ヒーラーズティーチャー・アロマセラピスト  A.K.I笠原緋城『セッション体験談集』

アロマテラピー、整体の知識、天性の癒しの能力を融合し、肉体・精神・霊的を統合するセッションを行うヒーラー緋城の施術体験記

「ヒーラー笠原昌誕生秘話5」

2013-01-26 07:00:00 | ヒーラー緋城誕生秘話


葉山の空



こんにちは~☆
ぷれむ☆あきです。

今日は、「ヒーラー笠原昌誕生秘話5」をお届します。
宜しくお願いいたします^^


***


そうして学んできた私ですが、
いつかヒーリング一本で生活をしてみたいと思いながらも、
それからも数年、
二足のわらじをはいていました。

とても忙しい商社勤めをしながら、
休日と深夜を利用してセッションを
続けてきました。


信頼して通って下さるお客様にも恵まれ、
また、ブログを読んで下さり、
一度もお会いしたこともないのに、

コンスタントに、ぷれむ☆あきのヒーリングを
受けてくださる方々との出会いがあり、

いつかヒーリングのお仕事で独り立ちしたいという思いは、
強くなっていくばかりでした。


また、私自身を更に向上させるために
講習を受けたり、本を読んだり、
常にいいと言われるヒーリングを学び、
最先端のものを取り入れてきました。


ヒーリングのお仕事以外にも、
アンフィ二にもコーディネーターとして
長く携わった経験をはじめ、

OSHOや、ガンガジ、BASHARなどの本を読み、
また、セドナやマチュピチュ、ウルル(エアーズロック)、
アマゾンの奥地などの聖地にも行き、

瞑想をし、常に自分の中を見つめ、
生き方についての勉強も積んできました。


その経験を生かして、
ぷれむ☆あきの行うセッションでは、

個人のヒーリングセッションを受けて頂いた方に
シェアリングをお伺いする際、

必要に応じて、
もちろん決められた時間の枠の中ですので

短時間(ワンポイント)ではありますが、
アドバイスをさせて頂いています。


クライアントさんの悩みに耳を傾けてただうなずくことは、
誰にでもというと失礼ですが、
悩みを聞いてあげようと思う人にはできると思います。

ただ、目の覚めた角度から真実を語り、
アドバイスできる人は少ないと思います。

それができるのも、20年以上の長きに渡り、
いろんなセミナーに携わって勉強を積んできた
ぷれむ☆あきの努力の賜物であると自負しております。


3月11日の震災をきっかけに、
私は独立することを決めました。

3月11日のあの日、
私は恵比寿の駅前のビルにあるオフィスの6階にいました。

船のように揺れるビルの中、
磁場をヒーリングして整えながら、
もしかしたら、本当に死ぬかもしれないこんな時にまで、
ヒーリングしている自分が、

また、被災している方々に遠隔ヒーリングしている自分を見て、
私って根っからのヒーラーだなと思いました。

3月11日まで、私には、当たり前のように、
明日も明後日も来ると思っていました。


でも、違いました。
明日も明後日も、
次の瞬間さえも来ないかもしれない。

人は生まれた時から
確実に瞬間から死に近づいて行っています。

今日できなかったことが、
明日できるとは限らない。
この瞬間できないことをできる明日が来るとは限らない。

今、この瞬間しかないのです。


二度と来ない今のこの瞬間、後も先もなく
この瞬間しかなかったとしたら、

かけがえのない今のこの瞬間、
私は何をしたい?
私は、自分に問いました。

そして、その答えがヒーリングでした。


明日地球が滅んでも、
次の瞬間地球が滅びるとわかっていても、

目の前に癒すべき人がいたら、
私は間違いなく、
ヒーリングをしているだろうと思います。

