透明人間たちのひとりごと

飼い葉桶の犬になるな!

    謹んで震災に遭われた皆様に
  お悔みとお見舞いを申し上げます。


  この度の東日本大震災によりお亡くなりになった方々の
  ご冥福と被災された方々のご家族、ご関係者の皆様に
  対しまして、心よりのお見舞いを申し上げます。

  一日も早い復旧と復興をお祈り申し上げております。


 さて、東海地方(静岡県東部)に身を置く ボク たちは、
ドォーンという突き上げられるような衝撃とそれ相応の大きな
揺れに見舞われると、

 「ついに、その日が来たかexclamation2

 と、まず真っ先に思うものなのですが …、

 3月11日の東日本大震災(東北関東大震災)
揺れはドーンもなく、ただただ異常に長くゆっくりとしたもので
いつになく不気味な不安に駆られるものでした。

 つまり、それは、

 この揺れは前震であって、まもなく途轍もなく大きな本震が
やって来るのではないのかeq といった類の不安です。

 それと言うのも、あまりにタイムリーで怖かったので記事を
反古にしたのですが、神の鉄槌の非情さを示す一例として、
賢者(人間)の一時の怒りによって無数のアリたちが無惨に
も踏み潰される不条理を神の行為あるいは大自然の摂理と
して描いた『賢者とアリたちとマーキュリー』
という話が、『アリとセミの物語 <7> 』 のなかに
ありました。

exclamation http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/216.html(参照)

 そして、前回の 『大丈夫じゃない話』 のなかで
、多数の邦人の被災者を出したニュージーランドの地震に
触れて 2号 さんが 「人生、いつどこで、たとえどのような
かたちでピリオドが打たれようとも、いい人生だった と胸を
張れるような生き方がしたい」 と書いていたことに誘発され
て大々的な天変地異の可能性に言及した記事を用意して
しまったのですが、あまりにも今回の大震災と酷似していた
ので書き換えることにしたのです。

 それにしてもイソップ物語を 【予言の書】 だとする
1号 さんの見解に偶然以上必然未満の歴史を見たような
気持ちになります。

 おそらく ボク が、静岡県から遠く離れた他の地域にいて
今回と同等の揺れを感じたとしたら、この地域でこんなにも
揺れるのだから間違いなく静岡県は壊滅しているのだろうと
思うに違いないのです。

 そうして長い揺れも漸(ようや)くおさまりかけて少し冷静に
なってくると、何か違う、どこか別の地域に途方もなく大きな
地震が起こったのかと心配になり、テレビの地震速報に耳を
欹(そばだ)てていたのでした。

 それが三陸沖を震源として関東にまで及ぶ大地震であり、
それに伴う想像を絶するような 大津波 が数万の人々を
ひと息に飲み込んでしまったという事実を知るのにさほどの
時間はかかりませんでした。

 大津波の様子を時々刻々と伝えるニュース映像に、到底
現実とは思われない出来事をただの傍観者として見ている
だけだったのです。
 
 大震災の渦中に不謹慎極まりないと思われるでしょうが、
地球にしてみれば、プレートに押されて窮屈になったので、
ちょっとだけ背伸びをしたとか、欠伸(あくび)やシャックリを
したくらいのことかもしれない地震も、そこに生活する人間
などの生き物がいるから大災害となるわけで、それ自体は
単なる自然現象にすぎないわけです。

 確かに、マグニチュード 9.0 という大きさにしても複数に
連動した広がりといい、すべてが想定を遥かに超えたもの
だったのでしょう。

 でも、想定外 だからという言い訳は通用しません。

 想定 とは、ボク たち人間が自然を御せると勝手に
感違いして考え出した一定の基準であって絶対的なもの
ではありません。

 そもそも絶対的な ものさし などないのですから …。

 人間も動物も大自然の一部なのに思い上がった人類は
そのことを忘れて勝手放題をしているのです。

 賢者を大自然と見なせば踏み潰された無数のアリたちは
人間です。

 巣を守ろうとアリが不用意にも賢者の足を咬んだように、
大自然の機嫌をそこねることを人間どもがやらかしている
からに他ならないのです。

 繰り返しになりますが、

 不謹慎であることは百も承知のうえで敢えて言えば、
3月11日に発生した東日本大震災(東北関東大震災)の
被災者は驕り高ぶったボク たちの身代わりとしての人柱
であり生贄とされた犠牲者でもあるとも言えるのです。

 
 先日のことですが …。

 電気が通ったので早速、モデムの電源を入れてネットを
接続しました。

 現在、計画停電実施中の静岡県東部のある地方都市の
事務所での一昨日のひとこまです。

 静岡県は富士川を境に、首都圏の東京電力(50ヘルツ)
と中部圏の中部電力(60ヘルツ)とに別れます。

 ボク たちは富士川の以東に属する沼津市にあるので
静岡県民ではあっても計画停電の対象地域なのです。

 ほとんどすべてと言っても過言でないほどに電気及びに
電気機器に依存している現代社会において、電気が遮断
されるほど致命的なことはありません。

 でも、被災地の方々に比べたらそんなことなどなんてことも
ありません。

 電気がなければないでも、なんとかやりようはあるもので、
端から電気の利用を知らなければ、不便 に感じることも
なかったのでしょうに、不幸にも電気というとてつもなく便利
なものを知ってしまったから大変なのです。


 ところで、イソップ物語には、こんな話があります。


     ――― 『飼い葉桶の犬』 ―――
 
  畑仕事から戻った牛が、食事をしようと飼い葉桶に
 近づくとその中で犬が昼寝をしていました。
  
  用意された干し草を牛たちが食べようとすると突然
 唸り声をあげて咬みつかんばかりに威嚇するのです。 

  「あいつは干し草など食べられないくせに、干し草を
 必要とする俺たちに食べさせようとしないなんて …」

  「何てわがままな奴なんだ!」 とうとう牛は食べる
 ことを諦めてその場から立ち去りました。

 
 福島の原発事故も相まって、現在、いろいろな物資が
不足しています。

 必要もないのに買い占めをして、それを本当に必要とする
人々の手には渡らない。

 どこか今の日本の様子に似ていて、日本人のモラルや
矜持(きょうじ)を問うような話ですよね。

 この場合には、牛の迷惑になっていることに気づかずに
我欲に素直なだけの愚かしいくも滑稽な犬の姿があるだけ
ですが、今、行なわれているような買い占めという浅ましい
人間の行為は、被災者のみならず、現実にその物を必要と
する他者の迷惑や障害となることを知っているだけに何とも
実に醜いわけです。

 日本人としての、

 いえ、一個の人間としての誇りと責任と節度をまもって、

飼い葉桶に寝そべるような犬

にだけは、断じて なりたくないものです。
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