東海豪雨で当社の前社長であり、
私の叔父にあたる家が大きな被害を受けた。
突然被災地となったその家の水が退いた休日、
私を始め一部の社員でその復興の手伝いに行った。
泥まみれの家や家財道具は余りにも無残で、
特段印象に残ったのは仏壇とアルバムの処分。
叔父はすべて捨ててよいと指示をしていたが、
(そうせざるを得ないというのが本当のところ)
社員の一人が物は捨てても思い出は捨てないでと、
アルバムを奇麗に拭いて残していたのが印象的。
それ程までに事態は悲惨であった。
道路も公園もあらゆる所が泥まみれで、
その家から200mほど先の被災ごみ集積所まで、
物を運ぶのにとんでもなく困難を極めた。
比較的田舎に住まう社員が持ってきてくれた
一輪車がとても役立ったのが今でも記憶に残る。
泥道で台車は全く役に立たない事もこの時知った
勿論一日でこの作業は終わる訳はなく、
しばらくは生活にとんでもなく苦労をし
結局この家は建て直すことになり完全復興は
一年近くの歳月を要した記憶が残っている。
その作業が終わり夕暮れの帰り道、
当然我々も泥まみれの体で車に乗り、
疲れ果てた体で決壊した新川を渡り並行をする
庄内川を渡ったところで思わぬ渋滞に合う。
それは名古屋競輪の帰宅客の渋滞であった。
天国と地獄とはこの事。
決壊を逃れた東側は当然全くの無傷。
でもだからと言って競輪開催は無いだろう!
疲労困憊の我々の怒りに近い思いであった。
又今日も雨が降っている。
先日の台風19号での被害は
東海豪雨の時よりも被災流域はかなり広く、
そして複数被災地があるのは皆さんご存知の通り。
それにも関わらず昨日の新聞にあった通り、
支援金が配布されるのは被災者の内たった1割。
9割の人は自力で復興しないといけない現実がある。
なのに!
東京オリンピックのマラソンと競歩が、
札幌開催でまたお金がかかる可能性があるとか。
競輪開催で怒れたあの気持ちが復活してきた。
私の叔父にあたる家が大きな被害を受けた。
突然被災地となったその家の水が退いた休日、
私を始め一部の社員でその復興の手伝いに行った。
泥まみれの家や家財道具は余りにも無残で、
特段印象に残ったのは仏壇とアルバムの処分。
叔父はすべて捨ててよいと指示をしていたが、
(そうせざるを得ないというのが本当のところ)
社員の一人が物は捨てても思い出は捨てないでと、
アルバムを奇麗に拭いて残していたのが印象的。
それ程までに事態は悲惨であった。
道路も公園もあらゆる所が泥まみれで、
その家から200mほど先の被災ごみ集積所まで、
物を運ぶのにとんでもなく困難を極めた。
比較的田舎に住まう社員が持ってきてくれた
一輪車がとても役立ったのが今でも記憶に残る。
泥道で台車は全く役に立たない事もこの時知った
勿論一日でこの作業は終わる訳はなく、
しばらくは生活にとんでもなく苦労をし
結局この家は建て直すことになり完全復興は
一年近くの歳月を要した記憶が残っている。
その作業が終わり夕暮れの帰り道、
当然我々も泥まみれの体で車に乗り、
疲れ果てた体で決壊した新川を渡り並行をする
庄内川を渡ったところで思わぬ渋滞に合う。
それは名古屋競輪の帰宅客の渋滞であった。
天国と地獄とはこの事。
決壊を逃れた東側は当然全くの無傷。
でもだからと言って競輪開催は無いだろう!
疲労困憊の我々の怒りに近い思いであった。
又今日も雨が降っている。
先日の台風19号での被害は
東海豪雨の時よりも被災流域はかなり広く、
そして複数被災地があるのは皆さんご存知の通り。
それにも関わらず昨日の新聞にあった通り、
支援金が配布されるのは被災者の内たった1割。
9割の人は自力で復興しないといけない現実がある。
なのに!
東京オリンピックのマラソンと競歩が、
札幌開催でまたお金がかかる可能性があるとか。
競輪開催で怒れたあの気持ちが復活してきた。