一笑一杯

人生は勝ったり負けたり。焦らず楽しい人生送りましょう。

激動の2019年

2019-12-17 20:55:00 | 日記
1月 高校のクラス会幹事で始まった1年。
人数的には40人のうちの半分。いつ以来かはもう忘れたが、当時はさして仲の良いクラスではなかったが還暦過ぎたここ迄にそれなりに親睦を深めてきた。
高校時代の写真も絡めて会のアルバムを作り各人に配った。元気なうちがが華だね。
そしてバンドの新年会。
小学校の5、6年で習った男先生に電話。そのノリで山形を訪ねることになり2月行き、泊の宴会。8月にはその小学校の先生を地元に招いてのクラス会。小学校のクラス会は初めてだ。ほんの少人数だったが先生も、そして一緒に来ていただいた奥様も感激してくれた。我らの演奏も気に入ってくれた...…かな?(不明)

5月、我が家に新車が来た。失礼、新車とはいえないがかみさんの友人の息子、12年落ちのストリーム、5万円でいいとまだ6万キロで夏、冬タイヤ新品。本人は車屋に進められ燃費の良いフィットを買うということで車検と整備で破格で手に入れた。
走りは全然快適。今年だけで神奈川へ3回。
この前なんかはかみさん一人で往復。周りも唖然とした。本当にありがとうな話だ。

さてさて脱線したが、その後6月姪の姉、7月は東京で姪の妹、立て続けに結婚。流石にお祝いだけで20万吹っ飛んだ(笑)
ひいき目に見ても客観的に見ても2人とも叔父のオイラがいうのもおこがましいが超美人。更にその下にも妹居てこれまたすぐに結婚しそうな勢い..…貯まる暇もないかも..…
8月は恒例の野外LIVE出演。昨年がメンバーの身内の不幸で出場断念しただけに格別な夏だった。出させて貰うだけで感謝。そこに向かって練習を重ね、集中出来る事に感謝せねばとつくづく思う。

そして10月。入院して4日目。親父が旅立った。
しかも、前日、剣道の県最高峰の大会があり、必死で戦った俺の結果を確認したかのように10/28の朝だった。
1日ずれていたら出れる筈もなかった。死の兆候も全くなかっただけにコレも感謝なのかもしれない。

色んな事があった。とうとう夫婦2人になってしまった。会社もあと4年。
悔いのない様にまた60代の生き方もっと勉強しなきゃと思うこの頃です。







親父の唄 ③

2019-12-07 06:55:00 | 日記
告別式の話に戻る。喪主の挨拶は3年2ヶ月前の母親の時以来である。
周りからは「男は連れ合い亡くすと意外と早く逝くもんだ。2年くらいかもなぁ」
と聞かされていた。心の中ではそんなはずは無いと思っていた。食事のバランス、月2回の病院での輸血と検診など出来ることはやってきたつもりだ。が、3年2か月..…どちらにしても天寿を全うした形だ。

 喪主の挨拶はネットをみても簡潔に述べる事を勧めている。
音楽好き、楽器好きな親父に最後くらいなんか出来ることはないか?必死に考えた。
意表を突く家族しか出来ないこと。
「そうだ!」
3年前に親父の録音したテープが見つかった。元気なうちに「これCDに(デジタル化)しておくわ」と確かパソコンに保存してた事を思い出した。
その中に
「高原列車よ」という昭和29年頃流行った曲があった。今から40年前に親父47歳の頃に録音されたものだ。
「よし、喪主の挨拶の最後に流そう」
誰かに言うと反対されそうだ。せめて自分の息子にだけは伝えようと2人には話しておいた。

とうとう自分のスマホに入れて何度もテストした本番がやってきた。
「最後に、親父の唄聴いてあげてください」イントロが流れた。マイクを近づけ音を拾った。曲に入り歌声が流れると村の人(観音講)達がすすり泣いた。いい声だ。
確かにのど自慢を荒らしただけある。
このオレの中にはあんたの才能が少しはまだ眠っているかもね。もう49日の旅も終わりに近づいてる。早く母親と会ってくれ。