実は今回の帰省は同窓会だけが目的でなく、父方と母方の親戚に離婚の報告をすることが大きな目的。
同窓会は2年前から、一番遠くに住んでいる私が出席できるようにと友人が日程を組んでくれていた。
(その時私は離婚の予定がなかった。。。)
躊躇している私に友人が、絶対大丈夫だから!!おいでよと言ってくれたので思い切って参加した。
結果的に中学と高校の友人にも離婚の報告をすることになったけど、みんな暖かく迎えてくれた。
カミングアウトって、素晴らしい
10日は父方の親戚に報告、11日同窓会、12日母方の親戚に報告のスケジュール。
いとこ達が事前に、叔父伯母たちに説明してくれていたので、みんな私に優しく接してくれた。
本当に ありがとう。。。。
父方の親戚は私を尊重してくれ、スムーズにコミュニケーションがとれるのだけど、
ともかく私の大の苦手な母方の大伯母・・
大正生まれの古い考えの伯母と、私は思春期のころからよくぶつかった。
私が東京の女子大に進学が決まった時、両親が了解しても、大伯母に「一族で愛知県から出たものはいないから」と反対され、
21歳の夏休み、自分でアルバイトをしてハワイに行こうとしたら、「みきちゃんは贅沢で、一族の調和を乱す」と叱られ・・
私が東京で就職したときも、それはも~大変で、
札幌の人と結婚して札幌へ行くと決まった時は、結婚式に出席してもらえなかった。(笑い)
私は、ことある度に大伯母に相談する母に憤慨し、私の家族の問題に介入してくる大伯母が許せない上、
そしてなぜかその伯母の一言で母が考え方を変えて、我が家の方針が覆され、一家が感情的に揺れるのがとても嫌だった。
母が、末期の肺がんと診断を下された時は、大伯母対私と妹で、母の看病の取り合いになってしまい、大ゲンカ。
その時はさすがに従兄弟夫婦やら、父方の親戚が、私と妹をサポートしてくれた。
大伯母は7年前、自慢の妹である10歳年下の私の母が亡くなってから生きがいを無くし、生気もなくしていた。
戦後でお金がない中、自分の夢をすべて諦めてお金を工面し、母を大学に入れてくれたのは、この大伯母だった。
母は、この大伯母の期待に応え仕事で成功し、大伯母の言うことが正しく、伯母の価値観に従うのが当たり前という人生脚本を
演じて、私や妹にも強いてしてきた。
私はこの大伯母を取り巻く我が家の様々な葛藤事件で、心理学を学んだり、スピリチュアルな世界、さらにはエネルギーの世界
多次元の世界を知ることになっていく。 今となれば、かなり感謝!!
大伯母の家の敷居がかなり高く、勇気を振り絞って会いにいくと、
90歳近くになった大伯母はすっかり小さくなっていた。
いとこのお嫁さんに、大伯母は耳が遠くて会話は無理なので、何を言われても気にしなくていいからといわれ、
気を取り直して今までの経緯を従兄弟夫婦と大伯母、中伯母4人説明する。
従兄弟夫婦と中伯母は、暖かく私に励ましのエールを送ってくれた。
大伯母の家にいたのは2時間ぐらいなのだけど、
その間大伯母は、壊れたテープレコーダーのように
「みきちゃん、離婚はダメだよ」
「旦那さんとやり直しなさい」
「田原のお寺に戻りなさい」(私の実家は元お寺で、今は後継者の方が継いでいる)
と繰り返し、繰り返し言っている。 (その間、従兄弟夫婦や中伯母が、大伯母を叱りつけている)
私は帰り際に、大伯母の手を握り、 「伯母さん今まで、ありがとね。 お母さんを育て、大学に行かせてくれてありがとね」
と伝えた。 大伯母は、涙ぐんでいた。
そして私に、辛い時は、頼っていいからねと言ってくれた。
~今回の私のすばらしい収穫、 ~
・大伯母に対して全く怒りが出なかった。 (私って凄い)
・従兄弟夫婦が大伯母を叱っても全く同調する感情がなかった。 (私って進歩している)
・大伯母に心から感謝できたこと。 (人生のテーマ1つクリア~)
・カミングアウト(自己開示)ってラク~ッ
10日から、愛知県田原市に帰省して、中学校の同窓会と高校の美術部の同窓会にに参加してきました。
田原市はもう春、駅前ではゆるキャラと、町興しのイメージガールのイベント開催中。
25年ぶりに会ったや友人たちとタイムスリップして学生時代に戻り、楽しいひと時を送りました。
故郷を離れている私に、いつも忘れず年賀状をくださる友人にお礼を言ったり、
両親の葬儀の際、準備を手伝ってくれた友人にお礼を告げたりと、
まさに!お礼参りの同窓会。
幹事さんありがとう~
年末26日に寝違えてしまい、右腕を痛めてしまった。
10日たっても痛みが治らない上に、更年期!?の症状なのか、だるくなったり、めまいがしたりしてきたので、塩釜の接骨院にいってきました。
ポキポキ整体と、オステオパシーを1時間受けたら、なんと!スッキリしてしまった。
傷んでいる右腕をかばって生活していたため、背骨と骨盤の昔から
の歪みが出てきて、血液循環を悪くし、体調不良になっていたらしい。。。
腕の痛みはまだ少し残るものの、
不定愁訴は1回の治療でなくなってしまった。
カラダの声をよく聴いて生きていこうと、
あらためて感じた出来事だった。