ムスリマ互助会<アル・アマーナ>発足です。

改宗ムスリマが日本社会で生活するが故に生じる困難や不便を、
共に知恵を出し合い、情報交換し、相互扶助を目指します。

イスラームの時間の観念について、「イスラームの教えについて第5回JMPFセミナー」より

2015-07-20 | 学習
アッサラームアライクム ワ ラフマトゥッラーヒ ワ バラカートゥフ

先にお知らせですが、今年の「イスラームの教えについて第8回JMPFセミナー」は2015年11月8日に東京大学で開催する予定だそうです。テーマは「イスラームと人の尊厳」。

今回紹介するのは「イスラームの教えについて第5回JMPFセミナー」より、奥田 敦先生の講演「イスラーム、キリスト教、仏教 ―時間の観念をめぐって―」です。
キリスト教は直線的な、仏教は円環的な時間観がみてとれるといいますが、ではイスラームではどうでしょうか?



また、参考までに、講演の中にでてくる章を以下に載せておきます。

クルアーンにおいて来世のことが、完了時制でくだされているという箇所の例は、消息章からです。

消息章(アン・ナバア)
17.本当に裁きの日は定められていて、
18.その日、ラッパが吹かれるとあなたがたは群をなして出て来る。
19.天は開かれて数々の門となり、
20.山々は移されて蜃気楼のようになる。
21.本当に地獄は、待ち伏せの場であり、
22.背信者の落ち着く所、
23.かれらは何時までもその中に住むであろう。


開端章(アル・ファーティハ)
1.慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。
2.万有の主、アッラーにこそ凡ての称讃あれ、
3.慈悲あまねく慈愛深き御方、
4.最後の審きの日の主宰者に。
5.わたしたちはあなたにのみ崇め仕え、あなたにのみ御助けを請い願う。
6.わたしたちを正しい道に導きたまえ、
7.あなたが御恵みを下された人々の道に、あなたの怒りを受けし者、また踏み迷える人々の道ではなく。

講演の中で述べられている「スィラート・ムスタクィーム(信仰のまっすぐな道)」で一番有名なのはクルアーンの一番はじめの章である開端章です。
この章は、毎回の礼拝で必ずよむ章ですので、ムスリムにはおなじみであると思いますが、
6節の正しい道という部分が、「スィラート・ムスタクィーム」にあたります。


時間章(アル・アスル)
1. 時間にかけて(誓う)。
2. 本当に人間は、喪失の中にいる。
3. 信仰して善行に勤しみ、互いに真理を勧めあい、また忍耐を勧めあう者たちの外は。

ワアライクムッサラーム ワ ラフマトゥッラーヒ ワ バラカートゥフ

ラマダーンのドゥアー

2015-06-24 | 学習
アッサラームアライクム
ラマダーンいかがお過ごしでしょうか?

以前の勉強会で取り上げられていたドゥアーです。

ラマダーンはじめの10日間のドゥアー<アッラーのラフマ(慈悲・慈愛)を請う>
اللهُمَّ ارحمنا برحمتك يا ارحم الراحمين
アッラーフンマ ルハムナー ビラフマティカ ヤー アルハマッラーヒミーン

アッラーよ、私たちに慈悲をお与えください。もっとも慈悲深いお方よ。



ラマダーン中間の10日間のドゥアー<アッラーの赦しを請う>
اللهُمَّ اغفر لنا ذنوبنا و خطايانا كلها يارب العالمين
アッラーフンマ グフィルラナー ドゥヌーバナー ワ ハターヤーナー クッラハー ヤー ラッバル アーラミーン

アッラーよ、私たちのすべての罪と過ちをお許しください。万有の主よ。



ラマダーン最後の10日間のドゥアー<地獄の炎からの解放>
اللهُمَّ اعتقنا من النار وادخلنا الجنة يارب العالمين
アッラーフンマ ウティクナー ミナンナーリ ワ アドゥヒルナル ジャンナタ ヤー ラッバル アーラミーン

アッラーよ、地獄の炎から私たちを守ってください。そして天国へ私たちを入れてください。万有の主よ。


ライトルカドルのドゥアー
اَللَّهُمَّ اِنَّكَ عَفُوٌّ ، تُحِبُّ الْعَفْوَ فَاعْفُ عَنِّي
アッラーフンマ インナカ アフーウン トゥヒッブル アフワ ファウフ アンニー

