青色日誌

還暦を超え、子育てもひと段落。さて!

五十

2024年10月13日 | 思うこといろいろ
本日五十回忌法要の為家内の実家へ赴く。

この年忌法要は、
家内の祖父母では無く曽祖父母でも無く、
家内の実弟、私の義弟に当る方の法要なのだ。

 そうなんです。

家内も私も今63歳ですので49年を引くと
家内が実に14歳の時の事、亡き弟は12歳と言う
何とも短い命を失っていたのでありました。

当然私はお目にかかった事は無く、
家内と結婚した時、確か十三回忌の時だった。
なのであれからも随分日が経った事に感慨は深い。

残念ながらこの五十回忌を無事に終えたいと
晩年はしきりに口にしていた義弟の父に当る
家内の父はコロナの最中に亡くなった。

喪主を務めた私は挨拶の中この義弟の事に触れた。
やっと息子の下へと旅立ったと表現したが、
思えば12歳の息子に先立たれる親の気持ちは
どれだけ苦しかったであろうかと涙があふれた。


 幸い私の義母は健在。

ただ家内から聞くに息子を失ったその時は、
火葬場へ出向く事すらできない失意であったと。

 その話を聞いた時、心が縮んだ。

表現が妥当では無いが、
実に豪華な仏壇はその両親の思いが詰まっている。


結婚後義母は私をその義弟と重ねる事度々だった。

特に酒を飲んでいる時にその事に触れる事が多く、
その都度私に対しては失礼だねと詫びるのだ。

勿論、私が失礼などと当然思う訳もなく、
「代りに生かさせて頂いていますよ」と
義母を慰める位しか今でも私に出来る事は無い。


勿論家内も、
そんな壮絶な歴史を歩んできたかと思うと、
この五十回忌法要は特別な思いで迎えているであろう。

なので今私が何をしてあげればもう一度考え、
無事にこの日を終える事を心から協力したい。


五十回忌法要は普段の法要と比べ、
盛大に賑やかに、場合によってはおめでたい事とまで
記されているものもある様だ。

実際、それだけの月日が経っているので、
そう言ってしまえばそうなのかもしれないが、
我が子や兄弟を失い五十年の節目を迎えると言う事が、
果たしてどれだけの人に理解が出来るのか、
ゆっくりと考え一日を過ごしてみたい。


幸い私の子供や孫たちが勢ぞろいしてくれる。

息子が、

 おばあちゃんが会食時お酒飲んで
 気持ちが和らぎ喜んでくれるなら付合うよ。

と言ってくれたので、私も当然お付き合いする。

 これを賑やかとか、めでたいとかとは言わない。

心から義母や家内に敬意を表すると言う行動だと
身勝手かもしれぬがそう息子と解釈しておくつもりだ。
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