入院して思い出す事の一つ、
我が亡き父の入院の時の出来事だ。
あれは忘れもしない、
私が中学一年生のある日の夜、
テレビドラマの様だけれども、
警察からかかってきた一本の電話から、
その騒動は始まった。
当時車通勤の親父であったが、
朝から自宅に車をおいてその夜の
酒の場に備えていたのは今の私と同じ。
ただ当時飲酒運転が結構横行する時代、
父が真面目な人柄だった事を表していた。
その電話は、宴席を終え
帰る電車の駅まで行く途中に起きた事故の一報。
青信号で渡る親父を左折車が巻き込んだのだ。
当時四十半ば正に働き盛り。
生命にこそ支障はなかったが足の複雑骨折、
完治まで四ヶ月を要する重症であった。
栄の繁華街での事故であったため、
まさしく繁華街ど真ん中の病院に運ばれた為、
母と共に夜の錦三丁目に出かけた。
生まれて初めての錦三の経験でもあった。
錦通沿いにあったキャバレー美人座の路地を入り、
今とは随分違う恐らく勢いのあるその街に圧倒。
父の事よりもそちらが今でも印象に残る。
結果的に母はこの繁華街まで電車で通う事四ヶ月。
それもそれで大変であったであろうが、
働き盛りの父本人も苛立ちは大きかったであろう。
何より自分は何一つ悪く無いのだから。
その「回想」たる思い出す事は、
退院してきたその日、生まれて初めて
父親の涙というものを見たからである。
今思うと車に跳ねられた時、
ともすると死を覚悟したのかもしれない。
そう思えばこそ無事自宅に戻った安堵感は、
とんでも無く大きなものであったと想像する。
健康は大切である。
もちろん事故などの被害者は勿論だが、
加害者なんかに絶対になってはいけない。
流石に私のこの程度の入院では涙は出ないが、
昨日無事に退院の運びとなり思い出した出来事。
皆様ご心配お掛けいたしました。
我が亡き父の入院の時の出来事だ。
あれは忘れもしない、
私が中学一年生のある日の夜、
テレビドラマの様だけれども、
警察からかかってきた一本の電話から、
その騒動は始まった。
当時車通勤の親父であったが、
朝から自宅に車をおいてその夜の
酒の場に備えていたのは今の私と同じ。
ただ当時飲酒運転が結構横行する時代、
父が真面目な人柄だった事を表していた。
その電話は、宴席を終え
帰る電車の駅まで行く途中に起きた事故の一報。
青信号で渡る親父を左折車が巻き込んだのだ。
当時四十半ば正に働き盛り。
生命にこそ支障はなかったが足の複雑骨折、
完治まで四ヶ月を要する重症であった。
栄の繁華街での事故であったため、
まさしく繁華街ど真ん中の病院に運ばれた為、
母と共に夜の錦三丁目に出かけた。
生まれて初めての錦三の経験でもあった。
錦通沿いにあったキャバレー美人座の路地を入り、
今とは随分違う恐らく勢いのあるその街に圧倒。
父の事よりもそちらが今でも印象に残る。
結果的に母はこの繁華街まで電車で通う事四ヶ月。
それもそれで大変であったであろうが、
働き盛りの父本人も苛立ちは大きかったであろう。
何より自分は何一つ悪く無いのだから。
その「回想」たる思い出す事は、
退院してきたその日、生まれて初めて
父親の涙というものを見たからである。
今思うと車に跳ねられた時、
ともすると死を覚悟したのかもしれない。
そう思えばこそ無事自宅に戻った安堵感は、
とんでも無く大きなものであったと想像する。
健康は大切である。
もちろん事故などの被害者は勿論だが、
加害者なんかに絶対になってはいけない。
流石に私のこの程度の入院では涙は出ないが、
昨日無事に退院の運びとなり思い出した出来事。
皆様ご心配お掛けいたしました。