昨日の市電の本で気が付いた事だが、
名古屋にお住まいの方で、
大曽根の交差点がどこかお解りの人
何人ぐらいいらっしゃるのであろうか?
おそらく多くの方々が、
地下鉄大曽根駅のほぼ上にある、
変則5差路が大曽根交差点と思われ様が、
あの交差点は東大曽根交差点であって、
大曽根交差点はそこから西に行った所。
森下駅から北上した所が大曽根交差点になる。
まぁ、どうでも良いと言えばそれまでだが
市電やバスの大曽根駅はその交差点界隈にあり、
地下鉄や名鉄・JRの大曽根のある場所は、
東大曽根と言う電停やバス停で有ったと本に記載。
そういえばそうだった!と、
手を打ち、思出した私であった。
その後実質交通要所としての東大曽根が
大曽根と言う認識として強くなったとは、
以前何かで見聞きした記憶があるのだが
今のバス停では、逆に大曽根交差点の所は、
西大曽根バス停と言う名前になっている。
交差点名は、大曽根なのに。

きっとそういう個所は全国色々有るだろうが、
つい当時の路線図を見て思い出した事であった。
名古屋にお住まいの方で、
大曽根の交差点がどこかお解りの人
何人ぐらいいらっしゃるのであろうか?
おそらく多くの方々が、
地下鉄大曽根駅のほぼ上にある、
変則5差路が大曽根交差点と思われ様が、
あの交差点は東大曽根交差点であって、
大曽根交差点はそこから西に行った所。
森下駅から北上した所が大曽根交差点になる。
まぁ、どうでも良いと言えばそれまでだが
市電やバスの大曽根駅はその交差点界隈にあり、
地下鉄や名鉄・JRの大曽根のある場所は、
東大曽根と言う電停やバス停で有ったと本に記載。
そういえばそうだった!と、
手を打ち、思出した私であった。
その後実質交通要所としての東大曽根が
大曽根と言う認識として強くなったとは、
以前何かで見聞きした記憶があるのだが
今のバス停では、逆に大曽根交差点の所は、
西大曽根バス停と言う名前になっている。
交差点名は、大曽根なのに。

きっとそういう個所は全国色々有るだろうが、
つい当時の路線図を見て思い出した事であった。
大曽根については、こちらに詳しいです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9B%BD%E6%A0%B9
尾張旭(当時の旭町)と言う土地に育ったため、
大曽根は正に我々の名古屋の玄関でして、
当時の「大曽根」に向かって伸びる商店街は、
子供心にとても都会を感じた風景でありました。
岐阜のお話、金華山の麓と言うと長良橋辺り?
確かにあの辺り、昔賑わった名残が有りますね。
なかなか歴史や文学に弱い私ですが、
こうしてネットで調べられる時代は有難いです。
最近は、昔の地名が消えてしまったりしてますが、交差点やバス停に残っていたりします。
我が家の近くの国道の交差点はなぜか北向きと南向きで名前が違うんです。
それで、はじめてくる人にどこの交差点を曲がるか伝える時に来る方向で変わってしまいますが、最近のボケぶりで、忘れてしまって困っています。
そういえばあそこも!と気が付くところが有りまして、
私も地名の不思議を感じていたところでした。
北向きと南向きで違うと言うのは面倒ですね。。
それは一度警察の方に苦情を言ったら如何でしょ^^
ボケているボケていると言っていると本当にボケるらしいですので、
お互いボケているを禁句にした方が良いかも知れませんょ。
子供心に、よくわからないまま「なんだかすごい」と思った記憶があります。
今は五叉路ですが、そうすると、どちらの交差点のことだったのかな。記事を読みながら祖父のことを思い出し、懐かしくなりました。
食いついてしまい、すみません。
大曽根も東大曽根も偶然
五方向から道が入り込んでいます。
何となく昔東大曽根に
もう一本細い道が有った様な無かった様な…
いずれにせよおじいさまが正解です!
実家の住所は東区ですが、OL時代残業で帰りが遅いと、タクシーの運転手さんには「東大曽根まで」と伝えていました
あの交差点辺りは低いので、子供の頃台風で矢田川が切れると、我が家の前を川の様に流れた水で交差点が水没して、高架前の瀬戸線は止まっていました
市電の花電車も毎年見に行きましたよ
実家はまだ同じ場所ですが、あの辺りは随分変わりましたね
こんな記事でも色々なことが分かるものですね。
名鉄大曽根駅の浸水は結構知っています。
以前大曽根雨水調整池が出来て浸水改善がされたと、
名古屋市のお仕事を頂いている関係で知りました。
本当にあの辺り風景が変わってしまいましたね。
昔のあの商店街を歩いてみたいものです。