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これからをより良く生きるために(*´꒳`*)

続きます スルーしても全然構いません

「事が動き始めた」

前職で、全部私が悪いとされ株式として正式な
「業務改善指導書」を渡された

鬱を伴う適応障害と診断され、4ヶ月休職した
私を辞めさせる台本はこの時点で出来上がっていたのであろう

復帰してリハビリ期間として徐々に勤務時間を延ばし通常勤務に戻すプログラムが出された

リハビリ期間終了後、通常勤務に戻れるはずが、
総務部長から
「当分の間3時間の勤務を命ずる」と言われ、
主治医に3時間勤務の診断書を書いてもらってこいと言われた

産業医を持っているが、会社は産業医を使い口裏を合わせ辞めさせる方向に持っていく という話を聞いた事があり、その事を総務部長に私は言っていた

それがあったからか、産業医ではなく主治医に診断書を書かせた

主治医は、
これは産業医のする事では?
と言いながらも
「当面、3時間の勤務とし、5、7時間の勤務後
通常勤務可能」
という診断書を書いてくれた

しかし、契約更新月まで何の音沙汰もなくただ3時間の勤務をして待っていた

突然、面談をすると総務部長から連絡を受けた

契約更新月の某日、その「業務改善指導書」を手渡された

誰も悪くない、私に改善するよう言われ、改善されないようなら雇用の継続は難しくなる為気をつけるようにと

改善されたとしても更新後は3時間のアルバイトになってもらう
と言われた

どうするかと進退を求められた
すでにその時には私の中では答えは出ていたが、少し考えて後日お返事します
と言い、翌日退職を申し出た

準備していたかのように退職願の見本をすぐ渡された

退職後に送られてきた離職票には、
「主治医より3時間の勤務制限が出た為、3時間の勤務を提案したが断られた為」
と書かれてあった

違う

やられた と思った

憎しみと悔しさが入り混じり、パワハラをどこかに訴えたいと労務局や知り合いの元弁護士、いろんな人に相談した

労務局は、退職してしまってからでは労務局は動けないと、、
そんなバカな話があるのか、、

県庁のホームページにご意見お問い合わせ受付があるのを見つけ、メールを送った

返ってきた返事には
県としては何もできないが、
その会社なら「全国〇〇ヘルプライン」と言うのがあるからそちらに相談してみるようにとアドレスが記載されていた

すぐメールを送った
全て伝えた 
平等に聞き取りをしてくれと

そして今日、在勤している友達から
近々監査が入る様子 
と知らせがあった

退職して1年
私の執念がやっとここまで辿り着いた

違う事は違う
許せないものは許せない
汚い手を使って、さも我が社は悪い事はしてませんの如くの退職理由

どんな結果になろうと全て受け入れるつもりだ
それでも私だけが悪いとなったとしてもだ

やっとあの集団にメスが入る
その思いで今まで訴え続けてきた

それが良いか悪いかは賛否両論あるだろう

だけど私は集団でおかしな事を正しいとして
パワハラを揉み消しお咎めなしで役職の椅子に鎮座しているのが許せなかった

監査が入るのは数日後

どんな報告があるのかわからないが、
私の闘いに決着をつけます


「感謝状」

年末の気忙しい中、年配のお客さんがプリペイドカード1枚持ってレジに来た

私はどんな物なのか使い方もわからない

なのに私より少し年齢が上のおばさまが、こんな物使うなんて時代に乗っかってるなぁと思っていた

おばさまは「5万円で」と

え??????

まさにその数時間前に、地域交番のお巡りさんが巡回に来て、特殊詐欺が多発しているので
もし年配の人が高額なカードを購入しようとしたら声掛けし、警察に連絡くださいと言われたばかりだった

お客様?大変失礼ですが、今特殊詐欺が多発していると警察の方から話しを聞きまして、どのような使い道で5万円ものカードをお使いでしょうか

とお尋ねすると

パソコンがウイルス感染したと画面に出て、サポートセンターに連絡して と書かれてあったので電話すると、片言の日本語でコンビニでカードを買ってその番号を教えてくれたら、遠隔操作する と言われた と