今の瞬間しかないのと同じように、
人と人との出会いも一期一会、

そして、
奇跡みたいなものだと思っています。


それゆえ、笠原昌は、
一人一人のお客様との出会いを大切にしています。

一人一人に誠意を込めて、
真心を込めて接したいと思っています。

今この瞬間、
目の前にいるあなたがすべてなのだから。

私は、常に自分の持っているものを100%出し切って、
癒しを提供させて頂きたいと思っています。


その為に、欠かさず行っていることは、
常に自分自身を見つめ、磨きを続けることです。

毎日の自分自身へのエネルギーワークによる
クリーニングはもちろんのこと、
自分を見つめるための時間を取るようにしています。

それは、瞑想だったり、本を読むことだったり、
葉山の美しい海岸を夕陽を見ながら散歩することだったり、
インターネットで見るきれいな映像だったりします。

常に自分に意識を向け、自分の声を聞き、
自分にとって心地よいことを選択するように
心がけています。

そして、体力的にも、精神的にもゆとりのある状態に
いつも自分を保つように意識しています。


ぷれむ☆あきのセッションを受けられる方の中には、
セッション前になどにつらい経験を語られる時,

セッション中、私が身体に触れた時、
セッション後、シェアリングをされる時、

感極まり、思わず涙される方が
たくさんいらっしゃいます。

とても明るく自分では悩みはないと思っている方でも、
普段自分では気がつかないように抑えている感情に、
セッションを通して気付かれることも多々あります。


そして、その抑え込んでいた感情を
解放していけることへの感謝の涙を
流されることがあります。

自分へつながった至福の涙、
今までの苦しんでいた感情を解放した、

また肉体的な問題を解決されたことに対する
喜びの涙を流されることもあります。


ぷれむ☆あきは、
元気なあなたも
幸せなあなたも

苦しんでいるあなたも
悲しんでいるあなたも大好きです。

だから、私の前では
どうかありのままのあなたでいてください。


「すごく元気になった。」
「めちゃくちゃ嬉しい。」
「すごく楽になった。」

「また、必ず来ます。」
「あきさんと出会えてよかった。」

「本当に生きててよかったと思います。
 あきさん、本当にありがとう。」

「暗闇に光が見えた。」

「あきさんのセッションとてもよかったのでようで、
母の体調がいいようです。」

「気難しかった父が明るくなりました。」

そんな言葉とともに、
皆様の笑顔や涙を見せて頂くと、

私も感極まって泣いてしまうことも、
よくあります。

同じ時期に
同じこの地球という惑星に生まれ、

そして、出会えた奇跡。
ほんとうに感謝でいっぱいです。



私は、本名とは別に、
Anand Premという名前を
持っています。

これは、ご縁あってある方が、
私の持っている資質を読んで付けてくださいました。
「至福への愛」という意味です。

この名前に表されているように、
私の使命は、
「みんなに至福の愛を届けること」
だと思っています。

みんなが至福の愛で包まれる
そのお手伝いをするために
私は生まれてきました。

すべての人に「愛と光」を、届けること。
お客様に「自分は愛であり、光の存在」
だってことを思い出してもらうために、

「すべては愛からできている」ということを伝えるために、
これからもぷれむ☆あきは、
ヒーラーとして、セラピストとして、

そして、日本でただひとりの
ゼロポイントエネルギーワーカーとしての
お仕事を続けていきます。


ぷれむ☆あきの愛と光のセッションで、
この惑星の概念を超えて、
真実のあなた自身でこの惑星を謳歌して行って下さい!


