ちょっとだけ・・いや、少しばかり・・
いや、かなりかもしれない鉄道マニアな私。
0系新幹線の引退ニュースは、
新聞やネット、テレビで見て感慨深い。
私が3歳の時にこの世に登場した新幹線は、
当然私の子供の頃の憧れであった。
幼稚園の時、幼稚園から支給された
食費を持っていく財布が「新幹線」だったのを
今でも覚えているほど。当然0系。
私が始めて乗ったのは、小学一年のとき。
東京に居た叔父を訪ねて行ったのが始め。
ただ、残念ながらその時の記憶は乏しい。
マニアックな話だが、時を同じくして、
名鉄の「パノラマカー」も姿を消す。
こちらは私と同じ歳で昭和36年生まれ。
母親の実家に行くたびに乗っていたので
懐かしさの度合いから行くと
こちらのパノラマカーが上になるかも。
逆に言えば私も随分歳をとったという事になる。
そういえば、我が住む町並みを走る
名鉄瀬戸線と言う電車。私の子供の時は、
なんとも「手動ドア」であったという事実。
今ではとても考えられない事かもしれない。
さて話を戻し0系のニュースだが、
全てのメディアが報ずるは、どれもこれも
「あの頃の日本の成長振りは凄かった!」と。
例え、そういう時代が二度と来る事はなくても、
この様な時代、「元気」と言う部分だけでも、
真似しなくてはと思わさせられたニュースであった。
いや、かなりかもしれない鉄道マニアな私。
0系新幹線の引退ニュースは、
新聞やネット、テレビで見て感慨深い。
私が3歳の時にこの世に登場した新幹線は、
当然私の子供の頃の憧れであった。
幼稚園の時、幼稚園から支給された
食費を持っていく財布が「新幹線」だったのを
今でも覚えているほど。当然0系。
私が始めて乗ったのは、小学一年のとき。
東京に居た叔父を訪ねて行ったのが始め。
ただ、残念ながらその時の記憶は乏しい。
マニアックな話だが、時を同じくして、
名鉄の「パノラマカー」も姿を消す。
こちらは私と同じ歳で昭和36年生まれ。
母親の実家に行くたびに乗っていたので
懐かしさの度合いから行くと
こちらのパノラマカーが上になるかも。
逆に言えば私も随分歳をとったという事になる。
そういえば、我が住む町並みを走る
名鉄瀬戸線と言う電車。私の子供の時は、
なんとも「手動ドア」であったという事実。
今ではとても考えられない事かもしれない。
さて話を戻し0系のニュースだが、
全てのメディアが報ずるは、どれもこれも
「あの頃の日本の成長振りは凄かった!」と。
例え、そういう時代が二度と来る事はなくても、
この様な時代、「元気」と言う部分だけでも、
真似しなくてはと思わさせられたニュースであった。
子供のころ、東北新幹線開通を記念して開通目前に発行された「新幹線」という子供向けの写真雑誌をねだって買ってもらいました。乗ったこともないくせにいろいろな新幹線の豆知識を身につけ、新幹線への憧れを膨らましていました。印象的だったのは、鋼鉄のスカートの話。厚さ16mmの鋼鈑を隙間をはさんで何層にも重ねる(6層ぐらいだったと思います)ことで強度を稼ぎ、数トンの岩は軽々跳ね飛ばしてしまうのだとか。隙間を空けることで強くなる、というのが衝撃的でした。
パノラマカーの引退も寂しいですね。パノラマカーが普通列車に使用されるようになったとき、ついにここまで来たかと思ったものですが、それからでももう20年以上ですから、相当かわいがられてきたのだと思います。
ラッパ吹き鉄道マニア君が居たとは!
確かに500系は外観を楽しむ物でしたね。
その新幹線の本、なんとも学者的な感想で・・。
でもその類は私もいろいろ読んだ覚えがあります。
どちらかと言うと私は在来線派でしたが・・。
こんどのレアの忘年会では、
音楽談義せずに鉄道談義に花咲かせましょうか。
H君交えて!