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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 継承者

 このページの画像は、故あって表示されませんが、

連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、

別途、新しく作り直すことにしました。

 同じ内容ですが、画像はその限りではありません。

  新たなページは、

 『ダ・ヴィンチの罠 継承者(改)』です。

 (以下、本文)

 

 御代替わりとなる平成31年が明けてから
一カ月が経過しようとしています。

 平成が始まった1989年1月23日、20世紀
絵画での最後の巨匠のひとりとして名高い
スペインの画家サルバドール・ダリ
亡くなっていますが、

     

 「大天才」自称して憚らなかった
ダリは、自分自身の作品に対して、

 ダリの作品はにもわからない。
     ダリにもわからない」


 と述べています。

 「ダリ(誰)にもわからない」って、

     
     「ダジャレかいな」

 数々の奇行と逸話で名を馳せたダリは、
フロイトの精神分析や哲学書を読みあさり、
幻覚や夢などにおける錯乱的な精神心理
を独自の写実手法で捉えた超現実主義の
画風で知られていますが、


     『記憶の固執』(1931年) 

 ダリの代表作『記憶の固執』での
ふにゃふにゃのやわらかい3つの時計は、
それぞれに異なる時刻を示しています。

 それを現在・過去・未来の象徴だろうと
想像するのは鑑賞者の勝手でしょうが、

 問題は4つ目の時計であろうと思われる
オレンジ色の懐中時計の存在です。


 『もっと知りたいサルバドール・ダリ』村松和明著の表紙

 DALIの文字のⅮの上にある一品ですが、
リューズ(竜頭)が見えるので懐中時計だと
思いますが コンパス(方位磁針)の可能性
もゼロというわけではではありませんnose7

 表面に屯(たむろ)する蟻のように見えて
アリではないナノテクノロジーで開発された
超機械的な異物 ・・・


      『記憶の固執』部分

 何千ものナノ・マシンが連動して機能する
ひとつの機械生物(昆虫型のミニロボット
やマイクロ・ロボット)たちの集まりのように
見えなくもありません。

 だとすると、

 未来世界を先取りした予言めいた作品
とも言えるわけですが、

 美術批評家たちによれば、

 これは蟻で、ダリの絵画ではアリやハエ
などの虫は腐敗や死の象徴なのだそうで、

 現在の自分から見れば、記憶に残る過去
の時間はゆっくりと崩れて溶け出し、腐敗
した時間の中で残った記憶は「過去の残滓」
あるいは残渣物として、心に留まっただけの
残りカスであって、それが自己を固執させる
深層を形成してゆくのだとか ・・・

 

 ふにゃふにゃの時計はアインシュタインの
『一般相対性理論』を下敷きにして
導かれる空間の歪(ゆが)みや時間の遅れ、
いわゆる時空の歪(ひず)みを取り入れた
もので、互いに時間の異なる 3つの時計は
夢や幻想の中で現在・過去・未来が一体化
している状態を表現したものであると評して
いますが、

 まあ



 ダリから言わせれば、徐々に溶けていく
カマンベールチーズを見て「進行する時間」
と「溶けてゆくチーズ」の様子が同じものの
ように思えただけのことで、

 あくまでも

 そこにヒラメキがあっただけだとか

    

 さすれば、
 
 ダリの作品はにもわからない」

 たぶん、

 本人自身にもわかっていない」

 ということなのでしょうか

 然は然りながら

 それから23年後に描かれた続編となる


  『記憶の固執の崩壊』(1954年)

 作品では、それぞれの時計が変化・変容
して、懐中時計は消えてなくなり、かわりに
第4の時計がキューブの海に沈んでいます。

 これらのキューブは、ハイパーキューブと
呼ばれ、原子と宇宙を象徴し量子論的には
原子核の分裂を表わすものです。

 言わば、原子爆弾による核分裂と破滅の
イメージなのでしょうか

 少なくとも小生には、ダリの方程式による
計算され尽くした作品であって、
 
 ダリの作品はダリにもわからない」
のではなく、方程式変数ダリ以外
には不明なだけなのだと思われます。

 いやいや、そうではなく、

 そこには遠大深淵なるダリの世界
があるという人がいるかもしれませんが、

 「誰にもわからない」 

 は少々言い過ぎであって、ダリの奇行は
ハッタリであり、一種異様なパフォーマンス
であったのだと思われます。

 「自分の芸術を真に理解できる
    のは数学者だけである」


    (レオナルド・ダ・ヴィンチ)



