いたってシンプル。
ただ、ガソリンが高いというだけのこと。
「俺にはアーク(自転車の名前)がいるから車なんて乗らないぜー!」
と、豪語していた十代の自分はどこかに消えて、渋滞でクラッチばかりを踏む左足が痛いなどと本当にどうでもいい悩みを愚痴っていたりする。
日本だけなのかは分からないけれど、「苦労する」ことはどこか美徳で、楽をすることはあまりよく思われてはいない。
でも実は、人間文化が今のように発展してきたのは根本に「楽をしたい」からである。
食べ物を得るのも楽をしたい。
心地よく眠りたい。
寒さも暑さも感じないような生活がしたい。
そうそう。
不景気だというけれど夜の飲み屋は平日でも満席近くなっているらしい。
社会では「タスポ」とかいうまったく意味のないものを作ったものの簡単に子供が買えてしまってたりする。(当たり前だけど)
車も、一家に一台ではなく、「一人に一台」の時代だ。
手紙を書かなくてもピポパの「LOVEメール」で感動しちゃったりする。
時間の余った人たちが誰か有名人に会ったりして「会えてよかった。夢をくれてありがとう」なんて本当に涙していたりする。
そういえば、昔家にあった洗濯板はどこにいったのだろう。
便利っていうのは、本当に便利だ。
僕が銃を手にして山に登らなくても、肉が食える。
平民のくせして肉を食べられる。
楽だ。
楽になるために発展してきた人間文化。
でもどこか、楽になれば楽になるほど幸せとは程遠い気がする。
そもそも、「幸せ」なんていう概念だって、いらないような気もする。
何が言いたいんだったかな。
忘れた。
どこまでの線引きで、「足ることを知れ」ば、曇り空が晴れるのだろうか。
高い高いといっているガソリンを、僕は自分の力で採取することはできない。
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