アッラーよ、本当にあなたは赦されるお方、お赦しになることをお好みになります。ですから私をお赦しください。



集まりの解散に際してのドアー

2015-05-22 | 学習
アッサラームアライクム

いつも勉強会の終わりにしているドアーを、再確認のために紹介します。

また預言者様(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言った。
「アッラーを念唱せずに集まりの場から立ち上がる者たちは、ロバの屍(つまり無益なこと)から立ち上がることと同じである。それはのちに彼らにとって悲嘆の種となる。」

     
アッラーよ、あなたに賞賛と讃美あれ。私はあなた以外に神はないことを証言します。私はあなたに許しを求め悔悟します。

スブハーナカッラーフンマ ワ ビハムディカ、アシュハドゥ アッラー イラーハ イッラー アンタ、アスタグフィルカ ワ アトゥーブ イライカ

سُبْحَانَكَ اللَّهُمَّ وَبِحَمْدِكَ، أشْهَدُ أنْ لا إِلَهَ إِلاَّ أنْتَ، أسْتَغْفِرُكَ وَأَتُوبُ إِلَيْك



     

参照『ムスリムの砦』(冒頭の「ズィクルの徳」、「85.集まりの解散に際してのドアー」)

ハディース紹介 5つのことの前に5つのことを活用しなさい

2015-05-18 | 学習
アッサラームアライクム

以前ギャザリングのレクチャーの中で取り上げられていたハディースを紹介します。

     
イブンアッバース様は伝えている。預言者様(彼にアッラーからの平安と祝福がありますように)は、ある男にこう忠告して言われました。
5つのことの前に5つのことを活用しなさい。
老いの前の若さを、病気の前の健康を、貧困の前の富を、時間を拘束される前の自由な時間を、死の前の生を。
عَنِ ابْنِ عَبَّاسٍ قَالَ: قَالَ رَسُولُ اللَّهِ صَلَّى اللَّهُ عَلَيْهِ وَسَلَّمَ لِرَجُلٍ وَهُوَ يَعِظُهُ: اغْتَنِمْ خَمْسًا قَبْلَ خَمْسٍ, شَبَابَكَ قَبْلَ هَرَمِكَ, وَصِحَّتَكَ قَبْلَ سَقَمِكَ, وَغِنَاكَ قَبْلَ فَقْرِكَ, وَفَرَاغَكَ قَبْلَ شُغُلِكَ, وَحَيَاتَكَ قَبْلَ مَوْتِكَ

(伝承:確認中)


     

アザーンとイカーマ その2

2015-02-15 | 学習
イカーマは、これから礼拝が始まることを知らせるためのもので、礼拝の直前に行われます。

女性のみのグループで礼拝をする場合、アザーンをせずイカーマのみします。
女性一人で礼拝する場合は、アザーンもイカーマもしません。

イカーマの言葉と意味

アッラーフ アクバル
「アッラーは偉大なり」


アッラーフ アクバル
「アッラーは偉大なり」


アシュハド アン ラー イラーハ イッラッラー
「アッラーの他に神はなしと私は証言する」


アシュハド アンナ ムハンマダン ラスールッラー
「ムハンマドは神の使徒なりと私は証言する」


ハイヤー アラッサラー
「礼拝に来たれ」


ハイヤー アラルファラー
「成功のために来たれ」


カドゥ カーマティッサラー
「礼拝はまさに始まった」


カドゥ カーマティッサラー
「礼拝はまさに始まった」


アッラーフ アクバル
「アッラーは偉大なり」


アッラーフ アクバル
「アッラーは偉大なり」


ラー イラーハ イッラッラー
「アッラーの他に神はなし」


※ファジュルの礼拝のイカーマであっても、
アッサラート ハイルン ミナンナウム「礼拝は睡眠に勝る」はつけません。


イスラーム法修学者に確認し、主流は今回紹介したものだそうです。
はじめ~ハイヤー アラルファラー までは、アザーンと同じものを1回ずつ、
カドゥ カーマティッサラー 「礼拝はまさに始まった」を2回、
その後はアザーンと同じです。