 と綴ったレオナルド・ダ・ヴィンチ
仕組んだ、緻密な計算のもとに綿密に設計
され組み立てられた「罠」重層的
迷宮に比べると ・・・



 ダリのそれは同じような「騙し絵」
「隠し絵」にしてもそうですが、


   『サルバドール・ダリの騙し絵』

 誰にでも理解可能な範疇のものであり、
そこが奥深い「謎」を秘めたダ・ヴィンチ
の絵画との大きな相違点かもしれません。

 とはいえ、いや、だからこそ、

 ダリの作品には誰もが惹かれる魅力が
あるのであって、特にカトリックに入信して
からの宗教画には魅了されるばかりです。


  『Christ of Saint John of the Cross』
    『十字架の聖ヨハネのキリスト』

 ハイパーキューブでつくられた十字架や


  『ハイパーキューブの十字架』

 そのシンボル(十字架)が故に磔られた


  『ハイパーキューブの十字架』

 イエス・キリストの磔刑図にしても、


      『Crucifixion(磔刑)』

 『最後の晩餐』の特異な構図や


      『最後の晩餐』(1955年)

 正十二面体を模った世界観にしても、

 

 実に興味をそそられる作品なわけです。

 ところで

 平成最後の正月(1月)のブログ記事に、
平成最初の年に亡くなったダリの作品を
取り上げたのは、ダリのファーストネーム
、サルバドール right サルバトール・ムンディ
(世界の救世主)という関連性(つながり)
を考慮してのことですが、

 
 『サルバトール・ムンディ(救世主)』

 『記憶の固執』における懐中時計
(第4の時計)の意図やダリ自身の
ついては 紙幅の都合上、割愛とさせて
いただきます。

 
     『記憶の固執』(1931年) 

 なお、

 機会があればもっと別のタイミングで
より詳しく触れてみたいと考えています
ので、今回はお許しのほどを ・・・

 さて、それでは、そろそろ、



 『サルバトール・ムンディ』
真贋に関するダ・ヴィンチ以外の画家の筆
による可能性についての言及をしてみたい
と思いますが、

 まずは、これらの絵画をご覧ください。


  『聖セバスチャンとしての少年像』
ジョヴァンニ・アントニオ・ボルトラッフィオ

 
 『矢を持つ若者』 ジョヴァンニ・アントニオ・ボルトラッフィオ


 『若きキリスト』 ジョヴァンニ・アントニオ・ボルトラッフィオ

 
 『サルバトール・ムンディ(救世主)』

 何か感じるものがありませんか

 聞くところでは、

 ダ・ヴィンチが工房の弟子たちや門人に
対して行った指導は、かなり厳しく絵筆
握るに至るには長い習練の時期があって、
その間はひたすら素描(デッサン)
習得に充てられていたのだそうですが、


 貴婦人の肖像の素描 ジョヴァンニ・アントニオ・ボルトラッフィオ
      up_slow
 これは生半な力量ではありません

 1501年に ダ・ヴィンチの工房を訪問した
ビュトロ・ダ・ノベルラーラによると、

 「ダ・ヴィンチの見習いたちが肖像画を
 制作しており、彼はときどき、どれかの
 絵に手を加えていた」

 というような証言をしています。

 【美術情報2017】を参考にすれば、


 『女性の肖像』 ジョヴァンニ・アントニオ・ボルトラッフィオ
     【美術情報2017】より
 
 美術批評家によるダ・ヴィンチの弟子たち
評価はさまざまですが、

 ジョヴァンニ・アントニオ・ボルトラッフィオ
についての評価安定していて、



 彼の作品のうちのいくつかは、ダ・ヴィンチ
が直接的に手を加えたという推定もできるし、
彼のダ・ヴィンチ風のリズムは多くの批評家
たちを納得させるに足るだけの力強いトーン
を持っているとのことでした。

