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ベトナム語を学ぶ 3 ―漢字文化の側面からー

2023-02-04 23:51:33 | ベトナム語

さて、今日は昨日の続きです。もう一度昨日の諺を見てみましょう。

Ăn cơm Tàu, ở nhà Tây, lấy vợ Nhật.

食うなら中華料理、住むならフレンチビラ、娶るなら日本女性。

 

昨日の話では、「Tây(西)」は方角の西方と西洋の意味があると言いながら、上記の訳ではフランスの意味になっています。なぜそうなったかと言うと、田原洋樹氏が「ベトナム語におけるフランス語のレガシィ」という論文で、ベトナム人言語学者の書物から、「年長者がTâyという語を耳にしたときはフランス人ないしフランス国のことだと理解する」との言説を引用されているからです。「Tây」自体にはフランスの意味はないのでしょうが、長らくフランスの植民地であったベトナムでは身近にいる西洋人といえばフランス人で、ありとあらゆる近代の西洋文明がフランスという窓を通してベトナムに入ってきたという事実からそうなったのでしょう。

実は私はこの田原氏の論文を通じて、この諺を知ったのであり、上記の翻訳も論文中の訳を少々自分好みに変更したものです。氏の論文はその題名の通り、ベトナム語で使われているフランス語の要素をとりあげられており、現在も使用されているフランス語起源の単語100余りと、かつては使用されていたが、現在では使用されていない単語10語ほどを例示しておられるので、その方面に関心のある方は大いに参考になるでしょう。

さて、「Tây」の次は「Tàu」についてです。

最初、「Tàu」が中国を意味すると聞いたときに、その音からすぐに「唐」を思い浮かべましたが、「唐」の読みはđườngで「糖」と同じです。実は「Tàu」の漢字は「艚」で、船の意味です。では、どうして船が中国の意味に転じたかというと、中国で明が清に滅ぼされたときに、明の遺臣3000名ほどが当時、広南国であったダナンに船で到着したことが、その意味が生じた理由なのです。最初にこのことを知った時、俄かには信じることが出ませんでした。誰もが知っている隣国の強大国、中国の名称(当時、ベトナムで何と読んでいたのかは知りませんが)が、いくら上述したような事情があれ、船という意味の語に置き換わることがあるのだろうかと。しかし、これは間違いのない話で、当初、「船でやってきた人」と呼んでいたのが、いつのまにかイコール中国人となり、更には船が中国を意味するようになったのではないでしょうか。

さて、ベトナム語でquả táoと呼ばれるリンゴは元々「táo tây(棗西)」で、西洋のナツメと名付けられたと前々回に書きましたが、実はナツメはベトナム語では「táo tàu」です。すなわち、リンゴの語の元になったナツメ自体が元は中国のものであったということが推測されます。

では今日はここまで。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


ベトナム語を学ぶ 2―漢字文化の側面からー

2023-02-03 18:45:17 | ベトナム語

昨日、ベトナムの諺を取り上げたので、今日も諺を紹介します。

Ăn cơm Tàu, ở nhà Tây, lấy vợ Nhật.

意味は、「食うなら中華料理、住むならフレンチビラ、娶るなら日本女性。」です。同じような言い回しは日本語にもありますよね。

さて、今日の話題はこの文章中の「Tây」についてです。この語は皆さんご存じでしょうが、「西」という漢字のベトナム語読みです。意味は文字通り「西」という意味で、ハノイにある、西湖は「Hồ Tây(湖西)」と呼ばれます。ところが、湖に突き出た陸地の先端にある寺院、西湖府は「Phủ Tây Hồ(府西湖)」となり、西と湖の位置が逆になります。ベトナム語では修飾語が被修飾語の後に来ますので、西と湖をそれぞれ個別の語ととらえると、湖西の順になるが、西湖を一つの単位(地名)ととらえて、西湖の順になったということでしょうか。話がややそれますが、ベトナム共産党という言葉を現在では「Đảng Cộng sản Việt Nam黨共產越南)」と呼びますが、その前身であるインドシナ共産党は「Đông Dương Cộng sản Đảng(東洋共產黨)」という名称が付けられました。おそらく、その当時(1929年)は書き言葉ではまだ漢文が主流だったために、ベトナム語の語順にはならなかったのでしょう。

さて、本題の「Tây」ですが、日本語でもそうなのですが、「西」という方角の西以外に、西洋という意味もあります。それで、近代に西洋からもたらされたものには、もともとあったものに「Tây」を後ろに付け、言わば「西洋の○○」と名付けられたものがいくつかあります。

chanh tây (橙西)西洋のライム → レモン

cần tây(芹西)西洋のセリ → セロリ

hành tây(―西)西洋のワケギ → タマネギ

khoai tây(―西)西洋のイモ → ジャガイモ

măng tây(―西)西洋のタケノコ → アスパラガス

mùi tây(―西)西洋のコリアンダー → パセリ

táo tây(棗西)西洋のナツメ → リンゴ

dâu tây(桑西)西洋のクワ → イチゴ

tỏi tây(―西)西洋のニンニク→ ネギ

見てお分かりのように、野菜や果物が多いですが、それ以外にも下記のようなものがあります。

gà tây(―西)西洋のニワトリ→ 七面鳥

cân tây(斤西)西洋の斤→ キログラム

sắt tây(―西)西洋の鉄→ 錫

更にはこんなのもありました。

me tây (―西、meはフランス語の"mère"母より)西洋の母→ フランス人と結婚したベトナム女性。但し、historicalと書かれていたので、今は使わないのでしょう。

