「誰もが若い日を経ていて、案外それはシンドイことだった。なんたって若い自分は世界の中心に居て、皆に見られていて、関心を持たれていると感じているのだからシンドかったのだろう。若さの素敵さは、痛々しさの素敵さかもしれない。」
池田澄子さん、という俳人の方の文だそうです。
私もうすぐ誕生日です。
20代の後半です。
もう20代も真ん中を過ぎたのかぁ...
そんなことを思います。
20代になって、周りの人から年齢のことを言われることが増えました。
まぁ、最近はそろそろ減ってきたけど、
若いからいいわねー
私が若い頃は...
私なんてもう年寄りだから、あなたと違って...
どれもこれも反応に困ることばかり。
おまけに、そういう若さを羨む言葉って私への思いやりはこれっぽっちも入ってないんです。
本当に私をそばで見ててくれる大人は、私を羨んだりしません。だって、20代体を壊してまで苦しんでる姿を横で見ててくれたから。そして、励ますために言ってくれるのです。
大丈夫、あなたはまだ若いからこれからいくらだって変わっていける。
歳を重ねるにつれて、いい人生になるわよ、って。
その人は言ってました。
私、これから歳をとって今までできたことを手放していくのは辛いけど、でもお金をあげるから20代に戻れ、と言われても絶対戻らないわ。だって苦しかったもの、って。
女の若さがもてはやされたり、20代ってだけで妬まれたり、やたら年上の人に偉そうにされてどこへ行ってもへこへこして
あーそーなんですかー、すごいですねー、知らなかったですー、と言って
いつも人が作ったルールや慣習を覚えて守ることに神経を尖らせて...
20代なんて碌なもんじゃない!
そう思うのです。
そんなことを考えている時、池田さんの文章はなんだか印象に残りました。
やっぱり、やっぱり若さってシンドイものなんだなぁ、と。
それと同時に、「痛々しさという素敵さ」という言葉に惹かれました。
私ブツブツ文句言ってるけど、そんな私でも素敵さを持ってることになるのかしら...
いや、違う違う!
私が素敵かはどうでもよくて、
若さのもつ痛々しさに、素敵さを見出した池田さんが、私はすごく素敵だと思ったのです。