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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 方程式

 ここで言う「方程式」とは、未知数(X)など特定
の慣習的な文字によって表記される数学的な変数を含んだ
等式のことではなく、俗語として転用表現したものです。


            方程式 oshima-gakushujuku.com

 例えて言えば、

 諸問題を解決する時に最も適切な方法という意味で使用
される「恋愛の方程式」や「勝利の方程式」という場合と
同じで、容易には解決できない問題を等号(=)で結んで
いく形式の非公式な式のことを指しています。

 「罠」の解を得るための解決策を模索する過程などを
解説・解析するだけでなく、それらを等式化してイコール
=(等号)によってヒモ付けをする作業です。

 それでは、早速ながら、

         

 レオナルド・ダ・ヴィンチが遺言として残した「罠」
秘密の解析に挑んでみることにしましょう。

 ダ・ヴィンチは、自身の体力の衰えから死期を悟ります。

 誕生日(4月15日)を迎えたばかりであった1519年4月23日
にアンボワーズの宮廷付き公証人の他、弟子のメルツィたち
を前にして、口述で遺言状を作成します。  

 遺言状は当時の慣習に従って、自分の魂を神と聖母マリア
と聖ミカエルおよびすべての聖人・聖女に委ねるという宣言
から始まります。

 宣言に続いて、ダ・ヴィンチは自分の葬式の次第について
詳細なる希望をしたためました。

 ● アンボワーズの聖フロレンティーノ(聖フロランタン聖堂)
の教会内に埋葬され、その遺骸は教会の司祭に運ばれること。

 ● 聖フロレンティーノ教会までは、同教会の教区長や主任
司祭、アンボワーズの聖ドニ教会の副司教と礼拝堂の司祭、
および同地のフランチェスコ修道士に随行されること。

 ● 聖フロレンティーノ教会で助祭と副助祭により、3回の
大きなミサがおこなわれ、聖グレゴリオで30回の読誦ミサが
唱えられること。

 ● 聖ドニ教会でも同じ様式の儀式が執り行なわれること。

 ● 聖フランチェスコ会でも同等の儀式が行なわれること。

   ふむ      ふむ      ふむ

 

      画像元  www.pinterest.jp

 何とも仰々しいばかりの注文が並んでいますよね。

 さらには、

 ● その葬儀に際し、60人の貧しき人の手で60本の松明が
捧げられ、運ばれることを希望していて、彼らには、その
役務の遂行によって弟子のメルツィから金銭が付与される
としたうえで、その松明を4つの教会に分けることを希望
しているわけです。

 要するに、

 葬儀に際しては、アンボワーズの聖フロレンティーノ教会
に埋葬され、その遺骸は同教会付きの神父たちの手で運ばれ
た後に、助祭と副助祭による3回の大きなミサが執り行われ、
聖グレゴリオで30回の読誦ミサを唱えるとしているのです。

 つまり、3回のミサと30回の読誦ミサです。

 「3」という数字は、

 キリスト教では、三賢人(東方の三博士)の他、三位一体、
三大祭(クリスマス、復活祭、聖霊降臨祭)と関わりが深く、
ヒンドゥー教は 創造神ブラフマー、破壊神シーヴァ、保持神
ヴィシュヌの三主神があり、エジプト神話においてはイシス、
オシリス、ホルスが有名ですし、仏教でも「3」に絡む事柄
が何かと多い気がします。

「1」が物事の始まりを表し、「2」が互いに異なるものを
統合するとともに、その対立をイメージさせることに対して、
「3」は「調和」や「安定」を想起させるからでしょうか?

 そして、聖ドニ教会や聖フランチェスコ会でも同様の儀式
をおこなうとなると、(3回のミサ+30回の読誦ミサ)×2が
プラスされることになるのでしょうか?

 なるほど、
 確かに意味深ですね!    

 さらに、

 60人の貧しき人たちの手で60本の松明が捧げられ、4つ
の教会に運ばれることを希望しているとしていますが、

 こちらは60人の人々と60本の松明に4つの教会ですね。

 ● 遺骸を運ぶ聖フロレンティーノ教会の司祭とは?
 ● 随行する同教会の教区長や主任司祭の意味とは?
 ● 随行の聖ドニ教会の副司教と礼拝堂の司祭とは?
 ● 同じく随行のフランチェスコ修道士の意味とは?
 ● 助祭と副助祭による大きなミサと読誦ミサとは?

 これらを如何に解析し、説明しろというのでしょうか?

