Una Vista Bicicleta

~自転車でいけるところはどこでも~

MUSIC FOR LIFE~3

2012-12-02 | reading fan

MUSIC FOR LIFE~2より

 

国境の南、太陽の西

1992年10月、書き下ろし長編小説として講談社より発行。1995年10月講談社文庫刊。アメリカのプリンストンで書かれた。

『ねじまき鳥クロニクル』を執筆し、第1稿を推敲する際に削った部分が元になり、そこに更に加筆する形で書かれている。

「ストーブのガスの火がほんのりと赤く部屋の壁をてらしているだけだった。ナット・キング・コールは『プリテンド』を歌っていた。」

p17より

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ねじまき鳥クロニクル

1991年、村上がプリンストン大学に客員研究員として招聘された際、滞在1年目に1部と2部が執筆された。その後、加筆と推敲をあわせて、第3部までが出版されるまでに4年半の歳月が費やされている。村上の小説としては初めて、戦争等の巨大な暴力を本格的に扱っている。

「僕はFM放送にあわせてロッシーニの『泥棒かささぎ』の序曲を口笛で吹いていた。…クラウディオ・アバドは今まさにロンドン交響楽団をその音楽的ピークに持ちあげようとしていたのだ。」

スプートニクの恋人

この小説は村上自身が語るように、彼の文体の総決算として、あるいは総合的実験の場として一部機能している。その結果、次回作の『海辺のカフカ』では、村上春樹としては、かなり新しい文体が登場することになった。

「プッチーニの『ラ・ボエーム』みたいにかなりの暖がとれたところだが、彼女の一間のアパートにはもちろん暖炉なんてなかった。」

p21より

 

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