さて、今日は昨日の続きです。もう一度昨日の諺を見てみましょう。
Ăn cơm Tàu, ở nhà Tây, lấy vợ Nhật.
食うなら中華料理、住むならフレンチビラ、娶るなら日本女性。
昨日の話では、「Tây(西)」は方角の西方と西洋の意味があると言いながら、上記の訳ではフランスの意味になっています。なぜそうなったかと言うと、田原洋樹氏が「ベトナム語におけるフランス語のレガシィ」という論文で、ベトナム人言語学者の書物から、「年長者がTâyという語を耳にしたときはフランス人ないしフランス国のことだと理解する」との言説を引用されているからです。「Tây」自体にはフランスの意味はないのでしょうが、長らくフランスの植民地であったベトナムでは身近にいる西洋人といえばフランス人で、ありとあらゆる近代の西洋文明がフランスという窓を通してベトナムに入ってきたという事実からそうなったのでしょう。
実は私はこの田原氏の論文を通じて、この諺を知ったのであり、上記の翻訳も論文中の訳を少々自分好みに変更したものです。氏の論文はその題名の通り、ベトナム語で使われているフランス語の要素をとりあげられており、現在も使用されているフランス語起源の単語100余りと、かつては使用されていたが、現在では使用されていない単語10語ほどを例示しておられるので、その方面に関心のある方は大いに参考になるでしょう。
さて、「Tây」の次は「Tàu」についてです。
最初、「Tàu」が中国を意味すると聞いたときに、その音からすぐに「唐」を思い浮かべましたが、「唐」の読みはđườngで「糖」と同じです。実は「Tàu」の漢字は「艚」で、船の意味です。では、どうして船が中国の意味に転じたかというと、中国で明が清に滅ぼされたときに、明の遺臣3000名ほどが当時、広南国であったダナンに船で到着したことが、その意味が生じた理由なのです。最初にこのことを知った時、俄かには信じることが出ませんでした。誰もが知っている隣国の強大国、中国の名称(当時、ベトナムで何と読んでいたのかは知りませんが)が、いくら上述したような事情があれ、船という意味の語に置き換わることがあるのだろうかと。しかし、これは間違いのない話で、当初、「船でやってきた人」と呼んでいたのが、いつのまにかイコール中国人となり、更には船が中国を意味するようになったのではないでしょうか。
さて、ベトナム語でquả táoと呼ばれるリンゴは元々「táo tây(棗西)」で、西洋のナツメと名付けられたと前々回に書きましたが、実はナツメはベトナム語では「táo tàu」です。すなわち、リンゴの語の元になったナツメ自体が元は中国のものであったということが推測されます。
では今日はここまで。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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