aCappella好き♪

火葬に参列して思ったこと。

叔母の火葬へ。

夫の従兄弟である喪主のNクンと、奥様と一人娘。
喪主の妹Wちゃんと、旦那様と一人娘。
そこに
夫と私。

明るく送ろう、と
口々に叔母に言葉をかけながら
大好きだったという プチトマトと花で胸元を飾り
家族の写真を入れた。

「愛情深く育ててもらったね」
と、号泣していたWちゃん。
「大丈夫かな、あいつ。
お母さんがいるから生きていられる、とか
言ってたから…。」
とNクン。

「施設には、手を握って看取りたいと
伝えてあったので
二日間、泊まりで付き添いました。

毎朝、母に電話をしながら
仕事に向かったあの道を歩くのは 
当分キツい…。」
と、Wちゃんが言っていた。


そうなのか〜
みんな優しいんだな。

私はクールかもしれない。

26歳の時、突然父が60歳で亡くなって
当時住んでいた三重からは
到底間に合わなかった。

自分でも不思議なほどに
葬儀では気丈に振る舞い、
…それは親族誰もがそうだった。

そのあとは、夜に時々、布団の中で
声をあげて泣いたりもしたが

「太く短く、生きる。
60歳で死ぬ」と
若い頃から何度も言っていた父が

退職間も無く、
堂々とした姿のままで
皆の記憶に残れたことは
よかったのだなあと思えた。

(少〜し、認知気味?な予感があったから)

この世の全ては、
神様が一番、その人に良かれと思うように
出来ていると思うことにしている。

そうなった自分と、ならない自分を
どちらも生きることは出来ないのだから…

きっとなるべくしてなったのだろう、と
思えば諦められる。

(そんなことを言えるのは
あなたがしあわせだから、と言われれば

…それは確かにそうなのだが。)


叔母は幸せだったと思う。
娘に手を握られて、息子もそばにいて…
痛むでも苦しむでもなく、
自然に息を引き取ったという。

親戚からいろんなことを言われた叔母だが
家族といる時のこの人は
違う顔を持っていたのかもしれない。
愛に溢れた、優しい人だったのだろう。


なんだか、考えさせられた。

娘がいない義母は、
こんな優しさに見守られて最期を遂げることが
出来るのかしら。

してあげられるとすれば、
嫁の私しかいないのに…。


そして私も
この世に別れを告げる時、
子供達にどんな風に思われる人生なのだろう。

愛される年寄りになりたい、と思う。

負けず嫌いや意地を張ることで
嫌われるなんてつまらないよね。


相手によるのだ。

義母が良い人の時は
私も優しくできる。

…それはお互いに、かな。

どんなにカチンと来ても、
陰でしかめっつらをするくらいのもんで

義母にわからないようにやるべき、とは
いつも思っているけれど

それはなかなか難しい。

願わくば、義母も
私にとってのありがたい人であってほしい…かな?





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