名古屋でジャズを演る方なら、
結構たくさんご存じであると思われる、
バディーリッチファンクラブ会長氏。
↓ この本の筆者。

先日わざわざこの本を直接お届け下さり、
ついでにいっぱい飲みながら雑談。
この本の裏話などを篤と伺った次第。
この方、本当に凄い人である。
海外のジャズミュージシャンとの繋がりは
本に書かれているだけでもすごい数だが、
直接伺うに実に二百人以上の接点があったと。
そう仰られる彼の半生は正に充実の日々。
かいつまんで記事にすると言うのは、
作者に失礼に当たるので控えるし、
とてもかいつまんで表現など不可能なので、
一つだけこんな話と表現をご紹介する。
ただ、
これはほんの一節にしかすぎず、
筆者にとっては何故そこ?
と思われてしまうかもしれないけれど。
この方名古屋にあった
超有名ジャズクラブ、ブルーノートの
ブッキングをご担当された時代も長い。
そんな縁もあって私なんかでも
この素敵な場所で演奏する機会を頂いたのは
このblogにも記されているのだ。
ところで、そもそも名古屋という地域は、
海外ミュージシャンがなかなか来ない場所。
その理由には、どんな有名人が来たとしても
集客ままならない文化不毛の地とは案外有名。
筆者も随分ご苦労を重ねられた様だ。
実際ジャズミュージシャンで
スケジュールを埋める事が難しかった様子は、
我々部外者でも結構理解出来る時もたびたび。
Jポップ、ロック、果てはクラシックと、
何でもありの興行は些かブルーノートの名に
相応しく無かったとも自身この本で触れている。
そして勃発したコロナ禍。
私の記憶ではコロナ勃発後かなり早い時期に、
この名店は廃業を余儀なくされた。
と、思っていたし、
事実ライブハウス等とても営業出来ない時代。
事実コロナによって、コロナのせいで、
閉店と言うか廃業をされたのだが、
この筆者の表現はこうある。
ブルーノートはコロナで救われた。と。
なるほど!である。
中にいた人だからこそでもあろうが、
名古屋における文化を知る人だからこそ、
いや、世界のジャズミュージシャンを
知る人だからこその表現であると感慨深い。
この調子で記されたこれは、
言うまでもなく軽快に且つ頷きながら頁が進む。
又、彼の半生からしてみたら実にほんの僅かな
私の海外共演者の名も見つける事ができたが、
その何十倍ものビッグプレーヤーとの繋がりは、
重ねて絶賛、充実した半生は天晴れである!
今後もまだまだお元気で活躍されよう。
我が人生の中にあって、
この様な素敵な方とのお付き合いは、
今後も大切にしなければと痛感した一冊。お勧め。
思い出に、そのブルーノートでの私の演奏記録。
古い順に、
第一回目は2008年11月
レアサウンズジャズオーケストラにて演奏。
ゲスト:エリック・マリエンサル氏。
第二回目は2009年11月
レアサウンズジャズオーケストラにて演奏。
ゲスト:チャック・フィンドレー氏。
第三回目は2011年6月
ブルーノート公式公演、
ジャズオーケストラブライトネスにて演奏。
第四回目は2013年2月
ブルーノート公式公演、
ジャズラブオーケストラ公式公演にて演奏。
結構たくさんご存じであると思われる、
バディーリッチファンクラブ会長氏。
↓ この本の筆者。

先日わざわざこの本を直接お届け下さり、
ついでにいっぱい飲みながら雑談。
この本の裏話などを篤と伺った次第。
この方、本当に凄い人である。
海外のジャズミュージシャンとの繋がりは
本に書かれているだけでもすごい数だが、
直接伺うに実に二百人以上の接点があったと。
そう仰られる彼の半生は正に充実の日々。
かいつまんで記事にすると言うのは、
作者に失礼に当たるので控えるし、
とてもかいつまんで表現など不可能なので、
一つだけこんな話と表現をご紹介する。
ただ、
これはほんの一節にしかすぎず、
筆者にとっては何故そこ?
と思われてしまうかもしれないけれど。
この方名古屋にあった
超有名ジャズクラブ、ブルーノートの
ブッキングをご担当された時代も長い。
そんな縁もあって私なんかでも
この素敵な場所で演奏する機会を頂いたのは
このblogにも記されているのだ。
ところで、そもそも名古屋という地域は、
海外ミュージシャンがなかなか来ない場所。
その理由には、どんな有名人が来たとしても
集客ままならない文化不毛の地とは案外有名。
筆者も随分ご苦労を重ねられた様だ。
実際ジャズミュージシャンで
スケジュールを埋める事が難しかった様子は、
我々部外者でも結構理解出来る時もたびたび。
Jポップ、ロック、果てはクラシックと、
何でもありの興行は些かブルーノートの名に
相応しく無かったとも自身この本で触れている。
そして勃発したコロナ禍。
私の記憶ではコロナ勃発後かなり早い時期に、
この名店は廃業を余儀なくされた。
と、思っていたし、
事実ライブハウス等とても営業出来ない時代。
事実コロナによって、コロナのせいで、
閉店と言うか廃業をされたのだが、
この筆者の表現はこうある。
ブルーノートはコロナで救われた。と。
なるほど!である。
中にいた人だからこそでもあろうが、
名古屋における文化を知る人だからこそ、
いや、世界のジャズミュージシャンを
知る人だからこその表現であると感慨深い。
この調子で記されたこれは、
言うまでもなく軽快に且つ頷きながら頁が進む。
又、彼の半生からしてみたら実にほんの僅かな
私の海外共演者の名も見つける事ができたが、
その何十倍ものビッグプレーヤーとの繋がりは、
重ねて絶賛、充実した半生は天晴れである!
今後もまだまだお元気で活躍されよう。
我が人生の中にあって、
この様な素敵な方とのお付き合いは、
今後も大切にしなければと痛感した一冊。お勧め。
思い出に、そのブルーノートでの私の演奏記録。
古い順に、
第一回目は2008年11月
レアサウンズジャズオーケストラにて演奏。
ゲスト:エリック・マリエンサル氏。
第二回目は2009年11月
レアサウンズジャズオーケストラにて演奏。
ゲスト:チャック・フィンドレー氏。
第三回目は2011年6月
ブルーノート公式公演、
ジャズオーケストラブライトネスにて演奏。
第四回目は2013年2月
ブルーノート公式公演、
ジャズラブオーケストラ公式公演にて演奏。