閏年生まれのBとNの生まれた2月29日。今日で4歳になりました。

2024-02-29 22:07:12 | 日記

朝起きてラジオをつけたら、すぐに閏年の話をしているのが耳に入ってきた。BとNの生まれたのが2020年の今日。例えば2月29日生まれの人は、誕生日をどうする? 4年に一度ということになる?  などということを思ったりもしたものだが、ラジオを聞いて、なるほどねと思った。便宜上その前の28日にするとか、後の日の3月1日にするとか異なるケースがあるもののようで、そうしたことは知らずにいた。

Nuck

Bic

 

4年が過ぎたと改めて思うと、そんなにも?  という感覚もありますね。生まれた頃の記憶があるせいなのか、この子たちを見るとそちらの頃のことが結びついていく。その間の時間がなかったみたいな錯覚がやってくることもあるのかもしれない。この子たちの日々があった。こちらは人間だけれども、この子たちもまたこの子たちの日々を生きてきた。ということもやっぱりと思う。

 

 


Nuckの行動は良くは分からない / 変化してまだ一か月にはならないけれども

2022-07-20 23:13:04 | 日記
Nuck(29日生まれなので"にいきゅう"の訛り名)は、今は一日に何度も自分で入ってくる。入ってきて食べると、じきに出て行ってしまう。ということで、室内にいるのはトータルでも20分にもならないかもしれない。抱かれればそのままおとなしく弛緩状態になる変わらないヌック。でも、ほぼ構わない。ただ好きなようにさせているだけ。殆ど外にいるという子になって、行動が変わってしまった現在、家ネコの延長にいるよう感じになっているのか。 首輪はしているし、私のところのヌックということなんだけれども、なにか思う形とはちがって。

ヌック



ナヌーは深夜の1時頃になると、カーテンを駆け上がる。それが合図のようになっていて、外に出してあげる。何年も、そうした形。朝までいたことは殆どない。そうして午後辺りに戻ってきて、後は出ない。ほぼ、そんな毎日。

ナヌー



ナヌーは2歳くらいまで?  ともかく壁で爪とぎをされることへの対応が大変だった。今はやらない。ヌックは、決まった壁のところに走って行って爪とぎをする子で、壁にカバーをすることで対応していた。ビックは床に置いた爪とぎかカーペットが中心で、ヌックのようなことはなかった。そんな時期を経て現在、3匹ともに爪とぎをするところを見かけない状態。



亡くなられた砂川啓介さんの終わりの方の運命は辛い

2017-07-21 23:00:13 | 日記

これから今年も盛夏。                                                                                                                  あるひとはそこにはもういない。                                                                                                                  そよぐ夏草。

彼の訃報に接した時、介護をしていた人が先に亡くなってしまったという不幸、不運を感じたんだけれども、そのことについても実はあまり知らなかったことを、wikiなどで見て知った。2013年には彼自身、初期の胃癌の手術をしていたこととか、その後には別の癌を発症していたこととか。 

幸福な夫婦の生活。愛する伴侶のいる人生。                                                                                                           だが、誰しもが老いる。病にも見舞われる。終わりになって辛さがやってくるという残酷。                                                  その可能性から逃れられない人間の宿命が、辛い。                                                                              例え覚悟はするとしても。


つづきは想像の中で・・・・・・・

2017-07-20 21:34:57 | 日記

あれ、おんなじことをしている。
と、思ったんだね。
何ということなく名前に記憶があって買った埴谷雄高という人の1995年の一冊。
「虹と睡蓮」。
書いた人に悪いかな。
20円。
僅か20円。
古書店の店先にありました。

ベッドにゴロリとしながら本など読もうとすることが多い。
そしていつも、ちょっとストレスがくる。
なぜなら、そこ裏の部屋のガラス戸のそばながら、光が足りない。
樹木が立っていて光の邪魔をする。
ベッドの端に体を寄せるなどして、光を求め本の行を追う。
疲れる。
だから本を脇に投げて、仰向けになる。
何もしないで横になっている方が、心地良い。
何もしないのがいちばん。
というような時、読んでいて頭に残ったものをなぞったりする。
読んでいることの延長をそちらでする気分。
それに浸る。

あれ、おんなじことをしている。
2ページに満たないような短なエッセイなのだが
タイトル「トルキスタン旅行」。
行ったことがあるんだと先ずは思って読み始めたら、
「体の具合が悪く寝込んでいたので、さまざまな本を
雑然と読みふけったが、書物を支えている手が疲れることから、
できるだけ想像に頼る読書法をとってみた」
そういうことで、トルキスタンに行っているわけもなく、
旅は想像の中・・・・・・・。

ガラス戸のそばのベッドなのになぜ、
特に曇りの日などは大きなルーペなど使わないといけない?
持っている手だって疲れるし続かない。                                                                                 だから手放して、想像の中・・・・・・・・。