パソコン、、、それも聞いたよ、、、
まさにドンピシャ、、

お客様?年末でお金が出て行く時ですし、あまりにも高額ですので、警察に連絡するように言われていますので、連絡してもよろしいでしょうか?
何でもなければいい事ですし、もし本当に詐欺だとしたら、その5万円はお年玉や美味しいものを食べたりするお金にして下さい
とお伝えして警察に連絡した

警察の調書がおばさまと私にあり、この後、詐欺だと判明した

お客様もその後のお正月をつつがなく迎えていらっしゃるだろうな と安堵した

年が明けて半月ほどして、なんと警察署で感謝状を、警察署長から頂いた

一生のうちで、警察に、交通違反や犯罪(しないわ笑)でお世話にはなっても、感謝状などいただく事はほぼないに等しいだろう

辞退しようかとも考えたが、ありがたくお受けする事にした

でもこれは私一人の手柄ではなく、警察の方の地道な声掛け、スタッフが警察に連絡する連携が取れた事

お巡りさんに話しを聞いていなかったら、疑問には思っても声掛けすら出来なかったと思う

日頃から、巡回に来られたお巡りさんとは僅かな時間ではあるけど、他愛無い話や事件事故の呼びかけなどの会話をしていた

人当たりの良い、気さくなお巡りさん

このように、やはり人との関わりとコミュニケーションをとる事で危険から身を守る事ができたり、守ってもらえたり「お互い様」「お陰様」の関係が築けて行く

生きていれば思わぬ嬉しい事もたくさん経験する
人様のお役に立てた事、心から嬉しく思った


報道陣やテレビカメラが、来るかもしれないし、全く来ないかもしれないと事前に言われていて、
もし来ていた時の事を考えて、アホみたいに髪を暗めに染めたり、当日はちょっと念入りなお化粧したりして😅

おばさん、何してもそんな大して変わんないから🤣

当日、人っこ一人報道陣もカメラもいませんでした🤣

帰って早速髪色を茶髪に染めた 忙しい私
バカだね〜

感謝状には「模範」などと書かれていて、いやぁそんな大した人間ではごさらん と照れくさいやらくすぐったいやら

でも、光栄な出来事でした


「ニックネームと監査公演の始まり」

これについても賛否両論あるだろうが、
親が願いを込めて付けてくれた名前を、
公の場では本名を書かなくてはならないが、
普段使いで名前を変えようと思っている

結婚して苗字が変わって字画が良くない事になる場合もある
私の名前は自分で言うのもおかしいが、
結婚後の苗字も綺麗な字が使われていて、名前も綺麗な三文字の漢字が使われている

