Una Vista Bicicleta

~自転車でいけるところはどこでも~

自分の中の世界の終わり

2013-01-28 | reading fan
先日、読み終わりました。
 
 
 
村上春樹著、世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドは、「世界の終り」と、「ハードボイルド・ワンダーランド」の物語が交互に展開していきます。

 

この物語は『システム』と呼ばれる組織と、『ファクトリー』と呼ばれる組織の戦いを軸に物語が展開されていきます。
 
 

『システム』は企業や研究所のデータを暗号化し、データの不正使用や流出を防ぐ。一方、『ファクトリー』は『システム』が暗号化したデータを盗み、暗号を解いて、そのデータを情報のブラックマーケットに流し莫大な利益を得ている。

 

『システム』に属しデータを暗号化するエンジニアが『計算士』
 
 
 
『ファクトリー』に属し盗んだデータの暗号を解くのが『記号士』

 

 
そしてこの物語の主人公は『システム』に属する『計算士』です。
計算士はある法則にしたがってデータを数値化しますが、それだけでは、すぐに記号士たちに解読されてしまう。そこで、『システム』は、その数値を更に特殊な方法を用いて暗号化することを考え付いた。
 
 
 
この特殊な方法と言うのが、この物語の核になります。

 

 
特殊な方法とは・・・無意識下で数値を暗号化すると言うもの。

 

 
『システム』は計算士の中から適当に二十六人を選び出し、脳波の検査だと嘘をついて、彼らの脳に電極と小型電池を埋め込み脳波に分岐を作りました。それによって、必要に応じて意識を特定の思考回路に切り替えることができるようにした(思考回路を埋め込んだ)。

 

 
計算士は、自分の脳にそんな細工が施されていることを知らないまま、意識をコントロールし、無意識の世界に入っていく訓練を積み、やがて技術を体得します。
暗号化の作業は、この無意識の状態で行われるため、計算士は自分が暗号化の作業をしている間の記憶は全くありません。

 

 
二十六人に埋め込まれた思考回路には、それぞれ固有の物語が付与されています。主人公の脳に埋め込まれた思考回路に付与された物語が「世界の終り」です。

 

この実験は一見うまくいったように思われましたが、主人公を除いた二十五人の計算士が、脳の施術後一年八ヶ月以内に全員死んでしまいました。死因は不明。ただ、みんな死に方は同じで、いつも通りに眠りについて、そのまま死んでしまうのです。
それなのに、どういうわけか主人公だけが施術から三年以上経っても生きている。そこで、『システム』と『ファクトリー』の間で主人公の争奪戦が始まりました。

 

 
この争奪戦の中で、特殊な暗号化技術を開発した老博士やその孫娘、「やみくろ」と呼ばれる地下に蠢く謎の生物までもが関与することになっていく。

 

 
そして、最後には主人公の意識は脳に埋め込まれた思考回路の中に閉じ込められてしまう。つまり、主人公は自分の脳の中にある「世界の終り」と言う世界から出られなくなってしまう。

 

「世界の終り」とは、どんな世界なのか?

 

その街は高い壁に囲まれていて、人々は毎日、自分に課せられた仕事を黙々とこなしています。争いごともなく、これといった娯楽もなく、昨日と同じ今日を、今日と同じ明日を、ただ粛々と繰り返すだけ。彼らには、ほとばしる感情「心」が存在しません。
彼らの心はどこへ行ったのか?
それは、この街の外れに存在する一角獣たちが吸い取っているのです。
一角獣は、人々の罪も罰も悲しみも絶望も、記憶と共に吸い取り、死んでいきます。死んだ一角獣は街の門番の手によって焼かれ、頭骨は街の図書館に収められます。
主人公の<僕>は、一角獣の頭骨から記憶を読み取り、空中に放つ「夢読み」の仕事をしています。夢読みによって記憶が空中に解き放たれることで、人々の心は初めて浄化されるのです。

 

 
この街に来たばかりの<僕>は、門番によって切り離されてしまった自分の<影>と共に街からの脱出を試みようと、夢読みの仕事をしながら、その機会をうかがっていました。が、<僕>は図書館で夢読みの仕事を手伝ってくれる女性に恋をしてしまいます。また、この壁に囲まれた世界が自分自身によって作り出されたことを知ってしまいます。
結局、<僕>は街に留まる決意をし、<影>だけを脱出させます。

 

「世界の終り」と呼ばれる世界に留まった<僕>は「ハードボイルド・ワンダーランド」の主人公とイコールです。街に留まる決意をしたのと同時に、彼は自分自身の「思念」の檻に閉じ込められてしまった。
肉体はいわば植物人間の状態になり、意識は、高い壁に囲まれた街の中で「永遠に近い生」を生き続けることになるのです。
 
