先にお知らせですが、今年の「イスラームの教えについて第8回JMPFセミナー」は2015年11月8日に東京大学で開催する予定だそうです。テーマは「イスラームと人の尊厳」。
今回紹介するのは「イスラームの教えについて第5回JMPFセミナー」より、奥田 敦先生の講演「イスラーム、キリスト教、仏教 ―時間の観念をめぐって―」です。
キリスト教は直線的な、仏教は円環的な時間観がみてとれるといいますが、ではイスラームではどうでしょうか?
また、参考までに、講演の中にでてくる章を以下に載せておきます。
クルアーンにおいて来世のことが、完了時制でくだされているという箇所の例は、消息章からです。
消息章(アン・ナバア)
17.本当に裁きの日は定められていて、
18.その日、ラッパが吹かれるとあなたがたは群をなして出て来る。
19.天は開かれて数々の門となり、
20.山々は移されて蜃気楼のようになる。
21.本当に地獄は、待ち伏せの場であり、
22.背信者の落ち着く所、
23.かれらは何時までもその中に住むであろう。
開端章(アル・ファーティハ)
1.慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。
2.万有の主、アッラーにこそ凡ての称讃あれ、
3.慈悲あまねく慈愛深き御方、
4.最後の審きの日の主宰者に。
5.わたしたちはあなたにのみ崇め仕え、あなたにのみ御助けを請い願う。
6.わたしたちを正しい道に導きたまえ、
7.あなたが御恵みを下された人々の道に、あなたの怒りを受けし者、また踏み迷える人々の道ではなく。
講演の中で述べられている「スィラート・ムスタクィーム(信仰のまっすぐな道)」で一番有名なのはクルアーンの一番はじめの章である開端章です。
この章は、毎回の礼拝で必ずよむ章ですので、ムスリムにはおなじみであると思いますが、
6節の正しい道という部分が、「スィラート・ムスタクィーム」にあたります。
時間章(アル・アスル)
1. 時間にかけて(誓う)。
2. 本当に人間は、喪失の中にいる。
3. 信仰して善行に勤しみ、互いに真理を勧めあい、また忍耐を勧めあう者たちの外は。
ワアライクムッサラーム ワ ラフマトゥッラーヒ ワ バラカートゥフ