このページの画像は、故あって表示されませんが、
連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、
別途、新しく作り直すことにしました。
同じ内容ですが、画像はその限りではありません。
新たなページは、
(以下、本文)
レオナルド・ダ・ヴィンチが主宰する仮想の
時空劇『最後の晩餐』は、漸次、その舞台が
第三幕から第四幕へと移り変わり、

現在、我々は、「エロス」がテーマ(主題)で
ある「肉性」および「情念」の情動が支配する
欲望の時代を鋭意 観劇(出演)中であること
を再度、思い出していただきたいと思います。
時空劇『最後の晩餐』のシナリオを
ダ・ヴィンチ仕様に解剖すれば、


序幕はカオス(混沌次元)で、すべての
要素が混然一体としている状態です。

<『東方三博士の礼拝』の世界1>
バルトロマイ、ユダ、ヨハネ、イエス、
トマス、マタイ、シモン他、全キャスト
によるビッグバン以前の混沌空間

反転画像との合成(混然一体)画像
第一幕はロゴス(宇宙論理)で、「天」
としての「理性」の誕生です。

<『東方三博士の礼拝』の世界2>
バルトロマイ、小ヤコブ、アンデレに
よるビッグバンの衝撃と光の誕生

反物質とダークマター(エネルギー)

反物質をイメージさせる反転画像
第二幕はエトス(地球倫理)で、「地」
としての「知性」および「品性」です。

(この場合には、物質や生命の出現および
知識の出発点を意味します)
<『岩窟の聖母』ルーブル版世界>
ユダ、ペテロ、ヨハネ、イエスによる
物質の出現及び人類の誕生と進化

『岩窟の聖母』ルーブル版 『岩窟の聖母』ロンドン版
第三幕はパトス(生命感情)で、「人」
としての「感性」および「疑念」です。

(この場合には、精神性や共感とともに堕落
や反目・偽善・欺瞞を意図します)
<『岩窟の聖母』ロンドン版世界>
イエス、トマス、大ヤコブ、フィリポ
による改竄された歴史の闇と真実

第四幕はエロス(憎愛感情)で、「愛」
としての「肉性」および「情念」です。

(この場合には、肉的な欲望やイデオロギー
および宗教的対立が描かれます)

<『東方三博士の礼拝』の世界3>
マタイ、タダイ、シモンによる文明
の衝突とイデオロギー(宗教)戦争

そして、

最終幕はハデス(冥府冥界)で、すべて
の構成要素がハルマゲドンによって
消滅しかけますが、

その後、

出典:search.yahoo.co.jp
復活再生してロゴスへと回帰し、

出典:www.2cb.info
エンディングのカオスに戻ります。
<「冥府冥界」からの復活の朝餉>

オールキャストによる永遠の循環
を希求して大団円(終演)を迎える
― 以上 ―
こうしてみると、

アテナイの学堂 ラファエロ・サンティ画
古代ギリシャの哲学者プラトンの提唱する
『イデア論』が『最後の晩餐』の
脚本(シナリオ)のベースにあることは、

アテナイの学堂(プラトンとアリストテレス)
各幕の主題からも容易に想像がつく
と思われますが、それを脚色するものは、
若き日に体験した「幻視」でした。




『ダ・ヴィンチの罠 松果体』

『ダ・ヴィンチの罠 白日夢』

などを参考にしてください。
ダ・ヴィンチが、プラトンに傾倒していた
ことは、この『ダ・ヴィンチの罠』の
シリーズの中で何度となく触れていますが、

アテナイの学堂(プラトン)
それらはすべて「プラトニズム」に
関連するものでしたが、ここでは事物の
真の姿であるとされる「真実在」
を問うものとなっています。
先に、
『ダ・ヴィンチの罠 想像力』

のページで「鏡」が映し出す世界が
真実の姿で、我々が現実であると自覚
する空間が虚の世界なのでは ・・・
というような疑問を投げかけましたが、
ダ・ヴィンチがそう思っていたかどうかは
定かではありません。
ただ、そのように考えていたと仮定する
といくつかの事柄に整合性が見られる
ばかりではなく『イデア論』の考え方
ともかなりの点で符合してきます。

ダ・ヴィンチが鏡文字を多用したことや、

「罠」としての隠し絵や騙し絵に


鏡像を利用していること、

さらに、合わせ鏡の中につくられる永遠
の奥行きに真実の世界があって、

出典:news.infoseek.co.jp
それが人間レオナルド・ダ・ヴィンチの魂
をして、普遍的真理である「真善美」
のイデアへの憧れとなっていたこと
などを考え合わせると次の言葉の本当の
意味が見えてくるような気がします。
曰く、
「よく知られているように、間違いという
ものは、自分の仕事よりも他人の仕事
の中に見つけやすいものだ。
絵を描くときには、平らな鏡を使って、
そこに自分の作品を映してみるとよい。
すると、絵が左右逆に映し出される。
そうすれば、誰かほかの画家によって
描かれているように見え、じかに自分
の絵を見ているときよりも、その欠点
が見えるものだ」
(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
イデア(事物の真の姿)とは、理性
によって把握される事物の本質で、
現実の世界は、言わば、イデアの世界
をコピーした仮想(影)であるという。