 
 
ひたすら「幸せとはなにか?」「心とはなにか?」そう、自分に問い続けながら。
 
 
 
 
最初は著者の意図するメッセージが分からなかったですが、物語を読んでいくうちに少し理解出来るようになった気がした。
 
 
 
 
誰のなかにも、『世界の終わり』は存在するんだな...と
 

 

 

物語中、何度も流れていたボブ・ディランの曲に乗せて

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

 

「私は目を閉じて、その深い眠りに身をまかせた。ボブ・ディランは『激しい雨』を唄いつづけていた」

 

 

残された時間、〈私〉の行く先は永遠の生か、それとも死か?

 

 

私はここ数年、死への不安とかは実感は正直出来ないですが、「生や死」について身近に感じるようになりました。

 

 

どう生きるかは、どう死ぬかということ。

 

 

どう死ぬかは、どう生きるのかということ。

 

 

もっと、突っ込んで言えば、

 

 

自分の『生き様』

 

 

そのもの...ではないでしょうか。

 

 

話がそれているようでしたら、ゴメンナサイ!!

 

 

皆さんの瑞々しい感覚で読むのがベストではないかと思います。

 

 

おすすめの本です

 


風の歌を聴け

2012-12-20 | reading fan

僕の…のことを『あなたのレーゾン・デートゥール』と呼んだ。僕は以前、人間の存在・理由(レーゾン・デートゥール)について考え続け、おかげで奇妙な性癖にとりつかれる… 『風の歌を聴け』のp96から独特な村上春樹さんの文章。読みにくさもあるが、途中からリズム良く、頭の中に入ってくる。刹那的、排他的な一面を持っている。



寒い今年の12月、お風呂で読書にハマる管理人(@MRWASSY55)です。

本もクタクタです( ;谷)

村上春樹『鼠』四部作のデビュー作品。

生きること、死ぬこと、あらゆる日常はすべてちっぽけで小さい…(中略)逆にそうであってほしい。
著者が架空の作家の名を語ったり、鼠や正体不明な三人の女性たち…作品中に流れてくる印象的な音楽にのせて、淡々とある夏の21日間を振り返っています。
特に、作品全体を通して登場する「僕」=村上春樹?の周りにいつも摩訶不思議な女の子が登場する作品設定はとても印象的です。
また、小説の主人公は若い男性のことが多いことに気づきます。
主人公は様々な女性と知り合うのですが、主人公が女性を口説いて落とすという場面は、まず出てこない。必ず女性が「僕」=村上春樹?を口説いてくる。もしくは女性の方から「僕」にセックスしようよと誘ってくる。…とても羨ましいのだが(笑)
この世界観は最初に村上春樹を読んだ時から、独自の村上ワールドを持っているなと思うと共に、現実の世界に、そこまで積極的な女性が満ち溢れているとは思えません。
もしかして、村上春樹の周囲だけそのように積極的で魅力的な女性が多いのかもしれませんね。作家っていつの時代もとてもモテそうですよね。
それとも、この女性達の積極性と「僕」の消極性も、ファンタジーの一部として意図して書いたんではないでしょうか!?
いずれにしても、何度読み返しても、あらためて面白い作品でした。一回でわからなかったら二回、三回とサラーと読んでも良いかもしれません。

次は『国境の南、太陽の西』を読んで見たい!

今年の本

2012-12-19 | reading fan

【今年のベストセラー】

 

 順位は以下の通り~12月11日~

発行部数は発売時からの累計(各出版社)

 

1位は『聞く力』~心をひらく35のヒント~


聞く力は、「週刊文春」で20年近く対談連載を続けている阿川さんが、ゲストの本音を聞き出すこつなどについて書いている。


土曜日の朝の『佐和子の部屋』も面白いですね。

 

 

私も、読みました。

 

 

 

  ~中略~

 

ベスト20に入った中で、私が面白かった作品は『舟を編む』でした。

~言葉への敬意、不完全な人間たちへの愛おしさを
謳いあげる三浦しをん最新長編小説。

【辞書】言葉という大海原を航海するための船。
【辞書編集部】言葉の海を照らす灯台の明かり。
【辞書編集者】普通の人間。食べて、泣いて、笑って、恋をして。
ただ少し人より言葉の海で遊ぶのがすきなだけ。

玄武書房に勤める馬締光也。
営業部では変人として持て余されていたが、
人とは違う視点で言葉を捉える馬締は、
辞書編集部に迎えられる。新しい辞書『大渡海』を編む仲間として。

定年間近のベテラン編集者、日本語研究に人生を捧げる老学者、
徐々に辞書に愛情を持ち始めるチャラ男、そして出会った運命の女性。

個性的な面々の中で、馬締は辞書の世界に没頭する。
言葉という絆を得て、彼らの人生が優しく編み上げられていく——。

しかし、問題が山積みの辞書編集部。果たして『大渡海』は完成するのか~

 

 

印象に残った本は?


