彼とは高校生の頃知り合いました。 出会ったのは多分近くの学園前ドライブショップと言う南海部品の専務の奥さん(小豆沢さんがやっていたちっちゃい部品屋)だったと思います。その頃は彼はまだレースをしていなく近くの山
信貴生駒スカイラインを毎朝のようにRZ250Rで走っていたように記憶があります。 その後彼もレースを始め 俺も彼もチームパタリロを経て チームベビーフェイスに移籍 そして彼は開花
ノービスF3で前の方をはしるようになって行きました。 そして冬の寒い日の鈴鹿サンデーオートバイレース(西コース) 彼は見事ポールポジションを獲得 多分勝つ気満々でグリットに並んでいたのだと思います。 俺もその場にいて彼のお手伝いをしていました。 そして押しがけスタート
今思うとチューニングの問題かセッティングか始動性はかなり悪かったのでしょう スタート直後 エンジンに火が入ることなく30数台に抜かれ それでも1分ほど押し続けましたが火ははいらず オフィシャルの支持でマシーンを路上に置き非難 順調にスタートしたトップグループライダーたちは上手く避けれたものの 中盤を走っていたライダーがスリップを抜け出した瞬間彼のオートバイに激突 彼のバイクは木っ端微塵 エンジンやタンクが空を飛んでいたのは確認できました。 当然レースは赤旗中止になり 彼は無傷でしたが突っ込んだ方は心肺停止の重態で運ばれて行きました。 そのレースの後 4ストの押しがけスタートはなくなりました。 未だに130R側から歩いて帰ってきた彼の悲愴な顔は忘れられません ちなみに心肺停止だった彼もチームベビーフェイス その後復活はしていました。 死人が出なくて幸いでした。