出典:www.itmedia.co.jp
つまり、
「鏡」を介して見える「欠点」とは
「虚仮」(こけ)のことで、仮りの世界の
姿(鶏の影)が見えてくるという意味です。
要するに、
イデアの世界では事象を理性で
捉らえ、現実の世界では事象を感性
(感覚)で捉えるわけですから、
そこに「鏡」を介在させることにより
心眼ならぬ理眼を得るわけです。
さて、これから観劇する

出典:imart.co.jp
第二幕はビッグバンの100秒後の宇宙
から約138億年が経過したイエスの誕生前夜
(B.C

超ロングスパンですが、

出典:imart.co.jp
第二幕の終盤から第三幕にかけて「地」
では、ロゴス(論理)とエトス(倫理)の
喪失という憂(うれ)うべき大変革期に
入ります。

出典:blog.livedoor.jp
「人」の誕生で、理性(ことわり)の
次元から感性(たましい)の次元への
大転換が行われることになったのです。
このことが、
かのアンブローズ・ビアスの傑作である
『悪魔の辞典』での、口(くち)を、

出典:ameblo.jp
「男にあっては魂への入口、
女にとっては感情の出口」
であると言わしめた原因であり、理由
でもあったわけなのですが ・・・
(もちろんジョークですよ


A・ビアスは皮肉屋の冷笑家ですから



楽園を追放されるアダムとエバ
ギュスターヴ・ドレ画
したがって、
第一幕~第三幕までが「天.地.人」
の物語で、第四幕が「愛」、最終幕では
「死と復活」、そして「循環」という
ネバーエンディングストーリー
になっているわけなのです



ところで、
聖徳太子の最期の言葉として知られる
ものに、「世間虚仮、唯仏是真」
(せけんこけ、ゆいぶつぜしん)がありますが、
「この世の中は、なんとも虚(むな)しい仮の
もので、唯一、仏のみが真である」
仏(ほとけ)をロゴスに置き換えれば、
そのまま『最後の晩餐』のワンシーン
であり、『イデア論』のシナリオです。
即(すなわ)ち、

鶏のイデアと実体として知覚するイデアの影
イデアのみが知の目指すべき時空を
超えた非物体的なる永遠の実在、
「真実在」であって、人間はイデア
のコピーや影絵(シルエット)を本当の
この世の実体だと思っているというのです。
それにしても、
あの聖徳太子ですら、死ぬときには
「世間虚仮」ともらすわけですから、
如何に「この世が虚しい」ものか
「なお凡人をや」の心境です。
しかしながら、
ダ・ヴィンチは『イデア論』を100%
信奉していたわけではありません。
それは、彼の「美意識」や「善」
や「真」に対する考え方にあります。
ダ・ヴィンチの「美意識」については、
『ダ・ヴィンチの罠 美意識』

を参考にしてみてください。
ダ・ヴィンチから見れば、

「真」かならずしも「善」ならず、
「善」かならずしも「美」ならず、
「美」かならずしも「真」ならず。

であり、芸術家としての感性や感覚
(主に視覚)を重要視していた結果ですが、

それも「幻視」によるトラウマの
影響よるものかもしれませんね。
一見、矛盾するような内容ですが、
我々には直接見ることができない裏側
の世界を「鏡」がありのままに映し出す
ことで、イデアの世界が垣間見られると
信じていたからでしょうか


それとも、
「真善美」のイデアに対する
憧れとは別の、反発にも似た挑戦
だったのでしょうか

なにしろ、
「天邪鬼」な人間ですからねぇ


詰まるところ、
「真善美」のイデアなるものや
「卵が先か、鶏が先か !!」
と悩んでしまうような「知性」の芽生え、

出典:www.itmedia.co.jp
或いは「心技体」なる「品性」
の確立を模索させるが如き現象界
(感覚世界)としての宇宙的な時空
(時間や銀河団や太陽系や地球や人間)
を登場させるのが第二幕ですが、

地球

数々の変遷や紆余曲折があって、

人類進化 grace-church.or.jp
そのうちのいくつかを幻として知覚
することになったダ・ヴィンチは地球

の新陳代謝としての大陸移動
を想起してイマジネーションを
大いに働かせることになるのですが ・・・

パンゲア大陸の分離 wikiperia
それは、また次回以降に、
時空劇『最後の晩餐』における
鑑賞の予習として、出来れば、
『ダ・ヴィンチの罠 超大陸』

を参照しておいてください。


パンゲア大陸の移動 jamstec.go.jp
ところで、
「わしの役はいつ移動するのかのぉ」
「わしがアダムでアンタがイヴじゃあ」

「ペテロ言うてるやん、オッサン」

「イデアの影を知らないのかしら」
「アタシの尾を踏んだら大変よ !!」

「アタイの尻尾もネ




う~ん、「真善美」とは ・・・
… to be continue !!