好きな名前だ

だけど、私は物心ついた頃から困難が多かった

55歳の重ね年、厄年と八方塞がりと三拍子揃った一昨年

かつてない最悪の年だった

母親と絶縁したけれど、感謝の気持ちは根底にはある
名前も好きだ

だけど、、、、なのだ

本名までは変えてしまわないが、ニックネームとして違う名前を使ってみようと思っている

本気で名前の字画で運勢が180度変わるとは思ってはいない

だけど、、、2度目のだけど

それで自分自身の気持ちが楽になれるんだとしたら、それも思いついたからやってみようと思う

思った事は全部行動してみる と、この最悪な年を超えて強く思った事だ

親不孝者!と言う人もいるだろう

だけど、、、3度目のだけど

私の人生、誰のものでもない
と言うのも事実だと思う

親の子であっても一人の人間

やってみて、やってみないとダメも正解も分からない

やってみてダメだったら諦めもつく

だけど、、、4度目のだけど

やらずして後悔するくらいならやったほうがいいと私は思っている

だから組織とも戦った

そんなものと個人が戦っても勝てないと思い知った
それが分かっただけでも一つ勉強になった

でもまだ納得がいってなかった私は方法を探し続けた

そして数日後に監査が入る事を知った

「どんな結果になろうとも受け入れる」
と瞬時に思った
これが納得 と言う事なんだと思った

悶々と沸々と胸の中で湧き上がってくる物を拭い去る事ができなかった

どんな事が起こるんだろう と言う不安は全くない
むしろ楽しみの方が優っている

これで何も変わらなければ
本当に紛れもなくつまらない組織だと言う事が確信できる

辞めて正解だった と言う事になる

「納得するまで思いついた事はぜんぶやる!」

さぁ、どう監査をするのか見せてもらいましょう
舞台の幕が上がります

懲罰を与えるのか、我が社可愛いで私を一人悪者にして終わらせようとするのか
はっきり私に見せて下さい

結果の報告をお待ちしております


「自分の気持ちに正直に生きない」

ある人の言葉、、、

あれから私は、自分の気持ちに正直に行こうと思う事にした
我慢する事も必要以上にしない事にした

捉え方を間違っているのかもしれないが、
その通りだな、、と思う事もあって、正直に生きると
自己破滅に繋がる

思い返すと、私は感情のまま突き進んだ
間違ってる事は間違ってる!と頑なになり、自分の思いに突き進んだ
苦しみ悩み、、、その通りだな、、、と思いながら目を走らせた

言葉の通り、そして精神を病み、職を解かれた

でも私は執念で監査が入る所まで突き進んだ

これはまた破滅への道なんだろうか、、、

混乱している

でも、、、私はここまでの人生で、言いたい事も言えず、人の意見に流されて、正直になった事など殆どない、、、
だけど苦しかった
自分って何なんだろうと思い続けて来た

不満も怒りも封じ込め、自分らしさとは?という思いに模索してきた

「捉え方」
言葉の奥にどんな意味が含まれているのだろう
言葉を意味を考えてみる


時間をかけて自分と向き合い、その言葉にどんな意味が含まれているのかを考えます



「必死」

私はこれまでいろんな環境の中で「必死」にやって来た

「必死」とは『必ず死ぬ』と言う自覚、、、

改めて字をよく見てみる

ホントだ 

そんな字の並びや意味を今まで考えた事もなかった

苦の裏には楽があり、
苦を経験するから楽が分かる

今、様々な経験が若い時には見過ごした事、気づかなかった事、思う事もなかった小さな出来事に感動したり、ありがたい、嬉しい、幸せと思わせてくれている

必ず死ぬ時がくる
日、1日を必死に生きる
もし明日死ぬなら少しでも後悔が少なくて済むように

私は今思い返すと後悔の方が断然多い
このまま死を迎える事になったら
「あの時こうすればよかった
この時ああ言えばよかった
もっと素直に嫌だと言えば良かった
     諸々 諸々 諸々 諸々」

こんな事ばかりが走馬灯のようにグルグルグルグル巡って泣きながら悔やみながら死んでいくんだろう

だけど何の因果か、絶望とどん底、自ら命を経とうとしたそれ以上の事はないどん底を味わった
その中から気付かされた事が沢山あった

それがあったから、今までにない程の人との出会いに喜びや感動を感じている

苦あれば楽あり

苦の中から見つけた楽(幸せ)

できればそんな辛い事は経験したくない

楽な道を歩いてきたかった

でも、それがあったから喜びも大きく
自分は幸せだと思えるんだろう

「悪い事のように思える中にも良い事が隠れている事がある」


少しずつ、少しずつ、長い間どんより曇っていた頭の中に微かに陽が差してきたように思える

後悔ではなく、これで良かったのかな
と思いながら最期を迎えたい


「いよいよ、、、」

今日に至るまで、様々な事があった

前職に入社してから先輩パートの勝手な振る舞い
店長のやる気のなさ
皆見て見ぬ振り、陰口、等々
だけど陰口言っている本人の前では他の人の陰口をいい、私は皆がやってる事がだんだんわからなくなって来た
そして逃げ道を塞がれたまま息切れしてやって来た
それから始まった

聞き取りを目的とした本社の、調査の意見要望欄に書いた事を無回答で放置された

反乱を起こした、、、

ネガティブな思考がそうさせたのか
許せというのか
忘れなさいと言うのか、、、

思い込み?
固定観念が強すぎるから?

もし他の誰かだったら我慢できたのだろうか、、

みんなを敵にする覚悟で、クビも覚悟で
起こした事

誰かが行動を起こさないとわからない

それが固定観念なのか、正論を振り翳して
自分が正しいと思い込んでみんなを巻き込んだのか、、
他に方法があったのか

誰に相談しても、みんなにお願いに回っても
知らぬ存ぜぬだった

本社のハラスメント相談課に訴えても何も変わらなかった

たった一人、最初にハラスメントの電話を受けてくれた方だけが寄り添ってくれた

落ち着こうか?深呼吸してみて?
大丈夫?

