きょうで10日目ですが、残念ながら被災者の救出作業が
打ち切られることになるそうです。
被災した日本人のうち、依然として28人の安否は不明の
ままですが、新たに生存者を発見する可能性がないとして、
同国政府より正式に発表されたようなのです。
現在までに発表されている死者の数は161人で、そのうち
身元が確認されている遺体は、たったの16人のみで、その
なかに日本人は一人も含まれていません。
被災者の家族らは、身元が分からない犠牲者の遺体が
安置されている郊外の軍基地を訪れ、献花をしたそうです
が、安置所内には入ることは許されずに、建物の外に花を
供えたそうなのです。
「短い人生を精一杯生きたことをほめてあげたい」 と
語ったある被災者の父親の無念な想いに、目頭が熱くなり
胸が詰まりました。
最終的な死者の数は、240人に上る見通しのようですが、
特に邦人の被災者は希望を胸にニュージーランドにやって
来た若者が多く、いたたまれない気持ちで一杯になります。
被災者家族への対応や救助活動については、もう少し
なんとかならなかったものかと思われてなりません。
さて、前回まで連載していた
『アリとセミの物語』 は、<無常観> を
背景にして 「生きるとは何か

あると1号 さんは結論づけたようですが、この世の中は
やはり残酷なものです。
完結篇にあるように、人はいつ死ぬかも分からぬままに、
明日がどうなるのかも知れません。
今回のニュージーランド地震のような突然の天変地異や
不慮の事故で、あたら若い命が無惨にも失われてしまうこと
もないとは言えません。
だからこそ、
人生、いつどこで、たとえ、どのようなかたちでピリオドが
打たれようとも 凜 として、いい人生 だったと胸を張れる
ような結末を残せる生き方をしたいものです。
ところで、<凜として>の<りん>の字ですが、一般的には
<凛として>と表記しますが、これは俗字なんだそうです。
世間を騒然とさせている京大のカンニング事件の舞台の
ひとつでもある <YAHOO!知恵袋> によると …
旁(つくり)の右下が<示>ではなく<禾>でなくてはならず
正しくは、<凜として>と書くそうなのですが …。
見かけるのは<凛 として>という表記ばかりです。
それほどまでに厳密にしないといけないのでしょうか と
いう疑問とともに知恵袋の答えにも疑問や不安が残ります。
パソコンその他から漢字変換されない正しい漢字表記は
存外に多いですし、今はなんでも 「大丈夫、大丈夫」 と
いった感じに安易な言葉や表現が堂々として通用してしまう
ような時代ですから。
「大丈夫、大丈夫だよ

でも、ほんとに 大丈夫 なのかなぁ
たとえば、この …
『透明人間たちの気まぐれ日記』 という
ブログも、2号 が 3号 から引き継ぎを受けたあと
暫(しばら)くの期間に渡って、ほったらかしていた関係で、
いつしか 1号 さんが タッチ するようになり、今では
すっかり 1号 さんの ペース で配分されています。
そんな事態を見てとってか …
「これって 2号 さんにとってみれば、想定外でちっとも
大丈夫 な出来事じゃないですよね」 などと、隣の席から
同病相憐れむ境遇にある 5号 が囁(ささや)いた。
というわけで、全部で透明人間は何号になるでしょう
… って、そうじゃないでしょ
と、ツッコミ が入ったところで、
今回は 1号 さんの差配に対して、些(いささ)かの不満も
ないとは言えない 2号 の 『大丈夫じゃない話』
の巻です。
たとえば、誰かの様子を見て、(大丈夫、大丈夫

返事を期待して、「大丈夫か

いきなり 「大丈夫じゃないよ」 って 返されたら、
こっちのほうが 大丈夫 じゃなくなっちゃって、目を白黒と
させてしまうものです。
どうフォローしよう。 何と言って励ましたらいいのだろう
とオロオロとしてしまうのかもしれません。
かと言って、「大丈夫」 を素通りして、「平気」 って
応えられても辛いものです。
「そう、ほんとに平気?」 としか返す言葉が見つからない
のだけれど …
(我慢するから、耐えるから … わたし平気


… みたいなシチュエーション だと、とても平気
ではいられません。
この辺りの件(くだり)については、随分、以前に書いた
『いろんな意味で大丈夫?』 の受け売りと
焼き直しなのですが …、
やはり、「大丈夫、大丈夫」 と言ってもらうのが、
無難のようですね。

そう言えば、そのときに …
給油しようと GS(ガソリンスタンド) に寄って、いつもの
クレジットカード を渡したら、若いスタンドマンから
「こちらの カード で 大丈夫 ですか」 と言われ、
残高不足やブラックリストに載った覚えもかったので、一瞬
、ムッ


「たぶん、大丈夫 です」 と、小声で応えてしまったという
なんともしっくりとこない オチ を書いたけど …
本当の意味で大丈夫 じゃなかったのは、件(くだん)の
GS の方だったんです。
なぜなら、オチに使ったGS が不況で店をたたんで
から、もうかれこれ 9ヶ月 近くになるのですから …。
不況(不景気)と言えば、好況(好景気)に対応する
反対語だったはずですよね
でも、もう、随分と長いこと景気のいい話を耳にしていない
ので好況や好景気という 言葉 が、果たして日本語として
存在しているのか、怪しい気持ちになってきます。
もう、「いい加減にしてくれ

日本の政治家たちの体たらくに、与党も野党もありません。
民主党には、「内輪もめをしている時じゃねえだろ

言いたいし、自民党には、「なんとか協力できないのか

と言いたいのです。
身勝手な政治家たちの危機感のなさは重篤で、失望から
絶望の淵 に立たされつつある切実なる国民の気持など
分かろうはずもないのです。
ちっとも、先が見えないだけじゃなくて、舵が壊れたままに
漂流を続ける日本丸の行き着く先はいったい何処なのか
このままじゃ、
不安がつのって、とてもじゃないけど、「大丈夫、大丈夫」、
「 ケセラセラ 」 などと口ずさむことはできません。
ところで、
最近、「よろしいですか

される 大丈夫 ですが …、
先日も、あるファミリーレストランでの談話中のことです。
ピッチャー片手に 「お水、大丈夫ですか

ウエイトレスに、ちょっとした意地悪心から 皮肉 を込めて
「(お水が)元気なく見えますか」 と言ったら、
「少しだけ元気がないようですので足しておきますね」
と笑顔でかわされてしまい、テーブルの上の コップ には
氷入りの冷たい水が満々と注ぎ足されておりました
溢れ出して、こぼれ落ちそうな コップ の水を横目に …
「大丈夫って、大丈夫なのかな?」 などと
言いつつも、決して 平気 ではいられなかった 2号 の
『大丈夫じゃない話』 でした