共感したり、泣いたり、笑ったり、怒ったり...どんな本でしょうか?

私も、少しずつですが本を読んだりして心の選択『洗濯』しています。

 


MUSIC FOR LIFE~1

2012-12-02 | reading fan

村上春樹~私の好きな作家の一人~


みなさんも様々な村上春樹作品を読んだことと思います。


村上作品の特徴にある事に気づきます。彼の履歴には、作家になる前にジャズ喫茶を経営していたのもあるが“しぶい”音楽が小説内に散見する。


 

風の歌を聴け

「僕と鼠もの」シリーズの第1作。群像新人文学賞を受賞し、1979年6月、文芸誌『群像』に発表。当時の村上春樹と同じく1978年に29歳になった「僕」が、1970年21歳の時の8月8日から8月26日までの19日間の物語を記す、という形をとり、40の断章と、虚構を含むあとがきから成る。

「僕たちは食後のコーヒーを飲み、狭い台所に並んで食器を洗ってからテーブルに戻ると煙草に火を点けてM・J・Qのレコードを聴いた。」

p89より

1973年のピンボール

1973年9月に始まり、11月に終わる、「僕」の話であるとともに友人の「鼠」の話で、ピンボールについての小説という形をとる。第1章から第25章まで、「僕」の物語の章と鼠の物語の章に分かれ、二つの物語系列がパラレル(平行)に進行していく。

「僕は腰を下ろしたまま「ジャンピング・ウィズ・シンフォニィ・シッド」のはじめの四小節を口笛で吹いてみた。」

p151より

羊をめぐる冒険

「僕と鼠もの」シリーズの第3作。村上春樹がジャズ喫茶「ピーター・キャット」をやめ、専業作家として初めて書いた小説。1981年10月に北海道取材旅行を行った後、千葉県の習志野にあった自宅で、約4ヶ月間集中的に第一稿を書き上げた。

「僕には防ぎようのない沈黙だった。僕はプレーヤーをオート・リピートにしてビング・クロスビーの『ホワイト・クリスマス』を二十六回聴いた。」

(下)p178より

MUSIC FOR LIFE~2へ


MUSIC FOR LIFE~2

2012-12-02 | reading fan

 

MUSIC FOR LIFE~1より

 

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

 

「世界の終り」と「ハードボイルド・ワンダーランド」の章に分かれており、世界を異にする一人称視点(「僕」と 「私」)からの叙述が、章ごとに交互に入れ替わりながら、パラレルに進行する。但し、厳密な意味でのパラレルとは言えない(『海辺のカフカ』の同時間軸とは異なる)。『ノルウェイの森』(単行本)のあとがきの中で、村上はこの小説を自伝的な小説であると位置づけている。

 

私は目を閉じて、その深い眠りに身をまかせた。ボブ・ディランは『激しい雨』を唄いつづけていた。

(下)p341より

 

 

ノルウェイの森

 

学生運動の時代を背景として、主人公「僕」と、友人の恋人「直子」を軸に、様々な思春期の葛藤や人間模様、恋愛、喪失感などを巧みに描き、非常に広く読まれている。
元となる作品として短編小説の「螢」がある。

 

「…ビートルズの『ノルウェイの森だった』。そしてそのメロディーはいつものように僕を混乱させた。」

(上)p7より

 

 

ダンス・ダンス・ダンス

俗に言う鼠三部作の続編。やや抽象的・奇抜な表現や台詞の多かった前三作に比べて作風はずいぶんと変わり、活字の量・物語性が増している。ただし、村上自身は前三作同様に自由に書いたものであるとしている。また、それまでの村上作品に一貫したテーマである、資本主義の高度発展への社会批判、空虚感と孤独感が特徴として挙げられる。

僕はぼんやりとそんなことを考えながらずいぶん長く車を走らせた。途中でローリング・ストーンズの「ブラウン・シュガー」がかかった。僕は思わず微笑んだ。素敵な曲だった。「まともだ」と僕は思った。

(上)p36より

MUSIC FOR LIFE~3へ