3才ぐらいでしょうか? 普通はそのぐらいだと言われていますよね!?
私もそのぐらいだと思っていました。
でも、ある時ふとこんな記憶がよみがえってきたのです。
私はどこかに寝かされていて、顔の上の方にはくるくる回る赤ちゃん用のおもちゃがあったような(?)
そのときの私は『ここはどこだろう?』という感じで天井あたりの空間を見ていました。
赤ん坊のとき、『ここはどこ?』という感覚を持って空間を見ていた。
それはとりもなおさず、その前に私が別のどこかにいたということではないでしょうか?!
別の世界にいたが、その場所にやって来て、今までとは違う空間を感じていたのではないでしょうか?!
この記憶がよみがえってから、私は自分という存在の連続性を感じました。
ポッ!とこの世に唐突に出現したわけではないのだと。
ただ残念なことにその“別のどこか”がどんな所かは思い出せませんが。
きっと、この世の感覚では表現できないような所なのかもしれません。
そんな最初の記憶があるせいか、「死」ということに対しても闇雲に恐怖を感じるというよりは、生まれる前の自分がいた世界にただ帰るだけではないかと感じています。
「あの世の話」(佐藤愛子 江原啓之)という本にこんな話が載っていました。
佐藤 この世に来る、生まれるということは、めでたくないんですね。
江原 そうです。こちらの現世の人たちは赤ちゃんができるということで大いに喜んでいるんですが、全く反対なんです。死ぬときも臨終でこちらはわんわんと泣いて悲しんでいても、向こうから迎えに来る人たちは非常ににこやかによく帰ってきたというふうに迎えるんだそうです。
霊界の人たちに言わせれば、こちらのほうが死後の世界だそうです。向こうのほうが生の世界だということを言っています。
果たして、この世に生まれるというのは、この世に修行に来ると同義語のようですね。
私の修行はうまくいっているのかな? あの世に戻るときは凱旋(ガイセン)といきたいものです。
この世の最初の記憶について書いていたら、思わぬ結論になってしまいました。
Photo by ミントBlue
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