そんな言葉掛けをしながら私の話を聞いてくれた

その人は、大きな声では言えないけど「辞める」という選択肢もあるんですよ
と言ってくれた

私が吹っかけた事は私が終わらせなければならないし、簡単に辞めると言う選択肢は私にはなかった

本社の社長以下から受けたパワハラ
揉み消しているから現場で起きている事も表に出るはずもない
注意指導もあるはずも、出来るはずもない
自分達のした事を明るみにしない為には、現場で起きているあれこれも揉み消さないと自分達の身が危なくなる

今日、親会社の監査が入る

ここまでやって来た事は、エゴなのか
被害妄想なのか、妄想?なんだろうか、、

今更考えても、監査は入る

迷いはなかった
思いついた事は納得するまでやる
それが私の信念だった

周りが見て間違いだと言われても
私だけが悪いとされたのが正しいのか、それとも違った真実が出てくるのか、それを知りたかった

私だけでなく、人を虐めて泣かせて、自分達はやりたくない事はやらず、自分の間違いは笑って終わらせ、人が間違った事は周りに言いふらし本人を責める、怒鳴る 嫌な思いをしている人がどれだけいるか、辞めていった人が何人いるか

人それぞれだろうが、私は許せなかった

私がやってきた事の答えは、いずれ何かしらの形で出ると思っている
それは受け止める

実母と息子とは戦うつもりは一切ない
「死ね」とまで言われて、相手にするだけ無駄
そう思っている
これはいずれ時が解決してくれるだろうと思っている


「厄落とし」

今日は風がきつかった
我が家の玄関と勝手口にはお正月のお飾りに似たお守りを付けている
去年は紙垂が飛ばされる事なく、1年を見守ってくださった

今日、仕事から帰って勝手口から入ろうとすると紙垂がない

なんと落ちているではないか


こんな時
縁起でもない
悪い事でも起こりはしないか
と考えがちだが

私は「厄を落としてくれた」
と捉え方を変えてみた

本当の意味はわからない
本当に縁起でもない事なのかもしれない

だけど、あれこれ不安がってばかりいても楽しい事も楽しく思えない

何が落ちても「厄が落ちた〜」
私の代わりに落ちてくれた〜
ありがとね

何の期待もしてないが、今日の監査も紙垂が何かを落としてくれたのかもしれない
そんな風に思う事にした

なるようにしかならないんだから



「バイトくん」

最近入ったこの春卒業の高校生のバイトくん
18歳、、、若いなぁ

学校も卒業式まで休みで、卒業後は専門学校に行くので、私の勤務時間に一緒にやっている

と言う事は私が教育係😅

自分の目の前の仕事だけで頭いっぱいなのに、
普段の仕事もしながらバイトくんに
山田くん(仮名)、この時間になったらゴミを集めて
あれしてこれして、、、
あ!いらっしゃいませ⤴︎
ちょっと言ったとこまでやっといて〜

えっと、どこまで言ったかなぁ
そそそ、それで、あ〜でこーで💦💦

はぁはぁ(;´Д`A
はぁはぁ_(┐「ε:)_

あ〜しんど
教えるの苦手〜

部活、何してた?

バスケです

じゃ大きな声出るよね?

いらっしゃいませぇ(低音 ボソボソ)

もっと出る〜
店内にバスケットゴール作ったろか?
そしたら声出るやろ〜

はい笑

じゃ頑張って声出してこ〜


最初は失敗して当たり前なんよ
まだ何もわからないからお客さんがみんな怖いやろ?
仕事は来てやってれば若いんだしすぐ覚えれるよ
だけどね、声出しと笑顔は意識して訓練しないと出来ないんよ
同じ仕事やってても、声出して笑顔で接客すれば
たとえ失敗しても
「あ〜いいよいいよ、頑張りな」
って言ってもらえるんよ
無愛想にしてて10来るクレームが、笑顔でハキハキした声で言うだけで半分なるんよ
それ以上かもしれないよ

笑う事、これが難しいんだけど、社会に出ても今やってる接客は絶対に役に立つから、声と笑顔はここで出来るようにしときなね

工場のライン生産だって、目の前にお客さんはいないけど、その向こうにはお客さんがいるんだし、
事務職にしたって電話を受けたらそれはお客さんでしょ?