他にも諸説あります。
日本語の入門用書籍では、
カドゥ カーマティッサラー 「礼拝はまさに始まった」までの文も
2回ずつになっている場合が多いようです。
他の人のイカーマや、入門用書籍で異なるものをみつけても、
たいていの場合、それらが間違っているわけではありません。

メッカのイカーマ Sheikh Ali Mulla




アザーンとイカーマ その1

2015-02-09 | 学習
アザーンは、人々に礼拝の時間を知らせる呼びかけです。
2人以上で礼拝を行う場合は、1人がアザーンを行います。

※女性はアザーンをしません。女性のみのグループの場合もしません。


アザーンの言葉と意味


アッラーフ アクバル
「アッラーは偉大なり」(4回)


アシュハド アン ラー イラーハ イッラッラー
「アッラーの他に神はなしと私は証言する」(2回)


アシュハド アンナ ムハンマダン ラスールッラー
「ムハンマドは神の使徒なりと私は証言する」(2回)


ハイヤー アラッサラー
「礼拝に来たれ」(2回)


ハイヤー アラルファラー
「成功のために来たれ」(2回)


アッサラート ハイルン ミナンナウム
「礼拝は睡眠に勝る」(2回)[ファジュルのみ]


アッラーフ アクバル
「アッラーは偉大なり」(2回)


ラー イラーハ イッラッラー
「アッラーの他に神はなし」


Adhan Fajr and dua by Syeikh Mishary Rashid Al Afasy

一昨日の大阪交流会、リラーナさんのお話のまとめ

2014-12-22 | 学習
スーラトルファーティハ(開端章)について
・一日の義務の5回の礼拝で、計17回読む。すべてのラクアで読み、礼拝中に一番読む機会が多い。
・重要なスーラで、「ウンムルキターブ(本の母)」とも呼ばれる。
・覚えていない人は早く覚えましょう。子供のいる方は、少しずつ覚えさせましょう。
・このスーラ全体がドゥアーのような意味。アッラーにたくさんお願い事をするのはよいことなので、たくさんこの章を読みましょう。

・簡単で重要なドゥアーということに関連して、「アスタグフィルッラー」の話を紹介。

・ただし、話すべきことはたくさんあるので、今回は一部のみ。詳細は次回、インシャーアッラー。
例として、イマーム・アフマド(ハンバリー学派の祖)の有名な話で、彼本人が語ったと伝わっている話。

晩年、彼は旅行中ある町に立ち寄り、モスクで礼拝し、その夜そこに泊まりたかったが、出て行かなければならなかった。近くのパン屋の人が泊めてくれた。その人は翌朝のパンの準備をもう始めていて、イマーム・アフマドはその様子を見ていた。パン屋の人は何かをずっとつぶやきながら作業していたので、疲れないか、それをしていて何かいいことがあったのか尋ねた。その人は、「アッラーは1つを除いて私の願いをすべて叶えてくださいました。」と答えた。「残りの1つはイマーム・アハマドに会うことです。」この彼が繰り返していたドゥアーが「アスタグフィルッラー」だった。
イマーム・アハマドは、彼のドゥアーによって私が彼の家にくることになった。と語った。

勉強用のクルアーン読誦 フサリー師Muallim

2014-11-11 | 学習
今回は、勉強用のクルアーン読誦を紹介します。
フサリー師(Shaykh Mahmud Khalil al-Husari)のMuallimという勉強用に録音されたものです。

バカラ章などは、1アーヤ(節)が長く、場所によっては、休止してもよい記号がありません。
休止記号以外に節の途中で休止する場合は、少し戻って繰り返して読みます。
この時意味の切れ目で休止、繰り返しができる方がよいといわれますが、
アラビア語ネイティブでもないのでどこで区切ればよいか難しいと思います。

エジプト人の先生のタジュウィード勉強会で、
勉強の時に区切ってもよいところがわからないから、
有名な読み手の読誦を聴いてまねしているが、あんなに息が続かないという話題になり、
それなら、と先生が薦めてくれました。