最後まで、読んで下さって、
本当にありがとうございます。


深い感謝でいっぱいです。
今後とも、宜しくお願いいたします。




     ゼロポイントエネルギーワーカー 
      笠原 昌(ぷれむ☆あき)

      http://www.aki-kasahara.com/


      
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        宜しければ、
       応援お願い致します。


 

「ヒーラー笠原昌誕生秘話4」

2013-01-25 07:00:00 | ヒーラー緋城誕生秘話



葉山の海



こんにちは。
笠原 昌(ぷれむ☆あき)です。

今日は、「ヒーラー笠原昌誕生秘話4」をお届します。
宜しければ、お付き合いくださいませ^^


***

(以前の日記より)
父が心拍停止状態になる前日、
私は父へ遠隔セッションを行った。
その時、はっきりと父の死期が近いことを悟った。

私は泣き崩れながらセッションを行った。
そして、最後にこうやってセッションをさせてもらえることに
感謝した。


その翌日の夕方、
母から父危篤の知らせの電話があった。

そんな一連の流れがあったことを思い出し、
順番に日記を拾ってみた。


☆2009年10月10日 01:05
一昨日夜遅く、母からメールが来た。

「一週間前に父が風邪をひき、肺炎と診断され、
一週間入院して 退院して十日たちました。
すごく食欲が落ちてきました。
遠隔できますか?」

そのメールを読み、
ちょっと待って、
まだ準備ができてないの。

だから、まだ逝かないで。
そう心の中で叫び続けてた。


その後、オリジナルセッション遠隔を始める。

こんな状態で果たして、
中立にセッションができるのか。。。
治したいっていうエゴが入ってしまうんじゃないか

(エゴが入ると宇宙そのもののエネルギーを
受け取ることが できなくなる。)と、思った。


セッションの場所に立つ。
父は、そこにいた。
そのエネルギーは、衰弱しきってた。

私は、エネルギーを通し始めたすぐ、
父が私の前から私の左横に
移動したのがわかった。

もうすぐ逝くんだね。
準備が始まったんだね。

父もそのことに同意をしている。
そのことを感じる。

父の周りにお迎えの人のエネルギーを感じる。
今すぐじゃない。

まだ来てない、
でも、準備が始まっていることを感じる。

と、そう感じると同時に、
父がいなくなっても父のエネルギーは、
今みたいにこうやって私のそばにいて、
いつもつながっているんだなってことを実感する。

肉体は必ずこの世を去る時が来る。
でも、エネルギーは永遠だ。

この永遠のエネルギーに対して宇宙のエネルギーを送ろう。
そう思った。


私は、今必要なことが必ず起きることを知っている。
私は、そのことを確信している。

揺るがなかった。
セッション前に、エゴが入るかもと思ったけど、
そうならない。

宇宙への信頼、セッションへの信頼。
揺るぎがない。そこに立っている私。


父が移動して前にいるのを感じる。
宇宙の広大な光のエネルギーを、たくさん通す。

私のクラウンチャクラから、
溢れんばかりのエネルギーが入ってきて、
私の手から父へ入っていくのを感じる。


私のオリジナルは、その時に宇宙から降りてくる情報で行う。
いくつかのブロックをはずし、宇宙鍼を使う。

父のエネルギーの波動がどんどん上昇し、光に包まれる。
至福のエネルギーを感じる。
セッションが終わった。


翌朝、母からメールがあり。
「すこしよくなりました。あさからてれびをみています。」
「明日は、本人高地に行くつもりです。(孫の運動会)」



昨夜、2回目のセッション。
光の中にいる父を感じる。
セッション終了。

今日母から、
「昨日から髭剃りにいったり、お風呂(好きな銭湯)に行ったりと
元気が出てきました。

Cからまた電話で待ってるからねと言ってきました。
行ってきます。」 と、
孫の待つ高知まで出かけて行った。

今回は、もうほんとに駄目かもと思ったけど、
元気を取り戻したようで、よかった。

「高知の孫のところまで行くのは、
これが最後かもしれないね。」と母。

初めてがあるように、必ず最後の時がある。
当たり前のことだけど、忘れてる。
大事にしよう。この感覚。
そう思った。



そして、今日3日目のセッション。
セッション前から母っていうのが来てた。

セッション始めたら、
父というより母にセッションが必要なことがわかり、
途中から、二人へのセッションを行った。

光に包まれたよ。
