『システム』は企業や研究所のデータを暗号化し、データの不正使用や流出を防ぐ。一方、『ファクトリー』は『システム』が暗号化したデータを盗み、暗号を解いて、そのデータを情報のブラックマーケットに流し莫大な利益を得ている。
計算士はある法則にしたがってデータを数値化しますが、それだけでは、すぐに記号士たちに解読されてしまう。そこで、『システム』は、その数値を更に特殊な方法を用いて暗号化することを考え付いた。
暗号化の作業は、この無意識の状態で行われるため、計算士は自分が暗号化の作業をしている間の記憶は全くありません。
それなのに、どういうわけか主人公だけが施術から三年以上経っても生きている。そこで、『システム』と『ファクトリー』の間で主人公の争奪戦が始まりました。
彼らの心はどこへ行ったのか?
それは、この街の外れに存在する一角獣たちが吸い取っているのです。
一角獣は、人々の罪も罰も悲しみも絶望も、記憶と共に吸い取り、死んでいきます。死んだ一角獣は街の門番の手によって焼かれ、頭骨は街の図書館に収められます。
主人公の<僕>は、一角獣の頭骨から記憶を読み取り、空中に放つ「夢読み」の仕事をしています。夢読みによって記憶が空中に解き放たれることで、人々の心は初めて浄化されるのです。
結局、<僕>は街に留まる決意をし、<影>だけを脱出させます。
肉体はいわば植物人間の状態になり、意識は、高い壁に囲まれた街の中で「永遠に近い生」を生き続けることになるのです。
物語中、何度も流れていたボブ・ディランの曲に乗せて
「私は目を閉じて、その深い眠りに身をまかせた。ボブ・ディランは『激しい雨』を唄いつづけていた」
残された時間、〈私〉の行く先は永遠の生か、それとも死か?
私はここ数年、死への不安とかは実感は正直出来ないですが、「生や死」について身近に感じるようになりました。
どう生きるかは、どう死ぬかということ。
どう死ぬかは、どう生きるのかということ。
もっと、突っ込んで言えば、
自分の『生き様』
そのもの...ではないでしょうか。
話がそれているようでしたら、ゴメンナサイ!!
皆さんの瑞々しい感覚で読むのがベストではないかと思います。
おすすめの本です