そんなとき私は自分の感覚に問いかけます。
すると行ってもいいという感じがしました。
表に出ると、日差しは戻ってきたけど雨も降っているという天気雨状態です。
でも少しすると雨も上がってきて……、坂を上っているとき道の水たまりから蒸気がうっすら立ち上っているが見えました。
買い物をした帰りは、また雨に降られて、でもすぐ止むという、今日は本当に目まぐるしく天気の変わる日だと思いました。
ところで(本題にはいりますが)人が言っている考えを不快に感じたとき(そう感じるのは、自分の中にも同じような要素があるからなのかもしれませんけど)、それを気にしなければいいという考えがあります。
でも、それができれば苦労しないのですよね。
そうしようと頑張っても何か後味の悪さみたいのを感じてスッキリしないのです。
そこで思いました。
そんな意見を述べている人に対して祈ってみたらって。
どういうことかというと、その人が放った考えはやがてその人に返っていくので、その人も不快になる可能性がある、だからその人が、『不快になりませんように!』と祈るのです。
それじゃあ、その人が良くなるだけで、こちらには関係ないのでは?と思うところですが、これが不思議とこちらも気持ちが安らぐ感じがするのです。
人のために祈っていると思っているけど、それって本当は自分のためだったりするのかもしれません。
こういうことは、知っている人は知っている、知らない人は知らない(当たり前!)、ことだと思います。
そんな考えが閃いたおかげで気分が軽くなりました。
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