そして、ここ数年社会人になってから自分にまとわりつくモヤモヤみたいなの少し書きたいと思います。
今、男女平等参画社会って言われているけど、今のこの日本の社会って男女平等だと言えるのかな。
そこまでじゃなくても、ほんとにそれを目指してるって言えるのかな。
私は幸せな人間だったから、高校を卒業するまで自分が女だからと諦めることはほとんどありませんでした。
いや、無意識にはあったのかもしれない。
私は可愛くないから勉強を頑張らなきゃ、
モテるとかモテないとかそういう世界線に立つと色々面倒なことがあるから、どこまでもピエロに徹してその代わりに良好な人間関係とクラスの安定した立ち位置を手に入れよう、そんなことを考えていたから。
でも、逆にいうとその程度だった。
私はずっと自分が努力さえすれば、望むものが手に入ると思っていました。勉強して高度な知識を身につければ、その知識を社会にでて発揮させる場面なんていくらでもあるだろうと。だって今少子化だとか言うし!なんて、
でも、現実は全然違いました。
新卒で入社したとき、私はたくさんの嫌がらせをされました。その相談をすると
「それは若手の女の子の洗礼だと思って。
次新しい子が入ってきたらターゲットは当たるからそれまでの我慢だよ」
そう言う人が1人でもなく、少数派でもなく、社内の多数だったことに驚いたのと同時にその会社を軽蔑するようになりました。
まぁ、でも接客業だからね。
そういう価値観の人が多いのかもね。
そう思いつつ、自分のプライベートもなんだか変わってきている気がしました。
私とずっと話している人に時々聞きたいのです。
「あれ?あなたは今誰と話してるの?
なんで私を選んで私に話しかけたの?
あなた全然私に興味ないじゃない。知ろうともしてないじゃない。」
そんなときに投げかけられる言葉はいつも一方的で、私はその人の頭の中ですでに完成された存在になっていて、目の前にいる私に人格があるなんて多分思ってないんだろうなって。
私はその人の自尊心を高めるための存在でしかないんだろうなって。
そう感じる場面が少しずつ少しずつ増えていきました。
そんな環境が嫌で転職をして。
結局今の職場でも、私はどんなに頑張ったってどんなに努力を重ねたって
結局「若手の女」から抜け出せない。
生物学的にも社会学的にも。
どんなに責任を持って働きたいと思っても身体のサイクルには振り回されるし、
どんなに仕事上成果を残しても、年上の男性上司に手柄を取られて、周りからは女の子扱いされて
最後に降ってくるのは
「もう少し器用に立ち回れば良いのに」
「頭がいい人って、なんだかかわいそうなんだね。」
そんな言葉でした。
私何度も思って。
今の私の目に見えている社会では
学歴なんてなんの役にも立たない。
どんなにいい大学を出てどんなにいい教育を受けても、
古い社会常識をアップデートしない人と、その環境に無理やり適応した人たちと同じ場所にいたら、
そんなものないも同然、むしろない方が素直に私もそんな環境に適応して
可愛い可愛いと言われることが
教えてあげるよと言われることが
嬉しい💓 みたいになって、いきやすくなれたんだろうなぁって。
学生の時に私を褒めてくれた塾の先生は
私の両親は、なんでそんな大事なことを教えてくれないで
私に頑張れば何にでもなれるしなんでもできるって当たり前のように思わせたんだろうって。
現実はね、卒業したらまずあなたは人格をなくすのよ。
あなたのこれまでの人生も性格も全部一度無くして、「若い女」になるの。
別にそれを嫌だって言ってもいい。
嫌だって言って社内で居づらくなることに耐えられるなら。
会社を辞めて1人で生きていく道を見つけられるなら。
嫌だと言っても、まぁ君なら仕方ないと黙らせられるような仕事ができるのなら。
だから、それまでは、そうなるまでは
あなたは「若い女」になって
夜中に気持ち悪いと叫びながら起きてしまうような異性からの扱いに耐えて
年長者からの嫌味に笑顔で気づかないふりをして家に帰って枕を殴り続ける生活になるのよ。
それが、まずたくさん勉強してたくさん人に優しくしてどうやったらより自分が望む自分になれるかってまっすぐ向き合って生きてきたあなたがすることなんだよって。
そして、そうやって一生懸命働くことと向き合ってみな。
数年経つと、結婚出産って言葉を吐きたくなるくらい何度も何度も聞くことになるから。
今までこれだけ努力して私が手に入れようとしてきた社会的な地位を簡単にリセットさせるボタン、結婚・出産を
押し付けてくる大きな圧力の中に放り込まれるのよ。
何度も何度も泣きながら、なんで私は女に生まれたんだろうって
ここ数年思っていました。
でも、今立ち止まる生活をする中で
やっと前向きに考えられるようになっていて。
一般論とか多数派とか抜きにして。
私は私が好きだと思う考えを持つ人と関わろう、私をちゃんと見てくれてちゃんと扱ってくれる人と仕事をしよう。
大きな社会が変わらなくても
完璧に居心地のいい世界を作ることはできなくても
手の届く範囲から少しずつ
私のことをちゃんと見て尊重してくれる人と環境を選んでいこうって、そう思い始めました。
聞きたくない声が溢れかえって
向けられたくない視線を向けられる外の世界で
私は一度外を歩けなくなったけれど。
耳を塞いで目を閉じてマスクをつけて
必死で自分の世界を閉じながら守りながら
また外とつながろうとしています。
そんな時に最近の芸能界を取り巻くニュースやSNSが目に触れると
足場が崩れ落ちそうになることが多々あります。
これはさ、面白がる話でも
人の興味関心を引き立てる話でもなんでもないんだよ。
こんなニュース、見るだけで聞くだけで
泣きたくなる人がいるんだよ。
人を傷つけるには十分すぎる話なんだよ。
わかってもらえるわけないって
こんな気持ちにさせられてきた今の社会にはそんなこと言っても通じないんだろうなってわかってるけど、
でも、やっぱり何も言わずにただただ耐えるのは違うと思ったから。
もういい加減、すでに傷ついてる人に追い打ちをかけるのはやめようよ。
綺麗事を言うのも
差別や見下す視線がないことを装うのもやめたらいいのに。
この悲しい現実が変わらないとしても
まず今の目の前の世界って
とても悲しいよねって
そんなことをはっきり認めないとなぁって
なんだか、そんなことを思って
こんな小さなところででも確かに
私は自分の声を残したいです。