 ダ・ヴィンチの弟子たちと言えば、

 遺言により遺産のほとんどを受け継いだ
「後継者」たるフランチェスコ・メルツィ
や愛弟子とされる通称サライ(小悪魔)こと
ジャン・ジャコモ・カプロッティが有名ですが

  
 『レダと白鳥』チェザーレ・ダ・セスト模写

 彼の工房で最も才能のある弟子の中の
ひとりが、チェザーレ・ダ・セストであって、
ジョヴァンニ・アントニオ・ボルトラッフィオ
が、もうひとりの双璧として挙げられます。

 つまり、実際上の技術の継承というか、
事実上の「後継者」は双璧たる二人
のうちの一人であるというべきでしょうが、

 ここでは、あえて、

 「後継者」ではなく「継承者」
しておきましょう。

 はてさて、小生の見る限りにおいて、

 

 『サルバトール・ムンディ』
を描いた画家は、

 それが、

 ダ・ヴィンチの筆でなければ、その可能性
はジョヴァンニ・アントニオ・ボルトラッフィオ
が最も高いと思われるのですが ・・・

 なるほど、

 Giovanni Antonio Boltaffio ですか

 異論反論オブジェクション
が起こりそうですので、

   

 この続きは、次回へと持ち越しとします。

 
 何じゃ、何じゃ、レオナルド・ダ・ヴィンチの

 「後継者」にして、「継承者」とな

 ところで、

 平成の御代に替わる、新たな天皇陛下
(現皇太子殿下)は、

 言わば、

 今上陛下であられる平成天皇

 「後継者」にして、和の国
日本「継承者」なんじゃ !!

  

 そだねー! それにしても,

 「元号なんじゃろなぁ・・・」


  「ワイワイ」 「ガヤガヤ」

        ふむ

       何々

       !!

      出典:shanti-phuia.net

   こいつ、誰だ !!

   ・・・ って、おいおい、


     出典:cardiac.exblog.jp



 「神は、実に、そのひとり子をお与え
 になったほどに世を愛された。
 
 それは御子を信じる者がひとりとして
 滅びることなく、永遠のいのちを持つ
 ためである」


   (ヨハネの福音書3章16節)

 「解剖して分かったことだが、
人間は死ぬように出来ている」


   (レオナルド・ダ・ヴィンチ)

 … to be continue !!

  
      出典:blog.livedoor.jp


『聖アンナと聖母子』『モナリザ』『洗礼者聖ヨハネ』

コメント一覧

きくらげ
ノアの大洪水の後に、もう二度と水をもってこの地を呪い滅ぼすことはしないという神の「虹の誓い(約束)」には、どこか物語的な演出の嘘を感じるが、今般の天皇陛下の即位礼正殿の儀における虹の出現は紛れもない真実の出来事です。

話は変わりますが、ディアドコイ(後継者たち)から『後継者』のページを経て、『継承者』に来たわけですが、あらためて読み直すと、妙に意味深なフレーズが多いことに気づきます。

『サルバトール・ムンディ』はダ・ヴィンチの作品と鑑定されて、510億円の値がつけられましたが、真筆か否かはわかりません。

これをイエス・キリストの存在になぞらえると真の救世主か否か、分からないということになります。

仮に、弟子のボルトラッフィオの作品であるのが真実だとすれば、真の救世主は他にいることを臭わせていたことになります。

サルバドール・ダリの『十字架の聖ヨハネのキリスト』の絵も、聖ヨハネ違いの洗礼者聖ヨハネをサブリミナルに訴えかけていたのかもしれないし、五角形で構成される正十二面体やゴルディオン・ノットにも、何らかの意図や意味が隠されているのかもしれません。

迂闊にコメントした過去の言葉を消したいくらいに、裏だらけだったとは・・・
江戸川ドイル
ダリ、やるじゃん! 自称「天才」はダテじゃないね!

弟子の描く肖像画にダヴィンチが手を加えていた。

これで決まりでしょ! 
きくらげ
もともと、工房に所属していた弟子のボルトラッフィオの作品だと言われていましたよね。

別段、目新しい説ではないけど、何か裏でもあるのでしょうか?
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