自分がされて嫌だなぁと思う事、それを考えてみたら自分はどう接客すればいいか答えは見えてくるよね?

ってな事を仕事を教えている間にちょいちょい挟みながら、その子のこの先の事も考えながら声掛けをしている

バイトくん(さん)達にしてみれば
鬱陶しいおばさん
めんどくせ〜
って思われてるかもしれないけど、それを伝えるのも大人の仕事かな なんて、お節介を焼いている私です

今は分からなくても、将来、「そう言えばバイトしてた時によく喋るおばさんが 笑え〜 声出せ〜 って言ってたなぁ」って思い出してくれて、何かの役に立てたら、今はうるせ〜と思われても全然構わないと思ってます

かわいい娘や息子のようなバイトの子達

成長した姿で巣立ってくれるのが楽しみです

私にはこれも仕事の醍醐味なのです


「毎日のお参り」

時間は日によってまちまちだが、今日はこの時間にお参りに来た

土日祝日にはボランティアガイドさんがいる

去年はなかった「祝建国記念日」という旗が立っていて、ふと疑問に思ったのでガイドさんに尋ねてみた

ご祈祷を受けられた団体さんが許可をもらって一時的に立てたものだと

そこから少し話をした

1年半くらい前から毎日お参りに来てる事

瀬織津姫のお話

この神社には池(神池)があり、その島に祀られている小さな神社には瀬織津姫がいらっしゃるから
本殿もそうだけどあちらも必ずお参りしたほうがいい

というお話を聞かせてもらった

そこで私の経緯を話した
泣きながら歩いて帰る途中で、何故かここで足を止め、池で休んだ という事

私も何となく「気の毒に思ったのかここで足を止めて休んで行きなさい」
とでも言われたのかな と思っていた

そのお話を聞いて、そう思ったのも嘘ではないのかもしれない と思った

言われたように瀬織津姫が祀られている神池の神社に行こうと歩いて行った

橋を渡って鳥居を潜る瞬間に涙が出た

「ありがとうございます
    私を止めてくださって
       ありがとうございます」

泣きながら手を合わせてお参りした

これは信じる信じないはそれぞれだから
嘘だろ
馬鹿じゃないの?
と思う人もいるのが自然だと思う

だけど私はあの日から、そのきっかけが始まりで毎日のお参りを欠かさずしてきた

信じるものは救われる
私は、努力もしないで神仏に丸投げする事はしないが、その時の直感を信じて今日まできた

毎日毎日、ご祈祷の時間に泣きながらお参りしている人がいる と神職さん達は思われていたかもしれない

ある日、朝のご祈祷が終られた後に一人の神職さんに
「このような職に就かれている方は悩みとかないんでしょうか?」とお尋ねした

お話、お聞きしましょうか?
と言ってくださり、お忙しい中、私のために時間をかけて話を聞いて下さった

その中で、神社というのはお守りやお参りの仕方などのご案内はできても、こちらからお声掛けはできないのが神社神道なんです とお聞きした

神主はお祈りはしていますが、あくまで神様との間に立って、神様と心からお願いしますという方の取り持ちをしているだけです

これが本当の意味での神仏だと思った

私が声を掛けたことから始まった
これも何かの縁?引き合わせてくださったのか?
お参りした時に神職さんがいらっしゃったら
「おはようございます」
「こんにちは」
と挨拶し、顔を覚えて下さっていて挨拶を返して下さる

今日、ボランティアガイドさんに声を掛けようと思ったのも引き合わせてくださったのか?