力が戻ってきたのを感じる。

ありがとう。
心から愛と感謝を込めて。
☆あき☆
   


☆2010年01月14日 01:06
手をかざす前から、
宇宙から光が父の丹田を中心に
差し込んでいるのを感じる。

多くの存在を感じる。
その中に亡くなった祖母もいる。

光で父を包み込む。
光をどんどん広げ、宇宙とひとつになる。


人は寿命を決めて生まれてくるという。
そして、その時は
必ずだれのもとにもやってくる。

今は、彼と出会えたことの喜びと、
彼の娘であることへの感謝のみを感じている。



☆2010年01月14日22:27
今、父に最後に会いに
徳島へ向かっている。

今、父はそばにいて、
とてもリアルに話しができる。

そっか、
もう、あの体の中にはいないんだ。

もうすぐ父は肉体を去るけど、
今までもずっとつながっていたし、
これからもずっとつながっている。
何も変わらないな。

自分の広い宇宙意識の中で今感じているのは、
とても豊かで幸せだってこと。

すべてが完璧に起きているってこと。

そして、
この場所でこの時を迎えられる喜びを
かみしめている。


***


こういう風に感じられたのは、
私が、長きに渡り、
生き方について学んできたからだと思います。


初めて生き方や精神世界について、
学んだのは、大学4年生の時に姉の友人に紹介された
当時流行っていたとあるセミナーでした。

その時は、正直よくわからないままでしたが、
その後シャーリーマックレーンの「アウトオンアリム」や
宇宙存在BASHARの本を読み、

「本当の自分とは?」
「自分につながるって、どういうことなんだろう?」と考え、

それがきっかけで自分につながって生きることを
真剣に学び始めました。


(続く)


最後までお読み頂き、ありがとうございます。


     ゼロポイントエネルギーワーカー 
      笠原 昌(ぷれむ☆あき)

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「ヒーラー笠原昌誕生秘話3」

2013-01-24 07:00:00 | ヒーラー緋城誕生秘話




葉山の海




おはようございます。
ぷれむ☆あきです。
今日もご訪問ありがとうございます。


今日は、「ヒーラー笠原昌誕生秘話3」をお届します。
宜しければ、今日も最後まで
ぜひお付き合いくださいませ。


***


具合が悪い人がいると放っておくことができない私は、
若いころに大病をし、右半顔まひ、右耳が聞こえない
父を見ていたからかもしれません。

父は、私が生まれる前、リンパ腺に腫瘍ができるという
世界でも珍しい難病にかかりました。


若い頃は、それは美しい美青年だったそうな父に、
電車の中で出会った母は、一目で恋に落ちました。

(実は、これにまつわる世にもロマンティックなお話の
続きは、まだまだあるのですが、今日はここまでとします。)


そのくらい男前の父は、
私が生まれる前に大病をし、大手術をしました。

そのために、右半顔は神経が通らなくなり、
右顔面麻痺になりました。

右耳もほとんど聞こえなくなり、
いつも製材所の中にいるような騒音が聞こえている状態だと
言っていました。


余談ですが、それでも、父は男前でした。
手術してなかったら、どんだけ男前だったんだろうって思います。


父の主治医は、京都大学の先生でした。
かの有名な京都大学病院でも、
父の奇病は珍しくまた深刻な病気であったらしく、

手術後10年後に、病院側が生存しているか知りたくて、
わざわざ病院側から生存確認の手紙を頂いたりしたそうです。


2度も生死をかけた手術を父は、
私が生まれてからも何度も再発をして、
身体も精神的にも辛い状態で一生を過ごしました。
そして、昨年81歳を前に亡くなりました。


そんな父を見ていたからこそ、
私は、辛い人がいるのを放っておくことが
できないのかもしれません。

私にできることがあるのならば、
持てるだけのすべての力を使って
楽にしてあげたいって、思うのです。


父へのセッションも何度も行いました。
具合が悪くなって寝たきりになっても、
私が遠隔でセッションをしてあげると
必ず翌日は元気になり、

嬉しそうに好きな銭湯に行ったり、
好きなうどんを食べに行ったりしていたそうです。

ほんとうに嬉しかったですね。
病気ながらも一日一日を大切に生きてくれたことを感じて、
感謝でいっぱいでした。


そして、父が心拍停止をする前日、
私は父の死期が近いことを感じ取ったのですね。
その日は、迷わずにセッションを行いました。


(つづく)


