カメラマン気分

カメラマン気分

「天才アラーキーは

2004-07-15 21:47:05 | Weblog
緊縛熟女ばかり撮っている写真家である」という偏見を持っていた
しかし
「センチメンタルな旅・冬の旅」
という写真集を見て衝撃を受けた
そしてとても悲しい気持ちになった
彼にとって写真機は記録装置なんだ
だから緊縛熟女も奥さんも撮る
自分の視覚として撮る

セカチューなんて見ている場合じゃないよ
値段は3000円
是非買って、そして見て欲しい

2ちゃんについて

2004-07-15 20:32:02 | Weblog
最近はメディア論周辺の書籍を読みあさっている



もし仮に2ちゃんという場所が無くても
批判はされるであろう
しかしそれは非批判者から見えない場所で、だ。
2ちゃんとは光差す場所に集積された陰口集合体である
なんちゃって
陰口が隠れた場所から出てきてくれてるんだから
ある意味ではありがたい

さて、2ちゃんを見ないようにすれば
それは2ちゃんが無いのと同じである
「非批判者から見えない場所で陰口を叩かれている」状態になる



例えば路上ライブとかしてて
「へったくそだなぁ」
なんてわざと聞こえるように言われる事もありますよ
そりゃ通行人全員に聞こえるように演奏しているのだから当然だ

逆に友達だけを呼んで自分の演奏を聴かせれば、
「いいねぇ」「上手だねぇ」
という評価ばかりのことが多い。
(たとえ本心ではそんなこと思っていないにしても)

自己顕示欲の発露としての表現・公開を行っていれば
批判がくるのは当然なのかもしれない



そんなことをふと考えた

しかし

2004-07-15 02:03:12 | Weblog
僕はとあるゲームにハマって
そのゲームにでてくる服が格好よくて
着たいなぁと思ってコスプレ始めたのだけど
こういった場合は表現じゃないよなぁ

こういった場合に衣装を駄目だしされるのは
普段において自分の着ている服を駄目だしされるのに似てるかなぁ

全然違うか
頭痛くなってきた
変な本を読みすぎたよ
寝る


絵描きの友達曰く

2004-07-15 01:55:41 | Weblog
「表現するからには、批判にさらされる覚悟が必要」だそうな
僕の写真もそうなのだろうなぁ
広く公開しているのだから尚更だ
「構図が全然なってない」とかね

そして「これは自己表現なのだ」と明言をした上でコスプレをして
その写真を広く公開しているレイヤーさんも例外ではないのかもしれない

そりゃ小学生並みの低レベルな悪口などは論外だとしても
「衣装の作りが貧弱」だとか
「キャラに雰囲気が合っていない」などの指摘は
全否定されるべきではないのかもしれない

念のためにもう一度書くけれど
ここで言っているのは
「コスプレは私にとっての自己表現です」と明言して
なおかつその写真を広く公開している場合ですよ

その他のケースにおける議論は別の機会に譲るとして

週刊誌につまらない漫画が載っていたなら僕はその漫画を批判するだろう
「週刊誌はお金が絡んでいるからアマチュアの表現とは切り離して議論すべきだ」
という意見もあるけれど
僕はそうは思わない

もしその主張が成り立つのであれば
表現はお金と直接の関係を持っているということになってしまう

そうではないはずだ
表現は金銭的なものと直接的な関係は無い

つまり広く表現する者は
広く批判される覚悟はしなければならない
ということか
表現するとはそういうものだ

この文章もそうか
俺のレタッチしすぎの写真もそうか

表現するって大変ですね



追記
「表現」と「自己表現」との違いによって多少事情は変わってくるかもしれない
コスプレは自己表現であることが多いように見受けられる
自分でコスプレしていた時も
それは自己表現だった と思う
そして自己表現に対して批判がくると…

それに対して写真は自己表現ではない場合が多いように見受けられる
だから批判がきても…

難しいね
寝る