フサリー師の読誦はたくさんあるのでいろいろ聴く機会も多いと思いますが、
よく聴く読誦のような抑揚がなく、棒読みみたいな感じです。
私の場合、真似してゆっくり読むと息が続かないところがありますが、
それでも通常のものより短めに区切られていて、参考になります。


以下、ダウンロードできるサイトです。(外部サイトですのでご自身の責任で利用して下さい。)
1)
http://www.versebyversequran.com/site/husary-muallim-teacher-style/

ダウンロードの仕方
(GO) (ZIP) (MD5) (More Zips)からダウンロードできます。一括ファイルは大きい(2.6G)ので
面倒ですが(More Zips)をクリックすると各章ごとにダウンロードできるページへ移動しますので、章ごとにダウンロードしたほうが早いかもしれません。

2)
https://archive.org/details/Husari_Muallim

ダウンロードの仕方
ページの下のほうにある
2.5 GB[contents]のリンクからダウンロードできます。
「2.5 GB」のリンクのほうは、一括ダウンロードですが、こちらもファイルが大きいです。
[contents]をクリックして表示されるページから各章ごとにダウンロードできます。

ダウンロードできないけど、音源がほしい方は、
私がMP3ファイルを持っていますので、勉強会のときにでも声かけてください。

ヤスミーン茨木

心配事や災害にあった時のドゥアーの紹介

2014-08-10 | 学習
アッサラームアライクム

以下は、先日、京都で子どもイスラームキャンプをやった時に、大人の勉強の時間に紹介させていただいたドゥアーです。
i-meetingのMLで、東日本大震災の数日後に、「こんな時だからこそアッラーを念じましょう」というタイトルで送っていただいたもので、『ムスリムの砦』からの抜粋のようです。その一部ですが、せっかくなのでここにご紹介します。

From ヤスミーン@神戸


35.心配を除去するドアー

ラー イラーハ イッラッラーフルアズィームルハリーム。ラー イラーハ イッラッラーフ ラッブルアルシルアズィーム。ラー イラーハ イッラッラーフ ラッブッサマーワーティ ワ ラッブルアルディ ワ ラッブルアルシルカリーム。

لا إلَهَ إِلاَّ اللهُ العَظِيمُ الحَلِيمُ، لا إِلَهَ إلاَّ اللهُ رَبُّ العَرْشِ العَظِيمُ، لا إلَهَ إلا اللهُ رَبُّ السَّمَاوَاتِ، وَرَبُّ الأرْضِ وَرَبُّ العَرْشِ الكَريْمِ

「偉大かつ寛大なアッラー以外に真に崇拝すべきものはなく、偉大なる玉座の主であるアッラー以外に真に崇拝すべきものはなく、天地の主・貴い玉座の主アッラーの他に真に崇拝すべきものはありません。」

アッラーフンマ ラハマタカ アルジュー ファラー タキルニー イラー ナフスィー タルファタ アイン。ワ アスリフ リー シャアニー クッラフ。ラー イラーハ イッラー アントゥ。

اللَّهُمَّ رَحْمَتَكَ أرْجُو، فَلا تَكِلني إلَى نَفْسِي طَرْفَةَ عَيْنٍ، وَأَصْلِحْ لِي شَأْنِي كُلَّهُ، لا إِلَهَ إلاَّ أنْتَ

「アッラーよ、あなたのご慈悲を願います。私を一瞬たりとも見放さないで下さい。私に関すること全てを正して下さい。あなた以外に真に崇拝すべきものはありません。」

ラー イラーハ イッラー アンタ スブハーナカ インニー クントゥ ミナッザーリミーン。

لا إِلَه إِلاَّ أنْتَ سُبْحَانَكَ، إِنِّي كُنْتُ مِنَ الظَّالِمينَ

「あなた以外に真に崇拝すべきものはありません。あなたに称えあれ。私は本当に罪悪者の類でした。」

アッラーフ アッラーフ ラッビー ラー ウシュリク ビヒ シャイアー。

اللهُ اللهُ رَبِّي لا أُشْرِكُ بهِ شَيْئا

「アッラー、アッラーこそ私の主、私はかれに何ものも並べて拝しません。」


43.物事に困難を見出した者のドアー

アッラーフンマ ラー サハラ イッラー マー ジャアルタフ サハラー。 ワ アンタ タジュアルルハズナ イザー シウタ サハラー。

اللَّهُمَّ لا سَهْلَ إلاَّ مَا جَعَلْتَهُ سَهْلاً، وأنْتَ تَجْعَلُ الحَزْنَ إذَا شِئْتَ سَهْلاً