不思議な縁、今日に至るまでの長い時間、このタイミングでそういう話を聞くのはどうしてなんだろう

日々、一瞬一瞬に起こる事、全て意味がある

今日の出会いもお話も、何かの意味を持っていると思って、今後に繋げて行こうと思う

最初は苦しくて辛いだけの涙だったけど
今日出た涙は心の底から湧き上がった感謝の涙だった
心が洗われたような気がした

変な話だったかもしれないけど
出会いに感謝した今日のお参りでした


「思いやりは速度も大切」

ある方にこの言葉を聞きました

そしてすぐに思い出した事が


それは朝の8時半頃
出勤時間で車が多い時間帯

抜け道になっている2車線道路の一部分(300mくらい)対向できない片道、、、
片側交互通行のような道になっている

向こうから車が来たら待つ

お互い様の気持ちがあれば、数台行けば向こう側の車が止まってくれてこっち側の車が進める

そんな場所がある

停止位置は少しハンドル操作を誤ると路肩に前輪が落ちてしまうという余り作りの良い道になっていない

道の説明が長くなったが

ある日の出勤時間、その場所で私が走る側が進む番で数台前方に走っていた

すると停止位置で待っていなければならない車が進んで来たが、対向できない事に気づき、バックしようとハンドルをきったとたん、路肩に前輪が落ちた

その車が道を塞いでしまった

あっ!!落ちた!
と思った瞬間、ちょっとヤンチャな感じのトラックのおっちゃん、スーツ姿のお兄さん、パンプス履いてるお姉さん、おじさん、おばさん、私も

向かい合わせで対向待ち状態の車から10人以上いただろうか
瞬時に集まってみんなで車を引き上げ、
そして瞬時に車に戻って行った

路肩にタイヤを落としたスーツのお兄さんは、
キョロキョロするだけで、お礼を言いたそうだったが一瞬の出来事で何も言えないまま

そこで立ち往生状態だった数台の車はそのまま立ち去って行った

なんて凄い場面だったんだ!

何やってんねん どうにかしろよ
などと言う人などなく、
考える間もなく誰が一番とかない速さで
他人同士の数名が一致団結して困ってる人を助けた
感動した

そんな中に私も加わっていた事に
何事もなくてよかったぁと安堵の気持ちと
人間の素晴らしさに感動した

「思いやりは速度も大切」
その通りだなぁ
と しみじみと思いながら読ませていただきました

いい言葉を知る事ができました


「残りの時間」

今日は朝の仕事はお休み
いつもの時間に起きたけど
眠いっ!

だから寝る

旦那さんもいってらっしゃいしたので、、、

小一時間ほど、、、

子供はもうみんな出てるし

これからは自分の時間を楽しむんだ〜

ダラダラも含めて

ご飯だ 弁当だ 
部活の送迎だ 学校行事だ
仕事も はぁはぁ はぁはぁ

体も時間も足りない

うちはありがたい事に大学は行かないと
娘達はみんな高卒で就職

何度も本人達の気持ちを確認して
自分で決めた道

高校も就職先も家を出る事も
全部自分で決めて来た

一人暮らしは自由もあるけど
責任と危険もある
身の丈にあった生活をするように
信用は一瞬にして失くせる
信用を取り戻すには計り知れない時間がかかる

そんな事を伝えてこの家から
自由と危険の外へ送り出した

20歳までには子供は外に出す
それが私の子育て計画の中の大きな一つだった

  「結婚するしないは自分たちの自由
    だけど
   いつまでもあんた達のパンツ
             洗わんぞ
   いい頃合いには独り立ちしてもらわんと 
              困るで〜」

周りはみんなが口を揃えて
  「え〜 寂しいでしょ〜」
と言うけど全然そんな事思った事ない

人生100年時代とか言うけど
でも何が起こるかわからない

仲良しこよしの夫婦ではなかったし
こいつ〜離婚したろかー
なんて何度も思った🤣
子育ての大変な時にいっつも寝てたし
話をしてたら居眠りしだすし😤
鼻ん中指突っ込んで叩いたろか〜
と思ったりした事もそりゃぁ何万回もあったね🤣