  む、  む、  む、  む、  む、  む。

    
      画像元  www.pinterest.jp          

 取り敢えず、問題となる箇所を抽出してみましょう。

① 遺骸は、同教会付きの神父たちの手によって運ばれる
② 同教会の教区長や主任司祭及び聖ドニ教会の副司教と
  礼拝堂の司祭、同フランチェスコ修道士に随行される
③ 助祭 副助祭による3回の大きなミサと30回の読誦ミサ
④ 聖ドニ教会や聖フランチェスコ会で同様の儀式を行う
⑤ 60人の貧しき人たちの手で60本の松明がささげられる
⑥ この役務によって、貧しき者たちに金銭が付与される
⑦ その松明を、4つの教会に分けることを希望している

   こんな感じでしょうかね!?

         
         (う~む・・・)

 そこには「罠」のグレードの違いや偽装工作など
の疑いがあるのでしょうか?

   ❓       ❔       !?
 
      画像元  www.pinterest.jp 

 繰り返しになりますが、

 ダ・ヴィンチは、1519年の4月23日に遺言書を作成し、
翌月の5月2日にアンボワーズ近郊のクルーの館で67歳の
生涯を終えます。

 しかし、そこには、

 伝説に残るような絵画に描かれたフランソワ1世の姿
はありませんでした。

 ダ・ヴィンチの最期を看取ったのは忠実な最愛の弟子
であったフランチェスコ・ダ・メルツィです。

 彼は遺言執行人に指名されて、ほとんどの遺産を相続
することになります。

 その中にはダ・ヴィンチが最後まで手元に置いていた
いくつかの絵画とともに鏡文字で綴られた50冊の手稿が
含まれていましたが、メルツィはイタリアへの帰国旅費
をつくるために、
崩壊の瀬戸際にあった『最後の晩餐』
に仕組まれていた巧妙なる「罠」を引き継いだ3枚の
油彩画をフランソワ1世に売却していまいます。

   『モナ・リザ』    『聖アンナと聖母子』    『洗礼者聖ヨハネ』

 それらはのちに   ルーブル美術館
に所蔵され、フランスの国有財産となるわけです。
 

 このようにダ・ヴィンチは3枚の絵画に新たな「罠」
を仕込んだうえで、それらを死ぬまで手もとに置いて
時々に筆を加えていたわけなのですが、


『聖アンナと聖母子』 『モナ・リザ』 『洗礼者聖ヨハネ』

 師匠であるダ・ヴィンチから「絵画について」
いう見出しでノートに書きためていた文を集めた文集
を取りまとめて出版するよう指示されていたメルツィ
にしてみれば、そのことが念頭にあった関係で、3枚
の絵画の重要性には思いが及ばずに売却してしまった
のかもしれませんが、

  
   フランチェスコ・ダ・メルツィの肖像

 そのような「罠」の存在に気づくことのなかった
メルツィは、迂闊にもイタリアの至宝となるべき作品
をむざむざと手放してしまったのです。

 そして、現在、 

 小生の仮説をもとにして「罠」の在りかを示す
メイン・キーとなっているのが、『モナ・リザ』
始めとする終生、手もとに置いていた3枚の油彩画
で構成された〝ドラゴンレーダー〟なのです。


 3枚の油彩画を合体・合成したドラゴンレーダー

  smile ドラゴンレーダーについては、

 url『ダ・ヴィンチの罠 パズル』 
 url『ダ・ヴィンチの罠 地動説』 
 url『ダ・ヴィンチの罠 羅針盤』

 などを参照してみてください。

 ところで、

 この文集は、後世において『絵画論』として
出版されることになります。

     
   ダ・ヴィンチの『絵画論』www.amazon.co.jp

 ダ・ヴィンチの絵画論Trattato della pittura
は、1632年にフランスで最初に出版されるのですが、
メルツィによるバージョンがヴァチカンで再発見の
後、1817年に現在の形で改めて出版されたようです。

 ちなみに、ウィキペディア(Wikipedia)によれば、

 手稿はミラノ時代(1482 -1499年)に書かれ始め、
人生最後の25年間にわたり書き続けられていました。

 ダ・ヴィンチは死に際して、ノート類を相続人の
フランチェスコ・メルツィに託し、出版するように
指示しますが、取りあつかう対象の広がりの大きさ
や、ダ・ヴィンチの特異な書体のために、その作業
は困難を極めます。

 メルツィは『絵画論』を成す文章を18冊のノート
(そのうち3分の2は現存しない)から集めましたが
、1570年にメルツィが死去すると、コレクションは
息子で法律家のオラツィオに遺されます。

