなかった。
友達に南吉の親戚の子がいたよ。どうしているだろうか。
情勢も おおいに関係する。NHKで視た受け売りです。
戦没画学生の絵を集めた「無言館」
生き残った元画学生が無言館の種をまいた。
東京都出身の窪島誠一郎さんが無言館を作ったきっかけは、洋画家・野見山暁治さん(96)との出会いだった。野見山さんは1942年に東京美術学校を卒業し、直後に戦争に行ったものの、満州で病気になって途中で帰国した経歴を持つ。野見山さんは戦後50年が間近に迫る94年2月、窪島さんが同じ上田市で開いていた美術館「信濃デッサン館」を訪ねた。それは、窪島さんがほれ込んで収集した大正から昭和の夭折(ようせつ)画家の素描を展示する美術館で、野見山さんは催しへの出席のためにやって来たのだった。野見山さんはこの時、才能のある画学生の多くが戦争で亡くなったと窪島さんに語った。戦争で傷つき、飢えに苦しみながら死んでいった仲間のことを、生きて帰ってきた野見山さんは半世紀にわたって思い続けていた。「窪島君は早くに亡くなった絵描きの絵が好きなんだろう。放っておくと(今話した)彼らの絵はこの地上からなくなるんだよ」これを聞いた窪島さんは、野見山さんに絵の収集を手伝わせてほしいと願い出た。何もかも手探りで、美術学校の卒業者名簿などを頼りに遺族を探すことから始まり、全国の一軒一軒を訪ねるという地道な作業が予想された。それでも、絵を消滅させたくないという衝動に駆り立てられた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
戦没画学生 安井隆のスケッチ
野見山暁治 自筆作品
2021年1月から 高島屋で 始まるよ。
コロナで アートへにもっと スポットがあたるといいね。
心の栄養だからね。
体は 運動だけどね。