だけど、こんな私をいつも支えてくれた旦那さん
何度も病んでご飯も作れなくなった時
自殺図った時も娘達とみんなで支えてくれた

これからはどれだけの時間が残されてるか分からないけど
まだ両親も元気

今のうちに二人の時間を
他愛もない事でいい
思い出をいっぱい作ろうと思っている

その為には独り立ちした娘達の事を
必要以上に介入せず

二人の時間を楽しみたい

旦那さんにも言ってある事がある

定年しても3食時間になったら出てくると思わんでな
父さんは定年退職
私も子育て終了
これからはお互いの時間を
束縛しないで自由にやりたい事をやろう

二人でする事は話しして楽しんで

あとはどこに行くのも帰ってくるのも自由
ご飯も今日はめんどくさーいと思ったら
夕方の半額弁当もあり

定年したからって何から何までやってくれると思ったら大間違いだからね

「お父さんのお昼ご飯作らならんから
 ごめんな、帰るわぁ」
なんて言ってる義母
そしてデン!と座ってご飯が出てくるのを待ってる
義父
昭和の夫婦

「単身赴任してる旦那がね、来年定年なんよ
 息が詰まるわ
   家にずっといると思うと気が重いわ」

人生の折り返し
また息の詰まるような時間になって
奥さんが先に逝ってしまった残された旦那さんの寂しい姿は何とも言えない

そうならない為にも、
洗濯、家事、ゴミの出し方等々、覚えてもらわないとならない
今まで全部やって来た町内会の事も
定年後は旦那さんにバトンタッチで、ご近所さん達との関わりも作っておかないと

そんな理由を付けて旦那さんに押し付けて🤣
自分がいかに楽に過ごせるかを考えて来た

長くいい関係を続けるにはこれも一つの方法だと私は思っている


眠くなって来た
旦那さんも仕事に行ってお昼までの自由時間
少し頭をスッキリさせるためにもう少し寝させていただきまーす

おとうちゃん、まだ渋滞の中だろうけど
この嫁はこれから寝るんです
すんましぇ〜ん


「直前までの死 笑いのある死」

鳥取県にある診療所の徳永医師
癌を患っているジャーナリストが取材した番組

徳永医師の言葉
患者さんは「自然に逝きたい」と口を揃えて言う
自宅で最期を迎えたい患者さんを訪問診療している
ある患者さん、娘達の誕生日を一足早くしたいと言いhappy birthdayの歌を唄う
笑顔になり、娘達の頭、顔を撫でる
いい顔だ

「直前までの死 笑いのある死」
         徳永医師の言葉だ


私のように泣きながら遺書をラインで送り、絶望で死んでいくのはさぞ死んでからも後悔しただろう

ジャーナリストは番組の最後に
「人間は死ぬまで生きる力を持っている」
そう言った

父も同じだった
趣味もない父
流動食になりベットの上で24時間を過ごす
命ある日々、食事だけが父の動く時間
ベットを座位に動かす
それだけ

美味しい、嬉しい、、、そんな感情はあるんだろうか
何を思い、ベットから見える白い天井を見つめ
窓から見えるのは山の上の方の木々と空
何の変化も感じられない
晴れてる
曇ってる
木が揺れてる
それだけ

だけど父の所に行き、帰る時には握手をする
その時は笑って手を握ってくれた
死を迎えた直前
体はもう向こうに向かっている
最期を看取る事はできなかったが、
何も言わずに逝ったそうだ