最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。
感謝でいっぱいです。


     ゼロポイントエネルギーワーカー 
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「ヒーラー笠原昌誕生秘話2」

2013-01-23 07:00:00 | ヒーラー緋城誕生秘話



葉山の海



こんにちは~
ぷれむ☆あきです。

「笠原昌誕生秘話」いかがでしたでしょうか?
引き続き続き「ヒーラー笠原昌誕生秘話2」をお届します。
宜しければ、最後までお付き合いください。


***


今までセッションを行ってきた中で、
たくさんのミラクルを体験しました。


「想いは通じる。」
そういう体験をしたことも数多くありますが、
その中から印象的なものを、ひとつご紹介したいと思います。

これは、セッション中のお話ではなく、
私が3社目の会社に転職して3日目くらいの
できごとだったと思います。

この頃の私は、レイキやアンフィ二、リコネクションなど
たくさん勉強して資格をとり、

会社勤めと並行して、自分の自宅にセッションルームを持ち、
ヒーラーとしても、また、アンフィ二のライフコーディネーターとしても
活動していた頃のお話です。


その日、会議を行うということで、その当時のチーム全員、
たしか15人くらいのチームだったと思いますが、
11階から7階の会議室まで、チームのみんなで移動していた時のこと。

その時は、会議をする時間があまりない上に、
エレベーターも混んでいて
なかなか来ないという状況でした。

階段った方が早いということになり、
みんなで階段を駆け下りていたのですが、
そのトップを走っていたチームリーダーが足をすべらせて、
大きな悲鳴とともに、階段からころがり落ちました。

ただ、これ転がり落ちただけではなく、
足が滑った瞬間に壁に激突。

顔を思い切り、壁にぶつけました。

そして、そこから数段階段を転げ落ちたのち、
転んで倒れました。


それを見ていたチームメイトたちは、
びっくりしたのと恐怖でしばらく硬直状態でした。

私は、入社してまだ三日目で、
まだひとりひとりの名前も一致していないような状態で、
一番後ろにいました。


遠目に階段を転がり落ちたチームリーダーを見て、一瞬ひるみました。

「助けに行かなくちゃ。ヒーリングしなくちゃ。
早くしなくちゃ。でも、どうしよう。」って・・・。

「まだ、同じチームの人たちのこと何も知らないのに、
こんなことしたら、変だって思われるんじゃないかって。」

「このことを受け入れてくれなければ、今後仕事しづらくなる。」って、

ほんの一瞬の間にたくさんのことが、私の頭の中を駆け巡りました。


けれど、次の瞬間
「ここで行かなきゃ、ぜったいに後悔する。」って思いました。


Mチームリーダーがが転んでから、
私が駆け寄ったまでの時間は、
たぶん5秒くらいだったと思います。

一番後ろの階段の踊り場から
Mチームリーダーのもとに駆け寄り、患部に手を当てて、
「私、ヒーリングできるので、やらせていただいてもいいですか?」って
思い切って聞きました。