 しかしながら、

 彼はこれらの日誌類には、ほとんど興味を示さず
その結果、それらは散逸してしまうことになります。

 1632年にフランスでこの論文のバージョンが出版
され、1651年には、フランス語とイタリア語による
「抄録版」が、ラファエロ・ドゥ・フレスネにより
『絵画論』として出版されました。

    
 Trattato della pittura、1651年版の扉 ja.wikipedia.org

 その後、メルツィのバージョンがバチカン図書館
で再発見され、この論文は現在知られる形で1817年
になって、初めて出版されることになったわけです。


    レオナルド・ダ・ヴィンチの『絵画論』www.kosho.or.jp

 この論文の主たる目的は、絵画が科学のひとつで
あることを論じることで、表現や人物造形に関する
ダ・ヴィンチの鋭い洞察力は、笑いと泣きについて
の彼の比較論からもあきらかであるように、これら
の二つの感情の唯一の違いは「表情の動き」という
意味では「眉の波立ちにあって、泣いている時には
これが加わるが、笑っているときは眉はもっと高く
広がっている」と述べています。

  フリー百科事典 ウィキペディア(Wikipedia)より、

 さて、

 メルツィによって、イタリアに持ち帰られた手稿
は、一部が清書、編集されましたが、残念なことに
出版されることはありませんでした。

       
 「絵画は永遠に残るが、その師(モデル)たる自然
(肉体)はいずれ朽ちる。 ゆえに絵画は自然に優る」

 という言葉は、画家を創造主(神)の上に置くかの
ような思想であって、異端の誹(そし)
りを受けかね
ないものでした。

 息子のオラツィオ・メルツィは、48冊の手稿を相続
 したものの、その価値に気づくこともなく、無頓着に
他人に譲り、あるいは売り払ってしまったのです。

 その結果、現在までに確認されている手稿は19冊に
すぎず、 ダ・ヴィンチの死から230年後、バッハの死
に際して、長男のフリーデマンが相続した楽譜も同様
の運命を辿ることになるのですが、

  
 バッハ《ロ短調ミサ曲》 www.devlion.com.br

 ダ・ヴィンチにも、バッハの《ロ短調ミサ曲》
相当する遺言の作品があるのでしょうか?

 あるとすれば、それは宗教画なのか世俗画なのか?

 あるいは、それは、

  聖と俗の境界を超えた4部構成の《ロ短調ミサ曲》
のように、一つのテーマに収斂する複数の作品なので
しょうか?

      
 バッハ《ロ短調ミサ曲》 www.amazon.co.jp

 以上、jsbachcode.com(XI-3-(ll)ldv(ix)6)より引用。

 尚、バッハの《ロ短調ミサ曲》については別の
機会に詳しく触れることにして、その問いに対する
明確な解答
があるとすれば、

 ダ・ヴィンチが仕掛けた「罠」のすべては、
一つのテーマに収斂する複数の作品で構成されて
いると言えるという答えになると思われます。

 なんとなれば、不可解なる「遺言状」の中身を
紐解けば、「すべてはひとつ」というプラトンの
思想に行き着くからです。

 プラトンに傾倒していたダ・ヴィンチの最後に
して、最大の「罠」「遺言状」の中に
したためられているということです。

 次回では、その「罠」についての具体的なる
考察と解説に挑戦してみることにしましょう。
  


   ふむ       ふむ       ふむ 

      画像元  www.pinterest.jp 

  それにしても、  
 
  このスヌーピーたちって、うざくね!
     
    実に邪魔じゃのぉ!?
 
     おそらくは、なんらかの、 
  
   意図するものがあるんじゃろうが❓ 
  
「問題はそこよね !!」   (むむむむ)


   ダ・ヴィンチが描く素描のイメージ ameblo.jp


   コンタクト (Credit- Kendall Hoopes from Pexels)sorae.info 


          『受胎告知』 A B 比較 jsbachcode.com

           ・・・ っておいおいおい、     

             
               マジかょ!     

      … to be continued !!

コメント一覧

名無しの権兵衛
慎重に考えるのは当然だけど、そもそも投機でもないかぎり、購入したものを売却することなど考えられない。

古いタイプの人間でしょうが・・・
小吉
せっかく相続したのにその価値に気付けなかったのは残念ですね。
わたしもときどきお金がないときに自分の所有物を売るのですが、そのたびに「ものの価値」について考えさせられます。
何かを購入するときには慎重に考えなければ、あるいは、自分のものを売却するときもまた、慎重に考えなければならないですね。
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