余談だが、母は
「ありがとうも言わずに逝ってしまったわ」

それが答えなのだろう
と私は思った

父が生きているのに葬式の準備を着々を進めていった母
たくさんもない父名義の通帳からお金を引き出し
亡くなった後父名義の口座が凍結されて困らなくて済むように

「まだ死んだらいけんよ」
そんな言葉を連れ添った伴侶の前で言う母

寡黙な父だったから何も言わずに逝ったのか
それが答えだったのか
それは父だけが知っている



辛い事泣いた事恨んだ事、、、
毎日毎日、夜が来て朝を迎える
それが乗り越えていると言う事に気づいた

「人間は死ぬまで生きる力を持っている」

そう言う事なのか?
私はその言葉を聞いた時の第一感情がそれだった


その番組を見ようと思って見たわけではない
チャンネルを変えていてたまたま目に留まり
引き込まれた
番組の終わりに近い部分だった

自ら逝こうとした私に知らせようとしてくれたんだろうか

「直前までの死 笑いのある死」
「死ぬまで生きる力を持っている」

私には響いた言葉だった


「娘からのライン」

娘からのライン
いろんな感謝の言葉が綴られていた

いろんな事があったね
自問自答、試行錯誤、、、
人一倍頑張って、泣いて、苦しんだ

人生の「普通」?のレールを大回りをして歩んできた

幼稚園、小学校、中学校、高校

それが当たり前、普通の日常だと思って来た

娘はその誰しもが思っているであろう「当たり前、普通の日常」につまづいた

私はそのレールに戻そうと必死だった

だけど、、、

私は娘からたくさんの事を教わった

つまづいたわけではない

苦しい道を選択したけれど

それが娘の歩く道だと気づいた

「みんな違ってみんないい」

歩く道も、性格も、個性も

みんな一人の人間であって

みんな一人一人の人生がある

レールに引き戻そうと必死だったけど

「この子の人生 自分に決めさせよう」

私が出した答えだった

その選択が正解だったのか

無理やりにでもレールに引き戻す事が正解だったのか

娘に決めさせた事

私は逃げたのか、、、

いや、そうではない

、、、自問自答は続いている

でも、私も娘もそれぞれの人生がある

親だからと言って娘の人生を親の思うようにはできない

娘を見て来た時間の中で
気づいた事がたくさんあった
考え方も少しずつ変わって来た

いずれわかる時がくる
いずれ気付く事がある
娘を信じて背後から見守ろう

助けを求めて来たらできる事はやろう
私から手出しはしない

自分の人生、自分で決めなければ
失敗やつまづいた時、責任転嫁する

自分で決めた事はどんな結果になろうと自分で
道を探さなければ

私はいつまでも生きてはいない

自分の足で歩いていける力を、自分で起き上がれる力を持てないと生きてはいけない

やっと今「母さんありがとう」と言う言葉が聞けるようになった

ありがとう と言ってもらう為にやって来たわけではない

人として正しい姿を見せてやる事も、財力も、自信も何も持ってないつまらない母親だ

何かの道標となるかはわからないけど
私が歩んできた人生経験を話してやる事くらいしかできない

心穏やかに、心豊かに、共に歩こうと思っている人と同じ方向を向いて力強く歩んで欲しい

何もいらない

苦しい事の方が多いかもしれない
だけど笑っていて欲しい

望む事はそれだけ

苦しんだ分人の辛さも悲しみもわかってあげられる人として成長している 

自慢の娘だ

大きな力が与えてくれるサインを一つでも多く感じ
受け止め、考え、あらゆる選択をして、
違うと思えばまた考え、、、
そうやって自分の道を進んで行ってほしい

いろんな事に気づかせてくれた娘

新しい住まいで、二人で歩み出しなさい

泣いても苦しんでても私は娘達を見放す事はない

頑張ろうという姿には無い知恵を絞り出してでも力になろうと思う

当たり前の日常、当たり前くらいありがたい物はない
当たり前と思っていた日常が数々の震災で奪われた

当たり前に過ごせている事ほどありがたい物はない

だけど、当たり前でない経験をさせてくれた娘

それによって私は娘に育ててもらったと思っている

つまづいた事、何も恥じる事などない
立派に生きている
それでいい

かけがえのない私の娘達
そして主人

ありがとう


「一日の終わり」

今日も一日が終わる

細々したいろんな事はあれど
仕事は楽しい

レジの仕事は、たくさんの人が私の前を通過していく
いらっしゃいませ から ありがとうございます
までの僅かな時間の出会い
僅かな時間で心が通う人もいる

レジを後にするまではその方の時間

お年寄りは動作が遅い
「ごめんねぇ もたもたして、、、」
と小銭を少しでも出したいおばあちゃん

後ろに数人お客さんが並んでいても
急かさない

おばあちゃんが一番よくわかっているから
その言葉が出る

ゆっくりでいいんですよ
次のお客さんをやってますからね
大丈夫ですよ

私もいずれは通る道

買い物に来るのが嫌になるような思いはさせたくない

ここのレジに来て良かった と思ってもらえてホッと安心してお帰りいただきたい

足元気をつけて帰ってくださいね
と言葉を添えてそのお客さんとの時間は終わり

そして次のお客さん

僅かな時間の中で他愛もない会話をするのが楽しい

笑顔を返してくれたら尚更嬉しい

私はこの仕事が好きだ

明日はまた新しい出会いがあるかな
ワクワクする

12時を過ぎた
さぁ、新しい一日が始まった

心を弾ませよう







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