ところで、上記のように元々は、「西洋の○○」と名付けられたものの、いつの間にか「西洋の」を付けずに呼ぶことが多くなったものもあるようです。残念ながら私はもう10年ほどベトナムを訪れたこともなく、周りにベトナム人の知り合いもいませんので、現在どのように話されているのか正確には知りませんが、レモンやリンゴなんかは「西洋の」をつけずに話されるのではないでしょうか?YouTubeの動画で干したナツメをベトナム人の若い女性が日本語で「リンゴです。」と説明していて、驚いたこともあります。

それでは、今日はここまで。明日はこの続きのお話です。

 

 

 


ベトナム語を学ぶ ―漢字文化の側面からー

2023-02-02 13:28:07 | ベトナム語

今日からブログを始めます。

今日のタイトルは「ベトナム語を学ぶ ―漢字文化の側面からー」ですが、本当はこれはブログのタイトルにするつもりだったのです。タイトルにそう書いたのに、ボタンを押したら全然反映されてなくて、自己紹介も書いたのに、これもまた反映されていないようで、ブログの作成方法が全く分かっていない状態です。

さて、ブログの題名を考える際に、ベトナム語関連のブログはどのような題名をつけているのか参考にしようと見てみると、以前よく見ていた『ベトナム語大好き!』が目に止まり、ついでに「懐かしの格言メッセージ」という記事を読んできました。

そこで紹介されている諺がこれです。

Hữu duyên thiên lý năng tương ngộ.
Vô duyên đối diện bất tương phùng.

この諺の意味については、『ベトナム語大好き!』で一語一語詳しく解説されているので、ここでは触れませんが、私はベトナム語を解釈するときに必ず、元の漢字を見つけるようにしています。時には漢越語でもない語にまで漢字を当てはめてしまうこともあります。「見つける」とは変な言い回しだなと思われるかもしれませんが、私が拠り所としているのが、オンライン辞書だけだからです。実は『越日小辞典』と『パスポート初級ベトナム語辞典』は持っているのですが、最近は紙の辞書を引くのが億劫で、ベトナム語に限らずオンライン辞書や辞書アプリばかり使っています。

それで、上記の諺を一語一語漢字に直していくと、全14音節のうち、1音節(1語)を除いて全て漢越語であることがわかりました。

有緣千里năng相遇
無緣對面不相逢

7音節の対句になっています。それにこの漢越語の多さから中国の諺でないかと推測してみると、案の定、すぐに見つかりました。

有緣千里來相遇
無緣對面不相逢

実はベトナム語のhữu duyênには『ベトナム語大好き!』の解説では、「お互いに惹かれ合う」、vô duyênには「性格が合わない、魅力がない」(私が集めた情報を纏めて自分で作っている辞書には「はしたない、変な、空気が読めない」の意味も)などといったベトナム独自で付与された意味もあるが、この場合は中国の諺だから、文字通りの意味で解釈すればよいでしょう。但し、この諺は中国では男女間の婚姻の相手との関係で多く使われるそうです。

ところで、有縁、無縁という言葉を聞くと、私はすぐにシンガポールの明珠姐妹が歌う『路辺野花』を思い出します。歌の中で何度も、「有縁、無縁、随縁」という言葉が出てきます。閩南語で歌っているのですが、発音はベトナム語に近いです。カタカナで書けば「ウーイェン、ボーイェン、スイイェン」となります。

(6) 明珠姐妹- 路边野花 - YouTube

この歌はロイストン・タン監督の2007年の映画『881』の挿入曲で、シンガポールのお盆に当たる時期に行われる「歌台」という舞台芸を題材にしています。メディアでの方言使用に制限を加えているシンガポールで、珍しく閩南語を多用したこの映画はそれまで粗野なものと顧みられることがなかった「歌台」というものを題材にしたことで、大ヒットとなり、シンガポール人に「歌台」の面白さを再発見させたようで、この映画の上映以降、歌台には見向きもしなかった若者も多く足を運んだようです。更にはシンガポール観光局も英語のパンフレットにシンガポールの見所として取り上げるほどでしたが、閩南語、華語、広東語で繰り広げられ、閩南語の歌が中心の舞台は日本人を含め、外国人にとっては楽しむまでには至らないのではないかと思われます。おそらく今では観光局も取り上げてはいないのではないかな?

さて、だいぶん話がそれてしまいましたがが、きょうはここまで。

ふ~、一本の記事を書くのも大変ですね。