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宮城県白石市で学習塾、習字教室を開いております。思いついた事をメモ書き程度につぶやいて、後に反省し、修正したりしてます。

書を語る(1) その3

2016年04月11日 | 書道
またまた、「書を語る(落語家:柳家小さん)」を読みました。そこには、

「書や絵の生命?ウーン、それは線でしょうな。どんなに構図が良くったって、線が生きてないと、

 字も絵も死んじまいますね。」

「うまい、下手をこえて、素直な書がいいですね。」

「自分だけでよろこんでるのは困る。書は自然でなくちゃいけない。そして読めなくてはいけない。」

「”書は人なり””落語は人なり”と置き換えてもいいかも知れませんな。」

「いちばんのものは噺家個人の人間性に起因すると思いますよ。」

「師匠の真似しかできない弟子って、つまりませんよ。」

「芸事ってえものは、苦労して積み上げないと、いいものは結局できませんな。楽してやったものはやっぱり

 底が浅いから客がついてこない。」

…など、様々な事が書かれていた。



書の生命は、線。私もそう考えてます。

例えば書作品で、本物とコピーでは、やはり本物の方が生きています。

最近のカラーコピーの質は素晴らしいけども。

白黒コピーも、形は正確ですが、勢いも色も本物と並べて比べてみると違います。

そういえば、古典の拓本って白黒だから、線が死んでいるという事なのでしょうか?

それを私たちは臨書しています。何故だろう?


結局のところ、年賀状等をいただく時など、

やはりカラー印刷よりも、手書きが一番感動します。

人となり等がわかって感動等します。


古典なんかもそうで、数千年前に偉い人達が鑑賞し、

感動的な評価をして、それが広まった。

その良いものを、私たちが憧れて、臨書しているのだと思います。


過去の私には「自分はこう書いた。このあたりが上手いでしょ。どう?」

と、良さをアピールする時がありました。アピールは大切かもしれないが、観ていただいた

相手にそれが伝わってないなら、ナンセンスです。


自身の心に、相手を思いやる気持ちをも込めて書く、それが優しさだったり、

温かみとして現れます。そういう感想を相手からいただけたた時は、最高に幸せです。


最後に、こう思っても、筆を持たなければ作品はできません(笑)


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