「アッラーよ、あなたが容易くしたことだけが容易くなるのです。あなたが望めば悲しみも容易くなります。」

53.災難に見舞われた者のドアー

インナー リッラーヒ ワ インナー イライヒ ラージウーン。アッラーフンマアジュルニー フィー ムスィーバティー ワ アフリフ リー ハイラン ミンハー。

إنَّا لِلَّـهِ وَإنَّا إلَيْهِ رَاجِعُونَ، اللَّهُمَّ أجُرْنِي فِي مُصِيْبَتِي، وأخْلِفْ لِي خَيْراً مِنْهَا

「本当に私たちはアッラーのもの、本当に私たちはアッラーの御許へ帰って行きます。アッラーよ、私が受けた災難において私に報奨を与え、この災難の後にそれより素晴らしいものを私にお授け下さい。」

イスラームと女性3

2013-10-06 | 学習

2 聖典クルアーンとは何か

 クルアーンは、イスラーム信者(以下、ムスリムと呼ばせていただきます)にとっては預言者ムハンマドに、神から下された言葉を書き留めたものであり、人間の手が加わっていないものとされています。ムスリム以外の人たちにとっては、「預言者ムハンマドが書いたもの」でしょうが、ムスリムにとっては神の言葉そのものという存在です。

 クルアーンには内面の信仰や、神がどういう存在であるかといった精神的なこと以外に、人間が現実の生活の中で信仰を守りつつ暮らしていくためにはどうしたらいいかという具体的な内容が述べられています。イスラーム世界には、西洋法とは異なる「シャリーア」(イスラーム法などと訳される)という法体系があるのですが、このシャリーアの第一の法源となっているのがクルアーンです。クルアーンのほかに預言者ムハンマドの言行(スンナと呼ばれる)、イスラーム共同体の合意、などが法源になっていますが、クルアーンがまず第一の典拠なのです。精神的にも、日常生活、社会生活においても、ムスリムにとって何よりもまずよりどころとすべきものがクルアーンです。従って、女性の問題についても、まずはクルアーンにどのように書かれているかを確認することが必要なのです。

 

3 クルアーンの中の男性と女性の関係

 

では、実際にクルアーンには、男性と女性についてどのように書いてあるのでしょうか。

男女の関係について、クルアーンには下記のような基本的には男女の対等な関係が説かれています。

 主はかれら(の祈り)を聞き入れられ、(仰せられた)。「本当にわれは、あなたがたの誰の働いた働きもむだにしないであろう。男でも女でも、あなたがたは互いに同士である。(3章195節) →「あなたがたの一方は他方からなっている」

  また、男性と女性の間に、来世や罪の許しに関し、区別は設けられていません。

 本当にムスリムの男と女、信仰する男と女、献身的な男と女、忠誠な男と女、堅忍な男と女、謙虚な男と女、施しをする男と女、斎戒    (断食)をする男と女、貞節な男と女、アッラーを多く唱念する男と女、これらの者のために、アッラーは罪を赦し、偉大な報奨を準備なされた。(33章35節)

 さらに、女性がイスラーム以前に受けていた不当な扱いに対し異議を申し立て、それを神が聞き届けられたというエピソードも描かれています。

 アッラーは、自分の夫に就いてあなたに抗弁し、なおアッラーに不平を申したて(て祈る)女の言葉をお聞きになられた。アッラーは、あ  なたがた両人の議論を御聞きになられた。本当にアッラーは全聴にして全視であられる。(58章1節)

  ここで女性が不平を申し立てているのはイスラーム以前にあった「ズィハール」と呼ばれる離婚の習慣に対してで、男性が女性に向かって「おまえは母の背中のようだ」と言うと一方的に離婚が成立するというものです。しかも女性は再婚が許されませんでした。ズィハールはイスラームでは禁止され、この章は「抗弁する女章」という題がつけられています。

 