そこには、もう躊躇はありませんでした。
ただ、無事でいてほしい。
その願いだけでした。

Mチームリーダーは、かすかに「うん。」という反応はあったと思いますが、
階段から落ちたショックと衝撃と痛みで
硬直状態でした。


その間に、報告を受けた部長が飛んできたりして、
大騒ぎになったけど、私はひたすらヒーリングしていました。
ただ、ただ「無事でありますように。」と願いを込めて。

ヒーリングをした時間は、そんなに長くなかったと思います。
たぶん、5分か10分くらい。



そして、その後、Mチームリーダーは
サブチームリーダーに付き添われて近くの病院に行かれました。


そして、数時間後戻ってきた時に、首に白い包帯を巻いていました。

私が「大丈夫ですか?」声をかけると、
「笠原さん、さっきは本当にありがとう。
おかげで、まったくどこもけがしてないのよ。」

「思いっきり打った顔も、青あざひとつないの。
今、念のために病院で首に湿布してくれたけれど、
まったく何ともないのよ。」

「笠原さんのおかげ。本当にありがとう。」
と笑顔でおっしゃって下さいました。

ほんんとうに嬉しかった。
自分ができることをできて、よかったなって心から思いました。

そして、何が何でも助けたいという想いは通じました。


あんなに激しく転んだのに、あんなにひどく壁にぶつかったのに、
青あざひとつないなんて、ほんとに奇跡としか思えませんでした。

ヒーリングが起こすミラクル。
私は、心からすべてに感謝しました。

(つづく)


最後までおつきあい下さり、ありがとうございます。



     ゼロポイントエネルギーワーカー 
      笠原 昌(ぷれむ☆あき)

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「ヒーラー笠原昌誕生秘話1」

2013-01-22 07:00:00 | ヒーラー緋城誕生秘話



葉山の海



こんにちは^^
ぷれむ☆あきです。

仕事柄かよくいろんな方に、ヒーリングをするきっかけを
尋ねられます。


特に、何度かいらして下さり、
信頼関係ができたお客様の場合、

商社の第一線で
バリバリとキャリアウーマンとして
仕事をこなしていた私が、

まったく畑違いのこの仕事をしていることが、
とても不思議に思われるらしいです。


そこで、私がヒーラーになるきっかけとなったストーリーを
5話くらいにまとめて書いてみました。

ご縁を頂いたお客様にお送りさせて頂いたことがあるので、
もうすでにいらっしゃるかもしれませんが、
よろしければ、お付き合いくださいませ。


*********


ヒーラー笠原昌誕生秘話!

「もうやだーーー!痛いよう~~~苦しいよーーーー」
私のヒーラーとしての経歴は、
この声と共に始まりましたw

あれは、かれこれ20年前の1月の寒~~~い冬の日のことでした。
姉の初出産の時のことです。


私は、自宅で産みたいという姉を応援するため、
当時姉夫婦が住んでいた豊島区のマンションの一室にいました。

破水してから数時間たつのに、一向に出産する気配のない姉 に
ずっと付き添う私たち。
その中で、義理の兄にあたる人は、以前野口整体を学んだことがあるという人で、
気を送り人を癒すことのできる人でした。


義理の兄は、ずっと姉のそばに寄り添い、姉が痛がる腰に
ずっと気を送り続けていました。
姉が叫ぼうとも、ただひたすらに・・・

その姿を見て、「気を送るってどんなこと???」と
私は、興味深々でした。

長時間に渡る出産だったので、義理の兄もご飯を食べたり
休憩も必要です。


その間、姉はつらかったらしく、その間
たぶん誰でもいいから代わりになる人を探し、
一番頼みやすかった私に
「腰に手を当ててくれない?」と頼みました。


姉は、たぶん何の期待もなく、
ほんの気 休めでもないよりはましくらいにしか思ってなかったと思います。

頼まれた私は、何の躊躇もなく、
すぐに姉の横に座り、手を当てました。


そして、数分立った時に一種のトランス状態のようになりました。
とても気持ちがよく、エネルギーが通って行く感じがしました。

私が、そう感じるのと同時に、
姉が「あき上手いなあ。すごく気持ちがいい。」と・・・・。


今まで一度も学んだことはなく、ましてや人を癒したことなどなかった私ですが、
怖いもの知らずの私は、
この日を境に、具合の悪い人を見るとヒーリングをするようになっていました。

(続く)



     ゼロポイントエネルギーワーカー 
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