神戸の勉強会 ルクマーン章

2013-10-04 | 学習

前々回の神戸での勉強会で、第31章、ルクマーン章を読みましたが、その時に出席してくれた方が、この章の中で、アッラーから知恵を与えられた賢者ルクマーンが息子にすすめていることを箇条書きにまとめてくれたので、遅くなりましたがここでご紹介しておきます。

1.アッラー以外に神はなしと信じること。

2.礼拝のつとめを守ること。

3.正しいことをし、悪を行わないこと。

4.忍耐づよくあること。

5.他人を見下さないこと。横柄にしないこと。

6.いばったり、自慢したりしないこと。

7.礼儀正しく、声を低くすること。

このほかにも、苦労して私たちを生み育ててくれた親を大事にすること(たとえその親がムスリムでなくても)など、私たちの心に響くことがたくさん書いてあると思いますがいかがでしょうか。日本人にとっても共感できる内容ではないかと思うのですが。

 

 


イスラームと女性2

2013-10-04 | 学習

報告の内容の原稿です。実際に話した時はもう少しいろいろ加えましたが・・・・

<発題>

1 イスラームのイメージ

 イスラームは「女性差別の宗教」というのが、今日の欧米や日本のイスラームに対する一般的なイメージであると言っても間違いはないでしょう。かつては、イスラームの女性と言えばハーレムや「一夫多妻」というイメージを持つ人が多かった。私自身、イスラームに入信した当初、そのことを話すと、日本人男性、特に40代以降の方々からは「男性は4人まで妻をめとってもよいそうですねえ」といった返事が、いささかの羨望をこめて返って来たものです。男性にとっての天国というようなイメージでしょうか。さらに、9・11事件以後、イスラーム教徒の男性(以下ムスリムと記載)というのは暴力的なテロリスト、またはその予備軍であり、イスラーム教徒の女性(以下ムスリマと記載)はそういう男性のもとで抑圧され虐げられ、ヴェール、特にアフガニスタンなどで着用されるブルカなどに見られるような顔を隠すタイプのもので外界と隔離され、教育も受けさせてもらえない存在というイメージが蔓延するようになりました。

 確かに、イスラームを信仰する人たちが多く住む地域の中には、ひどい扱いに苦しむ女性たちが多数存在しています。それについては従来、ニュース映像、映画、小説等で多数報道されているので、ここで一々挙げる必要はないだろうと思います。こうした問題はイスラームの名のもとに行われていることも多いので、イスラームが女性差別の宗教という印象を与えるのも無理からぬことでしょう。しかしイスラーム人口は、今では16億人を数えると言われ、女性の数はごくおおざっぱにその半分としても8億にのぼり、その地域ももともとイスラーム人口が多かった中東、東南アジア、中央アジア、アフリカ北部のみならず、今では南北アメリカやヨーロッパ、オーストラリアでも増加し、マイノリティと言ってもかなり目立つ存在となってきています。そうした中で、女性たちの置かれている状況は国や地域、都市部か地方か、また経済格差などによっても大きく異なってきています。一例だけあげますと、昨年パキスタンのアフガニスタン国境付近で、女子教育の権利を訴えたためパキスタン・タリバンに頭部を銃撃された少女のことがニュースで大々的に取り上げられていました。この少女、マララ・ユスフザイさんという少女はその後回復して今年、国連で演説をしておられたのでご存じの方も多いと思いますが、このようなニュースを見てパキスタンやイスラーム世界全体が女子教育に反対しているのではと思われている方も多いのではないかと思います。しかし、パキスタンでもたとえば首都のイスラマバードなどをみますと、女性が高等教育を受けている割合は少なくありません。パキスタン在住の日本人ムスリムの女性から聞いたところによると、息子には早く働いて稼いでほしいが、娘には大学院などで教育を受けさせ、よりよい資格を得てほしいという人も多いのだとか。女医さん、女性の先生など、高い教育を受けた女性の就職先も確保されているそうです。ただ、パキスタンは経済格差が大きいため、娘に高い教育を受けさせたいが、経済的にできないということのほうが都市部では問題のようです。この話をしてくれた人は、マララさんの事件を聞いて、周囲の人たちと、理解できないと話していたということでした。

パキスタン一国をとりあげてもそのような違いがあります。それで、それぞれの地域の個別の事例ではなく、そもそもイスラームの聖典クルアーンには何が書かれているのか、またその解釈がどのように変化しているのかについて考えてみようと思います。

 


イスラームと女性1

2013-10-01 | 学習

9月14日の土曜日に、「日本フェミニスト神学・宣教センター」にお招きいただいて、「イスラームと女性―クルアーンには何が書かれているか」というタイトルでお話をしてきました。

「フェミニスト神学」という名前から、上野千鶴子さんのようなものすごい論客にびしばしときつい突っ込みを入れられるのかしら!と大変脅えて行きましたが、とても温かく迎えていただきました。フェミニスト神学というのは、「聖書や伝統的文献から読み取られてきた教会神学を批判的に見直し、新たな目でそれらの文献を読みなおす」ことを目的の一つとしているのだそうです。男性優位主義的な社会の中でゆがめられてきたキリストの教えを見直そうという活動なのだそうです。

いただいた時間はまずは発題に30分、先に原稿を送っておいて、それについて質問があり、それに答える形で補足説明をして全体で1時間半ほど、それに30分ほどの質問時間がありました。

限られた時間の中でお話しないといけないので、どのように話を進めるかかなり悩みましたが、センターの活動の中心が聖書などの読みなおしであるということから、やはりこちらもクルアーンをどう読むかという問題を考えるのが一番ふさわしいかと思い、クルアーンにおける女性の記述とその解釈を中心に話をすることにしました。

1.イスラームが女性差別の宗教というイメージで一般にとらえられている、しかし16億の人口をもつイスラーム世界では、地域によって女性 の置かれている状況に大きな差があること、そこで個別的な事例よりもクルアーンに何が書かれているかについてお話したいと前置きしました。

2.クルアーンとはどのようなものか、簡単に説明

3.クルアーンの中で男性と女性の関係について書かれているところを参照。一夫多妻、女性のヴェール着用についてなど

4.従来の男性中心のクルアーン解釈の変化

というような内容で話をしました。「イスラームについてのイメージが変わった」という感想はいただきましたが、ちょっと内容が固すぎた、もう少し柔らかく話をすればよかったな、と後で深く反省。詳しい内容については、後ほど少しずつ紹介していきます。

 

 

 

 

 


ヤスミーン・オフィス<日本語>

2013-07-26 | 学習

ヤスミーン・オフィス

元町のパルモア病院近くで、毎月第一週と第三週の土曜日、2時から4時まで集まってクルアーンを読んでいます。

誰が先生というわけではなく、その時の参加者に合わせてそれぞれ自分の読めるところを読んだり、長い章に挑戦したり、ジャラーラインのタフシールを読んだりしています。ですから、いつでも参加できます。たまにしか来られなくてもまったく問題ありません。ばりばりクルアーンの練習をしたいという人には向かないかもしれませんが、ゆるくのんびりやってます。

参加のご連絡はヤスミーン河田まで。yasmink@viola.ocn.ne.jp


本の紹介

2013-05-17 | 学習

もうご存じの方も多いと思いますが、『アラビア・ノート』『イスラームの日常世界』の著者で文化人類学者の片倉もとこ先生が2月23日にご逝去されました。もとこ先生はシャハーダこそなさいませんでしたが、イスラームに深く心をよせ、ポジティブに紹介してこられました。最後まで執筆に意欲を燃やされ、机に向かえなくなってもテープに吹き込んだり、口述筆記をなさったりし、その成果が今月、『旅だちの記』として出版されました。

前半はこれまでに雑誌などに執筆されたエッセイ、後半は病が重くなられてからの日記、最後は昨年12月に共立女子大学で講演された「イスラーム世界の女性」講演記録という構成になっています。

この本の校正などに多少関わった関係上、何冊かいただいております。ご興味のある方は、私まで申し込んでくだされば2割引で購入できますので、おっしゃってください。(4月中と言ってましたが、当分大丈夫です。遠慮なくご連絡ください!)また、ムンガジ、ハルカに参加してくださった方には無料でさしあげます。

ヤスミーン@神戸 yasmink@viola.ocn.ne.jp